2015年9〜10月

■【読者日記——マスコミ同時代史】(22)

2015年9〜10月

田中 良太


◆◆【安倍晋三政権は弱いからこそ「強さ」にこだわる=総裁2期目で顕在化した病理】

●[問題の所在]

 自民党総裁選で現職・安倍晋三の無競争再選が決定したのは9月8日のことであり、安倍陣営が「無競争」にこだわったことは前号で書いた。その総裁選告示=安倍の無競争当選確定の日どりを前号では9月9日と誤記していたことに気づいた。それは誤りで、正しくは8日だった。今号の冒頭で訂正し、読者諸兄姉にお詫びしたい。

 安倍は再選に伴う内閣改造を10月7日行った。副総理兼蔵相の麻生太郎▼官房長官の菅義偉▼外相の岸田文雄など主要閣僚9人を留任させ、谷垣禎一幹事長ら自民党4役も留任となった。<「安全運転」を意識した布陣をとり、話題性のある人物起用などの「サプライズ」のない改造劇となった>(朝日8日付1面記事)などと評された。

 しかし総裁再選・改造に伴う安倍の言動は、サプライズに満ちたものだった。自民党が総裁選での安倍再選を正式に決めたのは9月24日の両院議員総会だった。それを受けた記者会見で安倍は、「一億総活躍社会を目指す」と宣言。関連して「アベノミクスは第2ステージへ移る」と語り、「新3本の矢」として▼希望を生み出す強い経済▼夢をつむぐ子育て支援▼安心につながる社会保障の3項目をうち出した。強い経済の具体策として「GDP(国内総生産)600兆円の達成を明確な目標に掲げたい」と語った。
 分かりやすいのはGDP600兆円目標である。各紙とも社説・解説的記事などで「難しい」という観測をうち出している。朝日は9月25日付朝刊に<アベノミクス、遠い実感 成長・消費・賃金、伸び悩む 首相会見「豊かさ」強調>という解説的記事を掲載した。2012年12月の第2次安倍政権発足後、日銀による大胆な金融緩和による円安効果などで名目は2年半で28兆円増え約500兆円になったという実績を前提にしながら、以下のように書いている。

<その結果、名目の国内総生産(GDP)は2年半で28兆円増え、約500兆円になった。24日の会見で首相は「GDP600兆円の達成」を掲げた。内閣府の試算によると、政権が掲げる「名目3%、実質2%以上の高成長」を続けると、5年後の20年度に名目GDPが594兆円に達する。総裁任期中の18年度に達成しようとすれば、「平均で5・2%の成長率が必要」(SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミスト)という。
 だが、ここ20年、日本の名目成長率が3%を超えた年は一度もない。潜在成長率が1%未満といわれるいまの日本では、きわめて高い目標だ。
 今年4〜6月期のGDPの実質成長率は、3四半期ぶりのマイナス成長となった。中国経済の減速などによる輸出の落ち込みに加え、GDPの約6割を占める個人消費が減ったからだ。>
 結論的には
<2014年度約490兆円だったGDPを600兆円に伸ばすのは容易ではない。>
という文章になっている。

 「GDP600兆円の達成」を「公約」のように掲げる言動の背景にあるのは、何ごとも政治が動かすという認識ではないか。
 私は現役の政治部記者時代、鈴木善幸内閣(80年7月−82年11月)のとき官邸クラブ員だった。宮沢喜一官房長官の記者会見を午前午後の2回聞くのが基本動作だ。その期間中「経済が動くのは、経済の法則によるのですから……」という言葉を連日聞いていたように記憶する。
 当時のことだから、記者団の質問は物価上昇についての認識や対応策を訊ねるものが多かった。ときに株価や地価の騰貴になることもある。そのたびに「経済の法則」が返ってくる。私が書いたわけではないが、その言葉を使って「政治の責任放棄ではないか」と批判・非難するような記事を読んだ記憶さえある。

