【マスコミを叱る】(35)

2016年10~11月

田中 良太


◆◆ 本稿のテーマ【迷走だらけだったトランプ報道】

 11月12日付の朝日川柳に「黒船がその気にさせていなくなり」と「トランプ一人で夜も眠れず」の2首があった。「黒船」は、どうやらTPPのことのようだが、2首を併せると「たった4杯で夜も眠れず」の狂歌とマッチし、傑作となるという読後感だ。
 8日投票だった米大統領選は、ドナルド・トランプ(70)の勝利となった。米国メディアの予測は大半がヒラリー・クリントン(69)の勝利で、日本の新聞・テレビも追随していた。ここまでの記述で2人の党名を入れなかったのは、クリントンがエスタブリッシュメント代表、トランプが「アンチ・ワシントン」勢力代表の意味を持っていたからだ。

 米国の首都・ワシントンは、人工的な「政治の町」であるらしい。ホワイトハウス=大統領府を中心とした行政機関▼上下両院の立法機関と民主・共和両党などの政党本部▼連邦最高裁という司法機関がそろっている。それだけでなく、シンクタンクや圧力団体など「政官関連機関」も構成員だ。
 米国は典型的で、かつ最強度の「世論政治の国」といえる。世論を形成する巨大な力を持っているテレビ・新聞もまたエスタブリッシュメントの一員だ。その新聞・テレビなどが、ブームと言っていいトランプへの流れを読めなかったのは当然だろう(後知恵ではあるが)。

◆沖縄タイムス記事が指摘した米国メディアの「ヒラリーびいき」
 米国のメディアが「公正中立」ではなかったという記事を「沖縄タイムス」紙で見つけた。「樋口耕太郎のオキナワ・ニューメディア」という署名入りの連載論評の11月13日号。この回は「ドナルド・トランプという目覚まし時計」と題していた。樋口という人は1965年生まれで岩手県盛岡市出身。89年野村証券入社。93年米国野村証券に行き、97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。2001年不動産トレーディング会社レーサムリサーチへ移籍し金融事業を統括。04年、経営難に陥っていた沖縄サンマリーナホテルを取得し、独特の手法で再生させた。06年事業再生・経営受託を専業とする「トリニティ」を設立、現在に至るまで代表取締役社長。12年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授となり、現職。
 樋口は以下のように書いている。
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 過去6カ月間、選挙のほぼ前日まで民主党の大統領候補ヒラリー・クリントン氏が優勢と言われ続け、あらゆるメディアが発表する「世論調査」では、クリントンの優勢が揺るぎないものとされていた。ところが、ニューヨークタイムズウェブ版の選挙特別サイト(http://www.nytimes.com/elections/forecast/president)では、私がリアルタイムで見ていたわずか3時間の間に、クリントンの「当選確率」が80%から5%に、トランプが20%から95%に「驚き」の逆転を遂げた。3時間で全米の有権者の意思が変わったとは到底思えないから、そもそも「世論調査」の方に問題があったと考えるべきだろう。それが意図的なものであろうと、システムの欠陥であろうと、問題を不作為に放置した結果であろうと、選挙報道のあり方としてのメディアに重大な瑕疵が存在したことが明らかになってしまった。
 そもそも今回の米国の大統領選挙における、米国のマスコミの態度は遠目に見ていても異様であった。過去6カ月前後の報道姿勢を見ている限り、大手新聞から、大手ネットワークの報道、ネット系のメディアまで、トランプがいかに人格的に不適格な人物かというメッセージを発し続けていたという印象が拭えない。

 アメリカの大統領選挙では候補者が数々の政治問題について公開ディベートを行うことが恒例で、選挙戦を大きく左右する天王山とも言われている。公平を期するべき3回のプレジデンシャル・ディベートでさえ、それぞれの司会者は露骨にクリントン寄りであったように思う。第1回目の司会を務めたNBCニュースのレスター・ホルトは、トランプに自らディベートを挑んでいるかのように振る舞い、また、税務申告問題や、女性蔑視発言など、トランプに不利になる質問を繰り返し投げかけながら、クリントンが公的メールを破棄したスキャンダルや、クリントン財団の不明瞭な資金の問題など、政治的にはより重要な問題を取り上げもしなかった(http://www.breitbart.com/big-government/2016/09/26/lester-holt-candy-crowley-moment-first-debate/)。2回目の司会で唯一の女性ABCニュースのマーサ・ラッダーツもトランプに対して冷淡だったが、後の投票日の選挙報道でトランプの勝利が濃厚になると、怒りと悲しみのあまり声を震わせて目に涙を浮かべるシーンが報道されている(https://www.youtube.com/watch?v=c4wzFfBWP5I)。ここまではっきりと反トランプである人物が司会に選ばれていたことは偶然なのだろうか。第3回目のディペートの司会を務めたフォックスニュースのクリス・ウォレスは最も公平に振る舞っていたようにも見えたが、それでもディベートの後でクリントンの発言時間がトランプに比べて6分以上長かったことをビル・オライリーに指摘されて、「そのことは自覚がなかった」と弁明している(https://www.youtube.com/watch?v=T4TedcZkgBg)(10:40)。

