2015年7〜8月

【読者日記——マスコミ同時代史】(20)

2015年7〜8月

田中 良太


◆◆【今月のテーマ=メディアは安倍政権に甘すぎる!?】

◆1.戦後70年の安倍談話

 いまや古い感覚なのかもしれないが、8月15日は日本人にとって、厳粛な気持ちにならざるをえない日であろう。「戦後国家・日本」にとっての出発点は日本国憲法施行の1947(昭和22)年5月3日であるはずだが、多くの日本人は第2次大戦敗戦の日と考えている。その敗戦の日もまた正確には9月3日、東京湾上にあった米戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印であるはずだが、8月15日正午の昭和天皇による玉音放送になっているのが、戦後日本という国家と大半の国民にとっての「現実」であろう。
 その事実は国民意識次元での「天皇制」と深くからまっている。ここで是非論は展開しないが、その事実を無視することは、政治に関わる人々にとって大きな冒険だと言えるだろう。こう考えると、8月15日の首相発言は厳粛なものであることが求められる。

 「終戦記念日」の前日・14日に安倍晋三首相自身が記者会見で読み上げ発表した「戦後70年」にあたっての首相談話(=安倍談話)を、「厳粛さ」というモノサシで計ってみると、0点どころかマイナス点でしかない。
 「戦後70年」の出発点だった玉音放送と安倍談話を比較すると多くの点で対照的である。玉音放送はわずか4分30秒の簡潔なものだったのに対して、安倍談話は記者会見の読み上げ部分だけで30分余にわたった。文字数で言えば、玉音放送はわずか800字をわずかに上回るだけ。安倍談話は4000字を大きく上回る。
 内容面でも対照的である。玉音放送は、冒頭に<茲(ココ)ニ忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク>と臣民(=国民)向けメッセージであることを鮮明にした後、<朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ>と、ポツダム宣言を受諾させたことを鮮明に宣言している。末尾は<爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ>であり、全文が臣民に向けた呼びかけになっている。
 これに対して安倍談話の方は、「私」「私の内閣」などの主語を用いて、首相の意思、内閣の意思を表明することに全力をあげた。同時に国民への呼びかけもない。メッセージ性を完全に消去した文章なのである。

 安倍談話についてマスコミは、「植民地支配と侵略戦争」「反省」「おわび」などのキーワードが入るのか否かが注目される、と報道してきた。安倍談話には、それらのキーワードが出てくるのは確かだ。しかしその部分の記述は、過去の日本政府が、それらのキーワードで示される姿勢をとっていたことを、他人(ひと)ごとのように記述しただけなのである。
 玉音放送は、当時の国体の下では、あり得ないことだった。天皇は「神聖ニシテ侵スベカラ」ざる存在である。臣民向けのメッセージを発する立場にもないし、その必要もない。明治憲法下ではありえないメッセージをあえて発する昭和天皇にとって、極めて大きな決断だったはずだ。あえてして断行に踏み切った昭和天皇にとっては、生命がけの決断だった。近衛師団の一部が、録音番を奪い取ろうとして、行動を起こしたことは、もはや確定した史実となっている。この動きが成功していたら、昭和天皇の生命も奪われていたに違いない。
 41年12月の開戦の詔書については昭和天皇自身が、「私が署名を拒否したなら、私は廃帝となり、別の天皇が立てられたはずだ」と何回か語っている。玉音放送というメッセージを発しようとした昭和天皇が、廃位・殺害という運命に落ちるというのは、現実に怖れなければならない事態だった。

 安倍談話を玉音放送と比較するのは、トンデモナイことかもしれない。戦後50年の村山(富市首相=当時)60年の小泉(純一郎首相=同)の両談話と比較しても、安倍談話ははるかに長文で、内容は空疎にして貧弱だ。
 新聞社には「下手の長(なが)書き」という言葉がある。熱意を込めて書いた記事だが、デスクの手で3分の1ほどに削られる。デスクに読まされたうえに「下手の長書きだナ」と酷評される。「ひどいデスクだ」と思っていたが、自分がデスクになると、若い記者に対して、まったく同じことをしていることに気づいてしまっていた。
 安倍首相の場合、「下手の長書き」なんて言葉は知らないはずで、もちろんその認識もないはずだ。記者会見などでの発言を聞いていると、「アタマ良いでショ」と誇っている口調だ。どう考えても、首相の地位にふさわしい人物とは思えない。朝日・毎日やブロック各紙の社説は、安倍談話を批判しているが、その内容はそろって厳しさに欠ける。「安倍談話によって、首相は、その地位にふさわしくない人物であることが証明された」と断じ、早期退陣を主張する厳しさがほしかった。
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◆2.安倍政権の原点は「原発推進」ではなかったか?