 安倍の言動を分析すると、この「経済を動かすのは経済の法則」という認識に欠けていることが、大きな特徴ではないか。世の中にある法則は、経済法則だけではない。政治にも社会にも、人間の心理にも「法則」はある。それぞれの法則が確立しているわけではないが、法則を見出そうとして政治学、社会学、心理学などの学問が成立しているのだ。安倍の辞書にはどうやら「客観的法則」という言葉がないらしい。だから何ごとも政治の力で動かせるということになる。

 現役記者時代、自民党記者クラブ担当に配置替えされたこともある。そのとき先輩から「男を女に変えること以外は、何でもできると考えている人間たちの組織だから」とアドバイスされた。この自民党の体質からみると、宮沢喜一的な「法則重視」の発想は異端であり、法則無視の安倍の方が正統派と言えるのかもしれない。
 「安倍一強政権」なのだから、政治の世界では、首相・安倍の意図を阻むものは何もない。だから安倍政権は意図することを何でも達成できる……。こうした認識が、安倍政権を支配しているように思えてならない。
 「一強政権」という呪縛があるからこそ、GDP600兆円という困難な課題を自ら「公約」としてしまう。他方では「総力戦」「国民総動員」を連想させる「1億総活躍」というスローガンを掲げてしまう。

 しかし「一強政権」は政界内部のことだけだ。自民党内では安倍に対抗できる勢力がない。野党は四分五裂であるうえ、各党とも弱すぎて自公勢力に対抗できない。だから政界内部で力学は「安倍一強」となっている。
 しかし具体的な政策課題を達成していく力はどうか?と考えると、安倍政権の力は極めて弱い。国会議員の力量は低落を続け、いまや人材払底状況に陥っている。官僚の世界でも、「逆KY(空気を読むだけ)」で日々を過ごし、責任をもって課題の達成を目指すという意欲は皆無といえる状況になった。
 以下、「安倍弱体政権」の実態を、テーマごとに書いていきたい。

●[大臣に起用できる人材の払底]

 10月7日行われた安倍内閣の改造をめぐって、新聞各紙の論調はそろって甘かった。副総理兼蔵相の麻生太郎▼官房長官の菅義偉▼外相の岸田文雄など主要閣僚9人を留任させ、谷垣禎一幹事長ら自民党4役も留任となった。<『安全運転』を意識した布陣をとり、話題性のある人物起用などの『サプライズ』のない改造劇となった>(朝日8日付1面記事)などが一般的だ。
 留任が多くなったホントの理由は、主要閣僚に登用できる人材が払底しているためにほかならない。自民党では衆院当選5回、参院当選3回で「入閣適齢期」を迎えるとされていた。いまその条件を満たしながら閣僚になれない「待機組」は60人以上にのぼる。
 政治資金問題など、更迭を余儀なくされるほどのスキャンダルがないかどうか? 内閣官房が警察庁や内閣調査室なども動員して「身体検査」を徹底的にやる。それにパスした待機組はできるだけ閣僚に登用するのが、「党内融和」をはかる道とされている。

 しかし待機組の中で、閣僚となるにふさわしい能力を持つ人材がほとんどいないのが実態であるらしい。自民党の国会議員は政調(政務調査会)の部会に所属し、それが政策学習の場となる。各分野に詳しいと評価されれば、政務官や副大臣に起用される。それぞれ大臣を補佐する立場だが、それが充分にできない「半端モノ」がそろっているのが、入閣待機組の実態だという。
 今回の改造で閣僚交代は10ポストだったがうち1人は公明党議員、1人は閣僚経験者で新閣僚は8人。安倍首相は「自民党は人材の宝庫。初入閣閣僚は大いに能力を発揮してもらいたい」と言ったが、実態とは真逆だ。改造劇では、ハンパな待機組の中から8人を選び出すのに時間がかかったという。

