3年目の3月11日に思う

3年目の3月11日に思う

                     リヒテルズ直子

 震災後、オランダに在住する若い日本人たちが、Hope Step Japan という組織を作り、震災後の日本支援や、原発事故に伴う環境保護問題の勉強会や討論の場を設けるという活動を始めています。過去に行われた会合でも、日本国内では得ることが難しい見解や、オランダ人の原発専門家による現状分析など、ためになり、わかりやすい活動が続けられています。

 震災から3年目を迎えるに先立ち、3月8日、アムステルダムの古い倉庫を改造したフォーラム会場で、Hope Step Japan に協力する Wise International という反原発団体とともに、記念イベントが開かれました。放射能地域の家畜を巡る問題や、汚染水の現状などについての専門家の見解に交じって、今回は、原発事故後の「市民関与」について、新たにテーマとして話し合いたい、という希望が出され、僭越ながら、私から15分間のスピーチをさせていただきました。このスピーチは、1時間のトークショーの中で最初に行ったもので、その後、在日のオランダ人ジャーナリストからの報告、会場からの質疑などが続きました。

 15分のスピーチには、3年を経る間に、私自身が考えてきたことを基に、最近の日本での体験を踏まえて行ったものです。どのように受け止められるか、もしかすると、一般の文脈の中では、組合を支持する偏向した見解、と取られるのかもしれません。しかし、私自身は、何か政治的な立場を支持すると言うよりも、日本社会が、一日も早く、多様な価値観を平等に受け入れ、それらの様々な価値観の中で、子どもたちが、自分の頭で考えて、自分にとってふさわしいと思える考え方を身に着け、問い続け、考え続けるようになってほしいと願うばかりです。右翼であれ、共産主義であれ、両者の声が平等に聞かれ、静かに話される場で公衆に対して真摯に提出されるべきものだ、と思うからです。

 「デモクラシー」という言葉は、良く「民主主義」と翻訳されますが、それは、自由主義・社会主義・資本主義・共産主義などのように、ism で終わる言葉ではなく、-cracy という「体制」を意味しており、むしろ、このデモクラシーの中でこそ、すべての主義が平等に共存し、お互いを切磋琢磨させてより良い深い考えへと導くシステムであると思っています。

 現実に、それを、4歳から教えているオランダの学校のことを、私は、いろいろな著書や論稿で伝えています。オランダのシチズンシップ教育は、「表現の自由とは、相手に反対意見を言ってよい権利が認められていることである」と教えています。児童ポルノまがいの漫画を出版社が出すことが「表現の自由」ではない、と思います。

 そして、「デモクラシー」こそは、独裁体制に対峙するものとして、当面のところ、世界で発見された最も危機管理の高い政治体制のシステムだとも思います。子どもたちが、過去の問いの答えばかりを覚えるのではなく、それとともに、また、それにも増して、まだ誰も出会ったことのない問いに対して、果敢に考え続け学び続けることを求めるのも、デモクラシーが機能しているときにのみ起きることです。

 最近、イギリスの週刊誌 The Economist が、What’s gone wrong with democracy? という特別記事を発表していました。デモクラシーの危機は、日本だけの問題ではありません。ウクライナやロシアの問題をはじめ、アメリカもヨーロッパも中国もアラブ世界もアフリカも、世界中の国々で、一般の人々は、デモクラシーの危機のもとにおかれています。その一つの理由は、前世紀末から今世紀にかけて広がった産業・商業のグロバリゼーションによって、国家統治が、国内の問題だけではなく、国際的な政治的力関係の中で決まる時代に突入してしまっていることとも関係があるように思えます。ある意味で、国家統治の時代は終わり、物事が、地球規模で関係し合いながら動いているにもかかわらず、それを統制する仕組みを人類はまだ見出していないからなのではないかとも思います。

 そんな時代に、世界に一つの権力を求めるのか、それとも、世界の統治を文化や民族や宗教の違いに関わらず、人々の平等な参加によって、すべての人間の脳の働きと人間としての共感と知恵や工夫で乗り越えていくのか、、、、そう考えた時、今、デモクラシーが死に絶えようとしている事実に戦慄を覚えます。

 日本人が、「閉塞」の中で内にこもっていくことが怖い。国境を超え、世界の同胞と繋がり、日本国内の問題を、世界の問題として考える自由さと責任とを持っていかなくてはならないのだろうか、と考えています。

 以下、8日にお話しした内容の原稿です。当日は英語で話しました。そのため、ニュアンスの違いがあるかと思います。最終的に、議論を投げかけたものの、時間があまりなく、深まった議論にはなりませんでしたが、これからも、考え続けていきたいと思っています。

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Can the Japanese People—
Stop Nuclear Power?
  日本人は原発を止められるか?