 私の勘ぐりすぎかもしれないし、単にねじけた見方なのかもしれないが、このような状況を見る限り、アメリカのエスタブリッシュメントがそれほどまでに当選させたくなかった候補がトランプであったと想像したくなる。既得権益者が反対する理由は、世界中どこでもほとんどひとつ、それは、既存の秩序を変える可能性が高いからだろう。

 ほとんどのメディアは、トランプがナルシシストでエゴイストで女性蔑視の人種差別者であることを印象付けようと躍起だった。しかしながら、選挙の論点で注目すべきポイントは他にもあったはずだ。例えば、トランプが既得権益者からの資金援助なしに、自分の財産で選挙戦を戦ったという事実は、現在のアメリカにとって大きな意味がある。政治は票なしにはスタートラインにつけないが、票を得るためには、多くの場合スポンサーとのつながりが生まれてしまう。このことは現代政治の重大な問題だと多くの識者が指摘している通りだが、既得権益者とのしがらみからここまで自由な米国大統領は近年存在しなかったのではないだろうか。

 私は、米国で不動産金融に関わってきた時から20年近く、ビジネスマンとしてのトランプを遠目にフォローしてきた。趣味やスタイルや人柄はともかく、彼がアグレッシブな実業家であり、大胆なリスクテイカーであり、タフなネゴシエーターであることに疑いはない。今回の選挙で彼がどれだけ批判され、スキャンダルにまみれ、支持率を落としても、驚くほどの粘りで最終的に「逆転」勝利を収めたことにも現れている。その力を認めないわけにはいかない。トランプが良い大統領になるかどうかは私にはわからないし、日本にとって、そして沖縄にとって、どのような効果が生まれるのかは本当に未知数だ。しかし、世界で最もパワーをもつ米国大統領というポストに少なくとも今後4年間、政治的なしがらみが最小限で、アグレッシブで、粘り強い人物が配置されると言う事実は、今後の日米関係の大きな変化を予兆させる。
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◆ツイッターで増幅されたトランプの「暴言」
 以下は樋口だけの見解ではないが、トランプの「暴言」は、ツイッターで増幅されていたのだという。極端な言葉であればあるほど、「下層」という自意識を持っている米国民はシンパシーを感じる。彼らはワシントンのエスタブリッシュメントによる政治に反感を持っており、トランプ暴言こそ、その心情を代弁したものと思った。だからこそツイッターでトランプ暴言を賞賛し、「同意」の意思表示をする。
 こうしたネット・メディアの構図を知り尽くしていたのが、ビジネスマン・トランプなのだろう。トランプはエスタブリッシュの一員になり切った新聞・テレビに反発し、ツイッターなどネット・メディアを活用した。それがトランプの勝因だったというのである。

 こうした構図は、米国にいる現役の日本メディア特派員なら、見えないはずはない。しかし結果論として新聞・通信・テレビなど日本の巨大メディアは、ほとんどが「クリントン有利」と予測していた。在米特派員は「トランプにも勝算」程度の原稿は送ってきたかも知れない。しかしそれは外信部のデスクによって無視された可能性がある。「APもUPIも、クリントン有利だ。君の判断の方が、APなどより正しいという判断はできない」とデスクが言うのだろう。
 古い話だが、1989年6月4日、中国・北京で起きた天安門事件について、北京特派員の一人から以下のような話を聞いたことがある。
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 ご存じのとおり、この年4月15日中国共産党総書記だった胡耀邦が死去し、以後、天安門広場では、学生・市民らが多数集まり、「追悼」を名目とした集会が続いていた。6月に入って中国当局は、この集会を「反体制」とみなし、軍を動員して鎮圧の態勢を整えていた。6月4日は「山場」と見られたが、彼が勤務する北京支局にはそのとき「現場に行け」と指示できる記者はいなかった。やむをえず、妻を現場に行かせた。
 未明から、戦車・装甲車を含む部隊が出動し、集会参加者に対して無差別発砲を行った。当然のことながら、現場にいた彼の妻は、その情景を目撃し、彼に電話連絡してきた。彼はそれを原稿にし、東京の本社に送った。しかし本社外信部のデスクは、その原稿を出稿さえしなかった。その理由は「APもUPIも、そんな原稿になっていない。巨大集会が続いているというだけだ」だった。
 その後すぐに「軍が出動・死傷者多数」という事態は鮮明になり、そのニュースは世界中に明らかになった。6月5日朝刊以降はそのとおりの報道に変わった。しかし4日夕刊段階では、同じ「軍が出動、死傷者多数」が世界的な大特ダネだったはず」と言うのである。
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 無関係なことだが、日本の新聞・テレビが「外電」という権威に弱すぎることの典型例だと考えるので、あえて紹介した。