 甘い新聞論調の中で、北海道新聞の社説(8日付=タイトルは<内閣改造 国民の疑問に答えねば>)はとくにひどかった。<下村博文氏が今回、文科相を退いたのは、東京五輪のエンブレムや新国立競技場をめぐる混乱を受けた事実上の更迭だ。改造に紛らわせて首相の任命責任を糊塗(こと)しようとする姿勢は、容認できない>という一節は、事実関係としても間違っている。
 下村が、東京五輪がらみの2問題での混乱の責任をとって大臣辞任を決意したというのは、首相官邸サイドと本人の言い分だけだ。事実上の下村後援会「博友会」が不明朗な政治資金集めをしていたことは一部とはいえ報道されていた。「週刊文春」誌は今年4月9日号で<《辞任勧告スクープ第6弾》下村博文文科大臣 大阪桐蔭から接待攻勢を受けた有力支援者>という特集記事を掲載した。
「博友会」は塾経営者(下村もかつてはその一員)を中心に東京・大阪など全国各地で組織されている。名称からして下村後援会であることは明らかで、「実態は政治団体そのもの」(週刊文春記事の文言)。それでも下村は<「任意団体』として逃げ切りを図って>(同)いたという。
 「第6弾」とはオドロキだ。週刊誌の売りものは「新鮮な話題」で、「週刊文春」誌も例外ではない。6回も続けたというのは、博友会の政治資金集めを極めて悪質と見たからだろう。

 第2次安倍内閣の改造は昨2014年9月3日行われた。このときは「女性閣僚5人起用」がセールスポイント。そのうち小渕優子経済産業相と松島みどり法相が10月20日安倍首相に呼ばれ、更迭を言い渡された。小渕は政治団体の不透明な会計問題の責任、松島は有権者に「うちわ」を配布した問題で、自発的な引責辞任の形をとった。今年2月23日には、西川公也農相も自身の献金問題で引責辞任した。
 政治資金問題に「弱い」のが、安倍政権の体質ともいえる。こうした経過からみると、下村氏の文科相辞任劇の真相は、博友会の政治資金問題であり、首相主導の更迭であることは明らかだろう。社説だとはいえ、当事者の安倍首相や下村氏の発言をそのまま真相としてしまうのでは、道新の看板が泣く。
 下村の後任文科相が、元プロレス選手の馳浩(54)というのもオドロキだ。馳は1995年参院選で自民党にスカウトされて石川選挙区に出馬・当選した。そのときの幹事長は、後に首相になる森喜朗。衆院に転じてからも、小選挙区は石川1区から立候補している。政界入りする動機、選出選挙区の両面で森喜朗の「子分」であることは本人も認める周知の事実だ。
 プロ入りする前、高校教員でアマのレスラーだった。その経験から党内では「文教族」に属し、教育基本法改定に熱心だった安倍晋三氏とも親しい。安倍氏には東京五輪がらみでミソを付けた下村氏を更迭し、失敗を繰り返さないための責任体制をつくるという発想はまったくなかったようだ。
 この件については次項もお読み下さい。

●[東京五輪はホントに開催できるのか? 無責任態勢に大きな不安]

 2020年オリンピックの開催地が東京に決まったことは、安倍晋三首相が自慢する「功績」のひとつである。それだけに2回目の東京五輪を成功させることは、安倍政権にとって最優先ともいえる課題だろう。
 今号の対象期間以前のことだが、その東京五輪をめぐって「失敗」と決めつけざるをえない事態があい次いで起きている。タテマエだけの「一強」であるからこそ、五輪準備の担当者には、「お気に入り」を任命せざるをえない。無能なゴマすりが大好きなのが安倍だから、有能な幹部による「責任体制」が築けない……。その弱さこそ、安倍一強政治の実態だろう。

 問題のひとつは、周知のように「撤回」を余儀なくされたエンブレムである。露骨な「安倍政権応援団」となっている読売新聞でさえ9月2日付社説で「エンブレム白紙 東京五輪の運営は大丈夫か」と不安を表明した。その前8月29日付では「新国立競技場 五輪へ失策はもう許されない」と書いたばかり。
 こちらの方のテーマとなったのがもう一つの失敗=新国立競技場の整備計画を全面的に破棄し、「新計画」に改定せざるをえなかったことである。破棄された旧計画は、巨大アーチ構造による開閉式屋根の設置に固執し、総工費が2651億円に膨れあがるうえ、五輪の前年2019年に予定されているサッカーワールドカップ(W杯)に間に合うかどうかも疑問とされた。新計画では総工費の上限は、1550億円に設定。巨大アーチ構造も止めて完成時期も早めた。