Naoko Richters

Contents
1. Introduction: Outcome of the election for the governorship of Tokyo in February
  イントロダクション: 2月に行われた東京都知事選の結果
2. Personal episodes recently experienced in Japan
  日本での最近の見聞から
3. The Public Education and modernization in Japan
  日本の公教育と近代化

■ Introduction: Outcome of the election for the governorship of Tokyo
  はじめに:東京都知事選の結果

The election for the governorship of Tokyo which was held last month was the focus of many environmental activists in Japan. And its outcome was a great disappointment for them in the end.

先月行われた東京都知事選は日本の多くの環境活動家の関心の的でした。そして、その結果は、彼らにとって最終的に大きな失望に終わりました。

The question which the election left with us is probably exactly the same as the title of today’s talk: Can the Japanese people (ever) stop the nuclear power?

この選挙が私たちに残した問いは、おそらく、今日の私たちの話し合いのテーマである「日本人は原発を止められるか」というテーマと一致しているといえるでしょう。

As many of you know, in the election, Mr.Yoichi Masuzoe, conservative candidate officially supported by the members of LDP regional branch of Tokyo and Komei-to, LDP’s partner in the national government, won by 43% of the votes, while neither Mr.Kenji Utsunomiya nor Mr.Morihiro Hosokawa, two prominent opposite candidates supported by green activists, could get majority of the votes (Utsunomiya and Hosokawa: both 20 %).

皆さんもご存じだと思いますが、選挙では、自由民主党東京支部と、現政権で自民党と連立を組む公明党が支持した舛添要一氏が43%を獲得して勝利、グリーン活動家らが支持した二人の主要な対立候補、宇都宮健二氏と細川護煕氏は、いずれも多数票を獲得できませんでした。

To me, the most striking phenomena of the election were, first of all: the low voting rate, secondly: the failure of the opposition candidates to unite, and thirdly: the popularity of Mr.Toshio Tamogami, a right-wing candidate who supported re-opening of the nuclear power plants (, he received even 13% of the votes!).

私自身にとってはこの選挙に関して3つのことが気になる現象として残りました。まず、投票率が低かったこと、第2に対立候補が統一できなかったこと、そして、原発再開を支持した右翼候補田母神俊雄氏にかなりの人気が集まったことです。

The voting rate was as low as 46%, which is much lower than the last time (63%). Although the reason was said to be the heavy snow fall, it could also be interpreted as a sign of apathy or cynicism towards politics among the electorates.

投票率は46%という低さで、前回を大きく下回りました。大雪の影響があったとは言われるものの、これは、有権者の間に政治への無関心やシニシズムが広がっていることのあらわれであったとも解釈できると思います。

Concerning the second point, the voters who were concerned about how to stop the use of nuclear power were frustrated by having two anti-nuclear candidates who did not unite on this issue. None of the two candidates would probably win the majority, and this would give the advantage to Mr.Masuzoe, who would certainly take no direct action to stop the nuclear power, though he passively manifested that he is also against it.

第2の点については、原発をいかに止めるかについて関心の高い有権者にとっては、この問題で一つにまとまることができなかった二人の反原発候補者に対するフラストレーションは大きかったと思います。どちらの候補者も多数票が取れるとは思えないし、それが、反原発とは言いつつもすぐに原発停止に直接のアクションを起こすとは思えない舛添氏に有利な結果となるだろうことはだれにも予想がつくことです。

At the disaster of Fukushima Daiichi Nuclear Power plant three years ago, most people in Japan realised for the first time the fact that there are 54 nuclear power plants on the islands full of earthquakes and in danger of tsunami’s. Quite a few of them became politically active, too. I often have contact with young students and teachers in Japan through my work, and many of them became certainly much more seriously concerned about the future of the country than before. No wonder they are! Because they have to live there with all those problematic power plants in coming 50, 60, and maybe 70 years.