 11日、川内原発(鹿児島県)の再稼働がスタートした。9月には通常の営業運転再開となる。2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故によって「原発が止まった国」になっていた日本が、「原発が稼働している国」に復活することになる。
 マスコミ報道で、この原発復活がなおざりにされているわけではない。しかし安倍晋三政権が全力をあげている「安保法制」問題に比べれば、小さな扱いだといえる。こうした扱いについて「不当だ」と異議申し立てするつもりはない。それでも、安倍晋三政権成立の事情からすると、「原発復活」こそが原点だったといえるのではないか。
 安倍政権についてマスコミの共通認識は、「(解釈)改憲」による『戦争ができる国』づくりに全力を上げる政権」といったところだろう。しかし安倍政権成立の事情から見るなら、原点は「原発推進」にある。「戦争ができる国づくり」は、イデオロギー的な政権であることを喧伝するための「芝居」だと見た方がよいと考える。

 4年前、2011年のことにさかのぼる。東日本大震災と福島第一原発事故の3・11の翌日。3月12日午後の福島第一原発事故での海水注入をめぐる騒ぎについて、菅直人首相(当時)が海水注入を中断させたと大誤報したのが、読売だった。5月21日付朝刊1面トップで、<首相意向で海水注入中断 福島第一 震災翌日、55分間>という大見出し。記事の主要部分を引用・紹介しよう。

<東京電力福島第一原子力発電所1号機で、東日本大震災直後に行われていた海水注入が、菅首相の意向により、約55分間にわたって中断されていたことが20日、分かった。海水を注入した場合に原子炉内で再臨界が起きるのではないかと首相が心配したことが理由だと政府関係者は説明している。(中略)
 複数の政府関係者によると、東電から淡水から海水への注入に切り替える方針について事前報告を受けた菅首相は、内閣府の原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長に「海水を注入した場合、再臨界の危険はないか」と質問した。班目氏が「あり得る」と返答したため、首相は同12日午後6時に原子力安全委と経済産業省原子力安全・保安院に対し、海水注入による再臨界の可能性について詳しく検討するよう指示。併せて福島第一原発から半径20キロ・メートルの住民に避難指示を出した。
 首相が海水注入について懸念を表明したことを踏まえ、東電は海水注入から約20分後の午後7時25分にいったん注入を中止。その後、原子力安全委から同40分に「海水注入による再臨界の心配はない」と首相へ報告があったため、首相は同55分に海江田経済産業相に対し海水注入を指示。海江田氏の指示を受けた東電は午後8時20分に注入を再開した。その結果、海水注入は約55分間、中断されたという。
 これに関連し、自民党の安倍元首相は20日夜、京都市内で記者団に対し「首相が誤った判断で(海水注入を)止めてしまった。万死に値する判断ミスで、ただちに首相の職を辞すべきだ」と首相を強く批判した。>

 記事中にも安倍氏が登場するが、安倍のホームページ「衆議院議員 安倍晋三 公式サイト」では前日の20日付で「菅(直人)総理の海水注入指示はでっち上げ」と題する文章を掲載している。「福島第1原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている『3月12日の海水注入の指示』が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました」という書き出し。「複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです」として、以下の内容が記述されている。
 「12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が『俺は聞いていない!』と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再会」
 「実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、 やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。(中略)そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。これが真実です」

 「フクシマ(東電福島第一原発事故)報道」が過熱気味だった時期だが、この読売の「大特ダネ」を追いかけた(=追随報道した)のは産経だけだった。産経は2面扱いで、<福島第1原発 地震翌日1号機、「首相激怒」で海水注入中断>という見出し。産経記事は、この「事実」が<政界関係者らの話で分かった>と書いている。
 末尾には
<自民党の安倍晋三元首相は20日付のメールマガジンで「『海水注入の指示』は全くのでっち上げ」と指摘。「首相は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべき」と断じた。これに対し、枝野幸男官房長官は20日夜「安倍氏の発言が偽メール事件にならなければいいが」と牽制(けんせい)。首相周辺も「激怒はしていない。安全を確認しただけだ」と強調した。>
 と書いている。海水注入「中止」をめぐる経過について、安倍氏と当時の菅直人政権が争っているという「政界もの」の記事にしたのが、産経の姿勢だった。

 このときの、ホントの経過はいま、様々なフクシマ本で明らかになっている。海水注入を聞いたとき菅首相は、海水に含まれている様々な物質が、核燃料の臨界を促進することを心配。班目氏に「海水が再臨界を促すおそれはないのか」と質問。班目は「可能性ゼロではない」と答えた。この問答を聞いていた東電の武黒一郎フェロー(当時=元副社長)が、携帯電話で東電福島第一原発所の吉田昌郎所長(当時=故人)を呼び出し「首相官邸の意向だ」として、海水注入をストップするよう命令口調で指示した。菅首相はすぐに、海水注入に代わる手段がない、再臨界促進の危険性は大きいものではない、の2点に気づき、逆に海水注入を促進させた。武黒氏の指示にもかかわらず、吉田氏は海水注入を中止せず、続行させていた。
 真相とは無関係に、「菅首相が海水注入中止を指示」の記事をきっかけに、読売は「菅退陣」キャンペーンを開始する。読売にとって「市民派」は敵視すべき存在であるらしく、菅直人政権については2010年6月8日の発足以来、「不適格な政権だ」と言わんばかりのキャンペーン的報道・論評を続けてきた。そのアンチ菅直人姿勢を「海水注入中止指示」の記事をきっかけにいっそう露骨にしたと位置づけることができた。