 9月2日付社読売説の書き出しは<2020年東京五輪はつつがなく開催できるのだろうか——。そんな不安を禁じ得ない>という文章。結びは<東京五輪を巡っては、新国立競技場の建設計画のやり直しに続く大きな失態である。政府や組織委は、気を引き締めて準備の遅れを挽回してもらいたい>である。
 これでも安倍政権への配慮は行き届いている。「気を引き締め」れば、「挽回」できるというのが、読売の主張だ。ホントのことを言うと、責任を持って「挽回」しようとする人物など誰もいない。政府と東京五輪組織委の主要メンバーを総取っ替えしなければ、東京五輪は「成功」にたどり着けない、というのが真相なのだ。

 2020年東京五輪・パラリンピックを運営する組織委員会は昨年1月24日発足した。会長は森喜朗元首相、事務総長は元財務事務次官の武藤敏郎・大和総研理事長が就任した。その時点で森会長は76歳、武藤事務総長は70歳。古希(こき)の爺さんコンビで、20年の五輪開催の時点では会長が傘寿(さんじゅ)の超高齢コンビとなる。
 森は、スポーツ関係ではいつも顔を出す国会議員として知られるが、その発端は早大に「ラグビー入学」したこと。父親が9期連続無競争当選だった石川県根上町(現在は能美市の一部)長だったが、それで早大に入れるわけではない。高校時代ラグビー選手だったので、早大ラグビー部に売り込み、ラグビー推薦で第二商学部に入学した。しかし入学後すぐに胃カタルを発症し、退部を余儀なくされた。
 森本人は大学も中退しようと決意していたが、当時の監督・大西鐡之祐氏(故人)に「バカもの!」「ラグビーだけが大学じゃないぞ、森君。縁あって早稲田に入ったんだ。早稲田精神を身につけて少しでも世の中の役に立つ人間になろうと君は思わないのか。将来、ラグビーに恩返しができるような立派な人間になってみろ」と叱責されたと書かれている。これは大西氏の人物の大きさを物語るエピソードとされる。しかし現象面だけみると、森はラグビーを口実に、早大に裏口入学したことになっている。

 「元産経新聞記者」を自称している。早大卒業の1960年、産経新聞は大卒記者を採用していなかった。当時産経の「支配者」だった水野成夫氏(故人)に頼み込み、特別な「入社試験」をやらせた。水野氏のお声ががりということで「不採用」の決定は誰もできない。採用はしたのだが、あまりに低レベルで「産経では使えない」と、当時発行していた経済紙「日本工業新聞」の記者となった。
 大学入学も就職も「裏口」だったのである。政治家には裏口経験者が多いが、フツーは裏口入学などを隠す。森の場合は自らの著書で、2回の「裏口」を堂々と書き、「賢いでしょう」と誇っているのだから驚く。

 1969年衆院議員に初当選し、以後14回の当選を重ね、2012年11月まで在職し続けた。2000年4月5日、首相に就任した。その直前の2日未明、当時の首相・小渕恵三が脳こうそくで倒れて緊急入院、意識不明のままだったため、青木幹雄官房長官(当時)が内閣総辞職の手続きをとった。後任首相については、当時自民党幹事長だった森をはじめ、野中広務幹事長代理、村上正邦参院議員会長、亀井静香政調会長に青木官房長官を加えた「5人組」が密室で協議。後継総裁を森と決めた。森は首相就任にさいしても得意の「裏口」を使ったのである。
 五輪組織委のあい次ぐ「不始末」について記者団は森会長の見解を求めるが、答は「しゃべる義務はない」ばかり。エンブレム問題を念頭に「残念な結果になりましたネ」と問いかけた記者団に、「何が(残念なんだ)?」と逆質問するという強心臓ぶりを見せたこともあった。組織委トップとしての「責任」という言葉など、森の辞書にはないというところだろう。