◆ヒラリーは天井の上
 トランプの勝因は、そのままヒラリー・クリントンの敗因だった。ヒラリーは「ガラスの天井を打破する」とチャレンジャーを自称した。しかしヒラリーが「ガラスの天井」の下に位置するというのは、単に女性であるという性別だけのことだった。大統領夫人のとき、通常のファースト・レディーと異なり、閣議に出席して発言したことに始まる彼女の華麗な政治家歴によって、多くの米国人は、彼女を「ガラスの天井」の上に位置する人物と見なしていたのではないか。
 報道の面で迷走していたとともに、論評の面でも日本の新聞・テレビは冴えなかったといえる。

◆朝毎も読売も論調は同じ
 トランプ当選をうけた社説を朝日・読売・毎日3紙について見ると、以下のとおりになる(いずれも11月)。

【朝日】
●トランプ氏の勝利 危機に立つ米国の価値観=10日付
●「トランプ大統領」の衝撃 保護主義に利はない=11日付
●「トランプ大統領」の衝撃 地域安定へ試練のとき=11日付
●トランプ氏 米国のあるべき姿示せ=16日付
【読売】
●米大統領選 トランプ氏勝利の衝撃広がる=10日付
●トランプ経済策 保護主義は全世界の不利益だ=11日付
●トランプ外交 日米同盟の不安定化は避けよ=12日付
【毎日】
●米大統領にトランプ氏 世界の漂流を懸念する=10日付
●激震トランプ 日米関係 同盟の意義、再確認から=11日付
●激震トランプ 保護主義へ傾斜 世界経済の足元揺らぐ=12日付
●激震トランプ 米中関係 不安定化避ける対話を=15日付
●激震トランプ 米露関係 原則曲げた協調は困る=17日付

 1面トップが「米大統領にトランプ」だった10日付は3紙とも「1本社説」だ。「危機」「衝撃」「世界の漂流」などの言葉を使って、「革命」ともいえるほどの大きな変化を世界にもたらすという見方を強調している。その後、安全保障、経済などの分野についての「各論」を展開している。3紙とも、経済では「自由貿易」、安保では「日米同盟」を崩さないことが大切、と主張している。「朝読対決」とか、「護憲の朝毎・改憲の読産経」など、新聞論調は分かれているように言われることが多い。しかしトランプという巨大な「異分子」が登場すると、護憲派と改憲派の対立など吹き飛んで、日本の世論が、自由貿易と日米同盟一色になってしまったことに驚く。
 トランプは「米国が世界の憲兵ではあり続けることはできない」「米軍の日本駐留経費は日本が負担すべきだ」と言って当選した。
 少なくとも朝毎両紙は、「日本の首相は積極的に駐留経費の問題についてトランプと論議すべきだ」と主張することが望ましかったはずだ。沖縄基地は日本の防衛を目的としたものではない。米国がアジアでの軍事力を捨てないため、沖縄基地を手放さないのだ……という論理で、「米国が駐留経費を負担しないのなら、沖縄から撤退せよ」と主張すべきだ。これが朝毎両紙が主張してきた日米安保・沖縄などの論理ではなかっただろうか。
 日米関係が大きく変化するはずのときに、読売と同じような論理しか展開できないのでは情けない。
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(注)
 1.2016年11月15日までの報道・論評を対象にしています。
 2.新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。
   引用文中の数字表記は、原文のまま和数字の場合もあります。
 3.政治家の氏名など敬称略です。
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 (たなか・りょうた=元毎日新聞記者)


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