 当時の民主党内でも、小沢一郎氏らが、読売のキャンペーンに呼応し、ついには「菅首相退陣」が民主党内の大勢になった。菅氏は8月29日に退陣表明を余儀なくされ、後継は野田佳彦氏となった。野田氏は、千葉県議をスタートとする政治家だが、自民党所属とならなかったのは、選挙区事情によるだけ。父は自衛官で「A級戦犯は、『犯罪者』ではない」が持論。新党ブームとなった1993年7月総選挙で日本新党(細川護煕代表)から立候補し、以後当選を重ねている。
 菅氏の後任首相となったのは、民主党内に多い松下政経塾出身者の「トップ」だったという単純な理由だ。野田氏は1980年(昭和55年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業と同時に、発足したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。民主党国会議員中の松下政経塾出身者間では、「先輩を敬う」ことが不文律とされている。野田政権は、原発問題をはじめとするさまざまな政策課題で、自民党との対決色の薄い、あいまいな存在となった。

 安倍氏は2012年9月26日の自民総裁選で勝利した。この総裁選では、都道府県連代表も投票権を持つ1回目の投票で、石破茂氏が199票でトップ、安倍氏が141票で2位だった。しかし5人の候補者のいずれも過半数を獲得できなかったため行われた決選投票(上位2人が国会議員投票だけで争う)では安倍氏が108票、石破氏が89票で逆転した。
 自民党総裁選が決選投票にもつれ込んだのは1956年12月以来で40年ぶりだった。このときは石橋湛山氏が決選投票で岸信介氏を破った。しかし石橋氏は石井光次郎氏と二三位連合を組んでいた。トップだった岸信介氏が決選投票で敗れたのは、二三位連合のためであり、鮮明な票の動きだった。
 安倍氏が勝利した12年9月総裁選の場合、1回目の投票を議員票に限ると、安倍氏54対石破氏34だったという。決選投票での上積みは安倍氏は54票、石破氏55票だったことになる。安倍氏の勝利は、順当だったというのが、当時の解説的な新聞記事の語るところだ。

 それで正しいのだろうか? 石破氏が1回目投票で勝利したのは、大きなポイントである。都道府県連代表の意思も反映した投票の勝利者を、決選投票でも勝たせるのが、「和」を尊ぶ自民党員に好まれる行動様式ではなかろうか? 安倍氏には第1次政権のとき、1年で政権を放棄せざるをえなかったというマイナス面もある。それでも石破氏に匹敵する上積み票を獲得したことの方が不思議ではなかろうか?
 この総裁選で安倍氏の勝利をもたらしたのは東電ではなかっただろうか? 電力会社こそ、もっとも政治的な企業だといえる。票を動かすという点ではゼネコンなど土建会社が「主役」とされることが多い。しかし土建業者たちは、自らが選挙などの主役になるわけではない。「公共事業族」の国会議員を多数つくっておけば、公共事業配分のさい有利になると考えているだけだ。
 電力会社の場合、原発立地の候補地では、自ら主役となる。首長選などで「原発OK」の候補者を見出し、当選させるため全力を上げる。新潟県巻町(96年8月4日・東北電力の原発の是非を問う)▼同刈羽村(2001年5月27日=東京電力の原発でのプルサーマル発電)▼三重県海山(みやま)町(同11月18日=中部電力の原発建設)などでは、原発建設の是非を問う住民投票が行われた。それぞれ投票のさいには、電力会社が総力を上げ、下請け企業まで動員して「原発賛成」票を増やすための活動を展開するのである。

 こうした背景を考えるなら、12年9月自民党総裁選を動かしたのは東電だと言っても良いのではないか。安倍晋三氏は第1次安倍内閣が総辞職を余儀なくされたというダメージを抱えた政治家だった。「政権復帰などもうゴメン」という消極的な心理に陥っても不思議ではない。「それは通常人の感覚で、政治家は違う」という声もあるだろう。それにしても、何か強力にバックアップする存在がなければ、総裁選の立候補という決断にも至らない、と考えるのが自然だといえるはずだ。「強力にバックアップする存在」が東電だったとしても何の不思議もない。
 安倍氏は2012年9月の自民党総裁選に勝利し、同年12月の総選挙で勝利して、政権を獲得した。こうした経過があるからこそ、日本を「原発のある国」にするだけでなく、諸外国に対する「原発輸出国」にするためにも全力を上げているのではないか?
 2012年9月自民党総裁選の「逆転劇」について、当時の新聞記事はありきたりの「解説」ですませている。フクシマ事故という大きなマイナスを抱え込んでいた政治的企業・東電の行動を中心に緻密な検証が必要なはずだと思うがどうだろうか?

注)8月15日までの報道・論評を対象にしております。新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。敬称略の記述があります。
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 (筆者は元毎日新聞記者)


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