 会長がダメなら事務局長がしっかりしなければならない。しかし武藤敏郎は、「接待漬け」になっていた大蔵官僚の中心勢力だった「昭和41(1966)年入省組」の一員。武藤よりひどい接待漬け同期生が多かったため、「中ではマシ」という理由で事務次官(民間企業の社長に相当)ポストを射止めた。退官後はずっと「日銀総裁」候補だったが、日銀が拒否し続けて、実現しなかった。
 もともと東大卒キャリア官僚が得意なのは、「責任を負わないパフォーマンスに徹する」ことだ。日本的組織の中での人物評価は徹底した「マイナス評価」である。「アイツはコレコレで失敗した」となれば、一生うだつが上がらない。「アイツには失敗がない」となると順当に階段を上り、事務次官への道を歩めるのである。

 失敗しないパフォーマンスの第1手法は、「前例踏襲」である。以前行っていたことをそのまま踏襲する。結果は失敗のことも多いのだが「前例どおりやったのだからしようがないヨ」と失敗は問われない。
 前例踏襲できない場合がある。新しい事態に対応しなければならず、踏襲すべき前例が皆無なのだ。その場合は「大勢順応」となる。新聞の社説が書いていることも、他省庁が打ち出している方針も、政治家が主張していることも、どれも同じだとすれば、その大勢に順応する(奇妙なことにこの国では、ほとんどの問題で、「どれも同じ」なのであり、仮定形で語る必要がないほどである)。

 前例踏襲も、大勢順応もできない場合はどうするか。問題の処理を「先送り」すればいい。「難しい問題だから……」とか言いながら、判断・決断を避け続けていると、そのうち人事異動で、後任者の仕事になる。自分自身が責任を問われることはない。

 1に前例踏襲、2に大勢順応、3に決断の先送り。その背後にあるものは何か。自分の判断を放棄するという基本姿勢である。自分で判断すると、その責任は自分で取らなければならない。責任回避のためには、前例踏襲と大勢順応に限るのである。
 それを処世訓にして上手く立ち回ったからこそ、「ノーパンしゃぶしゃぶ接待漬け」でありながら事務次官に上り詰めることができたのが武藤だ。東京五輪組織委のトップが判断を求められる問題は、前例のないものばかりで、武藤が大蔵省でとってきた行動スタイルとは真逆のものが求められる。できるはずがないのである。

 東京五輪組織委の森会長・武藤事務局長コンビは、超高齢だけでなく、無責任・無能という欠陥も持っている。この人事の最終決定者は首相・安倍晋三だった。どんな人事でも、自分との関係最優先で人物を選び、好みの人物に決めていくのが「安倍流」だ。「お友だち優先」と批判されたこともあるが、いまでも客観的で公平な人事を志すにはほど遠い。
 問題は組織委トップの無定見・無責任だけではない。政府サイドの責任者は当時文科相の下村博文と、五輪担当相の遠藤利明だ。両大臣とも、「自分の責任」とは言わなかった。組織委は文科省の監督下にありながら、五輪担当相の任務とも関連する。その挟間(はざま)で両大臣とも責任をとらない……。こういう展開が安倍政権下では「当然」となっているのである。

●[一億総活躍という「総力戦」の不思議]

 安倍晋三首相の発言に驚くことは珍しくない。国会で答弁席からヤジることも多い。「早く質問しろヨ」と野党議員に「命令」したこともある。
 またまたやったか、ではすまないのが「1億総活躍社会」であろう。国民が漏れなく職場や地域で「活躍」する社会を目指す。内閣改造で担当相に、お気に入りの加藤勝信を器用した。1億総活躍プランを作るため走り出した。

 私は1942(昭和17)年生まれで、安倍晋三氏と同じ午年。しかしひと回り上で誕生日前日の今月12日満73歳となった。江戸時代ならとっくに「隠居」している年齢だ。落語の小言幸兵衛をご存知だろう。私自身に幸兵衛になろうとは思わないが、それも隠居生活を楽しむスタイルだったのだろう。
 先月21日の「敬老の日」に向けて、総務省が発表した65歳以上の高齢者人口推計(15日現在)は3384万人で総人口の26・7%に達する。総理大臣の命令一下、この人たちがそろって活躍できると、安倍首相がホンキで考えているなら「恐ろしい」としか言いようがない。

 1日付朝日の「天声人語」が書いていたが、敗戦直後の「1億総懺悔(ざんげ)」を思い起こす。第2次大戦(日中15年戦争+太平洋戦争)は「総力戦」であり、女性たちも「銃後の戦い」に動員される「1億総動員」だった。「1億総動員」が叫ばれることはなかったのが、せめてもの救いと言えた。
 天声人語には出て来なかったが「1億総白痴化」もあった。テレビ出現から間もない1951年、大宅壮一氏(故人)が予言したテレビ社会の暗い末路である。いま「1億総白痴化」はまさに実現していると言わざるをえない。
 14日付「朝日川柳」に<「一億」は党内からも虚仮(こけ)にされ>があった。マイナスイメージの強い「1億総」という言葉をどうして使うのだろうか。「活躍」がプラスイメージの言葉であっても、「1億総活躍」となると、安倍流総力戦の開戦宣言ではないかと疑わざるをえない。

 私は年寄りだから隠居を許されず、活躍を強いられることに抗議したい気持ちだ。若い世代は「歓迎」するのだろうか。「若者は派遣労働に動員されるばかりでゴミのように使われている」という告発を続けている雨宮処凛なら、「活躍できる正規雇用の職場をよこせ」と叫ぶだろう。国民各層の反応はどうか?と考えることをまったくしないのが安倍晋三らしい。それで首相ができて、「安倍一強」が定着しているというのだから驚く。

 前号で
<「おじいさんの岸信介首相だけじゃなく、池田勇人首相の役も果たしてください」。8月5日、首相官邸5階の執務室。安倍首相と向き合った自民党の谷垣禎一幹事長は進言した。>
 というエピソードを紹介した。9月9日付朝日朝刊の<時時刻刻 無投票決着、首相の執念 自民総裁選再選>記事中の一節である。
 谷垣の進言は、「国民の抵抗が大きかった安保法制は成立したのだから、今後は国民全てが歓迎する施策に力点を置いて下さい」という意味だとしか思えない。しかし安倍はそうした意味だとは理解できなかった。
 そのときも書いたが、安倍は著書「美しい国へ」(文春新書)の序文で、自ら「戦う政治家」を目指すと宣言している。「国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する」決意を表明した文章だ。「1億総活躍」が正しいとアタマの中で考えたなら、「批判を恐れず」宣言してしまう。これで国政のトップが務まるのなら、「結構なことだ」と皮肉を言う以外にない。

 「何でもできる」と考える安倍にとって、大切なのは「強さ」となる。安倍の視野には、政治の世界しかないはずで、その中での「強さ」にこだわる。その「強さ」志向は異常なほど肥大している。異常なほどに強さ志向を肥大化させる人物は、内心に「弱さ」を抱えている例が多い。
 周知のように安倍は第1次政権を丸1年で崩壊させてしまった大失敗を経験している。2006年9月26日の臨時国会で首相に指名され、その日内閣を発足させた。戦後最年少で、戦後生まれとしては初の首相となった。
 その後丸1年も経たない07年9月12日、安倍は急遽記者会見を行い、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣表明した。理由については「テロとの戦いを継続する上では自ら辞任すべきだと判断した」と語った。2日前の10日には、臨時国会で所信表明演説を行い安倍内閣を「政策実行内閣」と自称し、「職責を全うする」と決意表明していたばかり。たった2日で180度転換したことについて、新聞・テレビなどのマスコミはそろって「あまりにも無責任」などと罵声を浴びせた。
 退陣表明の翌9月13日、安倍は慶應病院に緊急入院。医師団は、検査の結果として胃腸機能異常の所見がみられ、かなりの衰弱状態にあると発表した。9月24日、安倍本人が慶應病院で記者会見し、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明した。そのころには機能性胃腸障害という検査結果も報道されていた。
 安倍の後任となる自民党総裁には、前回総裁選で安倍と争った福田康夫が選出された。国会で福田が首相指名され、福田内閣が成立したのは偶然9月26日となった。憲法の規定により、第1次安倍内閣はこの日総辞職し、その在任期間はちょうど丸1年となった。

 私見では、この失敗を招いたのは、異例の政務首相秘書官・井上義行(当時50歳)の存在だった。政務の首相秘書官は、首相になった政治家の秘書から起用するのが定石だ。井上は官僚、それも上級職公務員試験をパスしたキャリアでなく、旧国鉄職員から総理府(現総務省)に転じたノンキャリだった。北朝鮮による拉致問題担当として官房副長官時代の安倍に接触することが多かった。安倍に気に入られ、安倍官房長官秘書官に起用され、安倍内閣では首相秘書官に昇格した。官房長官や首相の秘書官は、官僚ならキャリアのエリートが着くポストだ。ノンキャリ官僚から政務の首相秘書官になったのは、長い内閣史上、井上の1例だけ。破天荒ともいえる異例の人事だった。
 その井上が、第一次安倍内閣の中心に位置する人物だとまで言われた。井上の「仕事」は唯一、安倍を賞賛することだったとされた。安倍が何か言うと「それが正しいと思います」と断言口調で賛同する。安倍政権に不利な情報があれば、「それは間違っています」と否定する。通常「ゴマすり」とされる行為だが、それが「仕事」だったことにも驚く。

 退陣の2カ月前、07年7月の参院選は自民党の獲得議席が37にとどまるという歴史的大敗だった。民主党が60議席を獲得し、参院第一党に躍り出た。選挙期間中に「このままでは惨敗。何とか手を打たなければ……」という声は自民党内に強かったのに、安倍は何の手も打たなかった。「このままでは惨敗」という自民党内の声について井上が「それは間違っています」と否定したのが、歴史的大敗のホントの原因と言われている。
 安倍は自民党総裁なのだから参院選大敗の最高責任者となる。「責任を負って退陣せよ」という主張もあった。井上が「間違い」と断言するから、安倍は引責退陣しなかった。しかし内心の大きな負担となった。消化器系統の病気は心因性であることが多いとされる。慶應病院医師団の「機能性胃腸障害」という診断も、まさに心因性の消化器病であることの証明ではないか。

 第2次安倍政権の政務首相秘書官は、通産・経産省のキャリア官僚今井尚哉だ。いわば成り上がりだった井上義行とはうって変わって、堂々たるエリート。日本経団連名誉会長の今井敬元新日鉄会長の甥で、毛並みの良さも際立っている。今井は、第1次安倍内閣では事務秘書官として安倍を支えた。今井自身も「安倍さんとは相性がいい」と言っているという。今井は井上のようなイエスマンではなく、ときに安倍に対して自らの主張をぶつけることもあるという。しかし気の合った秘書官の存在が欠かせないというのは、安倍の弱さの証明と見ていい。

●[最大の論点を逃したノーベル賞の報道]

 期間中の良いニュースにノーベル賞の、日本人連続受賞があった。生理学医学賞の大村智・北里大特別栄誉教授(80)と物理学賞の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)。私自身は、そのお二方とも名前さえ存じ上げなかった。不明を恥じるほかない。
 それだけならマシかもしれない。お二方の「業績」を新聞記事で読んでもよく分からない。大村氏の授賞理由はアフリカや中南米などで流行し、失明の恐れがある「河川盲目症(オンコセルカ症)」の治療薬の開発となっている。その恐ろしい病気があることも知らなかった。
 梶田氏の方は、大型観測装置「スーパーカミオカンデ」(岐阜県飛騨市)を使って素粒子の一つのニュートリノに質量があると証明し、質量はないとされていた現代物理学の「標準理論」を覆したとされる。ニュートリノって何? なぜ物質なのに質量はないとされていたの? アタマに浮かぶのは疑問符ばかり。記事をいくら読んでも、「正解」を理解することができない。
 たぶん「リケジン」でない大半の読者に理解できるよう、新聞記事で説明することは不可能に近い。各紙とも「科学雑誌等でお読み下さい」とでもしたいところだろう。ちなみに「リケジン」とは、女性だけに限定された「リケジョ」を、男女共通に拡大した新造語のつもりだ。

 「新聞記事としてはここまでが限界。それ以上は雑誌などで」という姿勢は、正直なホンネというだけではない。「リケキシャ」たちが聞きかじっただけで記事を書くために起こるトンデモナイ誤報を防ぐという効果もある。「スタップ細胞」にからんで、小保方晴子さんという女性研究者を、現代のヒロインに仕立て上げてしまった大間違いは記憶に新しい。
 たいへん分かりやすかったのは、大村氏の「定時制高校で生徒に教えられた」という発言だった。山梨大教育学部卒業後、都立墨田工業高校定時制の教師となったのだが、そのときの体験として以下のように語っている。

<(生徒は)工場で仕事を終えてから駆け込んできて勉強する人がほとんど。ある時、期末試験の監督をしていると、生徒が飛び込んできて、手には、まだ機械の油がいっぱいついていた。仕事を終えてから手を洗う時間もなかったんだろうと思うんですね。そういう風にして勉強している姿を見て、私は一体何をやっているんだろうと。非常にショックだったというか、これはもっと勉強しなきゃいかんなと(思った)。>

 この体験が動機となって、教員を続けながら東京理科大大学院で学ぶ。山梨大の研究者を経て北里研究所(東京都港区)に入所したのは29歳のときだったというから、かなりの「遅咲き」だ。
 大村氏の定時制高校での体験談は、教育の本質に触れたものと思われる。「教育」もまた人間関係の一分野である。教師だけが一方的に教え、生徒は教わるだけという関係は成り立たない。教師もまた、生徒に教わる。生徒から学ぶことによって、教師の方も成長するのである。大村氏は都立墨田工業高校定時制の生徒から学んだことを大切にして人生を組み立てたからこそ、ノーベル賞学者に成長できたといえるはずだ。

 日本の学校では教師が教え、生徒は学ぶという一方通行になっている。しかも教師には、生徒を評価するという「権力」まで与えられている。生徒は、知識を教え込まれるだけでなく、点数をつけられるという二重の「被支配者」である。あまりに無力な存在でしかない。
 教師の権力を象徴するのが教壇である。教師は一段上の教壇に立ち、生徒たちを見下ろす。小中学校のレベルで、教壇があるのは日本の学校だけのようだ。江戸時代の寺子屋には教壇などなかった。当時の庶民生活を描いた絵図面はいまも残っており、寺子屋を描いたものも多い。当然のことながら畳敷きの和室で、子どもたちは座卓で学んでいる。お師匠さんの方は、部屋の片隅に立ってみんなに話しかけているか、子どもひとりの傍らに座り込んで個別指導しているか、どちらかだ。
 明治政府にとって学校は、国家権力の「端末」だった。お師匠さんと子どもが平等であっては困る。教師と生徒となり、教壇によって格の違いを見せ付けたのである。第2次大戦後の日本では「民主教育」が叫ばれたが、「教壇を廃止せよ」という主張はなかった。
 新聞の社説でノーベル賞関連のものは多かった。それ以上にテレビのニュースショー番組でノーベル賞について語る「知識人」は多かった。それなのにせっかくの大村氏の体験談をもとに、教育のあるべき姿に触れたものはなかった。日本人の歪んだ学校観・教育観を改めるチャンスは、生かされないまま終わるようだ。

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 (筆者は元毎日新聞記者)


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