3年前の福島第一原発の事故で、日本に住む大半の人々は、地震と津波の危険に満ちた列島の上に54基もの原発があるという事実を初めて知りました。かなりの人々が政治的に積極的な姿勢を示すようにもなりました。私自身、自分の仕事を通して、日本の若い学生や教員たちと接触する機会がしばしばありますが、彼らの多くも以前に比べてこの国の未来に対してずっと真剣に懸念を持つようになってきているように思われます。無理もありません。こうした若い人たちは、これら問題含みの原発と、この先50年、60年、70年間も生きていかなければならないのですから。

Did these people ever go to vote, or stay home because they thought that their votes will not have effect on the outcome anyway?
Indeed, with the right wing support to Mr.Tamogami, the outcome of the election confirmed the conservative political landscape of Tokyo. Whether it reflects the will of all the electorates or not, eliminating nuclear power from Japanese territory by democratic procedure appeared to be very difficult.

こうした人たちは果たして投票に行ったのでしょうか、それとも、どうせ彼らの票は結果に影響をもたらすことはないからと、自宅にとどまっていたのでしょうか?
実際、田母神氏への右翼の支持の高さとともに、この選挙結果は、東京の政治が保守的な色彩を持つものであることを確認することとなりました。それが有権者すべての意思を反映するものであるのかどうかはともかく、日本の国土から民主的な手続きを通して原発を廃絶することは、極めて難しいことであるということが明らかとなりました。

Is democracy actually functioning in Japan? Democratization of Japanese Society was the issue of the world after the WWII. But did democracy ever grow roots there?

民主制(主義)は日本で実際に機能しているのでしょうか。日本社会の民主化は第2次世界大戦後世界の課題でしたが、民主制(主義)は日本に根付いたのでしょうか?

I have been occupied thinking of these questions for quite some time. And I am trying to figure out how public education can help to maintain a healthy democracy.

私は、これらの問いにすでにかなりの長い期間にわたって取り組んできました。そして、健全な民主制(主義)を維持するために、公教育はどのような役割を果たすのかを明確にしたいと考え続けています。

After spending 15 years in the countries like Malaysia, Kenya, Costa Rica, and Bolivia as researcher of pedagogy and sociology, since 1996, I live in the Netherlands, and I studied the education system here. With this experience, I also reviewed the public education system in Japan. I have published many articles and several books about education and about the social system in the Netherlands.

私は、15年間を、教育学及び社会学の研究者としてマレーシア、ケニア、コスタリカ、ボリビアなどの国々で過ごした後、1996年からオランダに住み、この国の教育制度を学んできました。そしてこの経験を通して、日本の公教育制度を見直してきました。オランダの教育や社会制度について論稿や本も著してきました。

■ Personal episodes experienced in Japan
  日本での個人的な経験から

・Unduly criticized Teachers’ Union and weak mass media
  不当な批判を受ける教員組合と弱いマスメディア

In January this year I travelled to Japan again. This time I was invited to give a keynote speech in the national annual meeting of Japan Teachers’ Union in Shiga.

今年の1月に私はまた日本を訪れました。今回は、滋賀で行われた日本教員組合の全国年次大会で基調講演をするために招待されたからです。

When I was asked to do this, the first thing that I was told was not to tell anyone about the location of the meeting. In fact, in 2008, the reservation of the hall for the opening ceremony for the union’s annual meeting in Tokyo was suddenly cancelled under pressure of right wing groups.

この招待を受けた時、はじめに言われたことは、大会の開催地をだれにも言わないでほしいということでした。現に、2008年、東京で行われる予定だった組合の年次大会の開催式典のために予約されていた会場は、右翼グループの圧力によって突然キャンセルされるという経験が過去にありました。

The annual meeting is held in a different city every year. After the opening ceremony, several tracks are organised around the city, where teachers present the result of their work and research. Officials and union members of the city which hosts the meeting have the heavy task to protect the 3000 or so members of the union from possible violence by right wing activists. Streets around the venues of the meetings are protected by many policemen. Still, each year the main streets of the city are filled with many black vans from all over Japan, equipped with electric loudspeakers, through which aggressive words are shouted, accusing the union’s members as “anti-national”, “unpatriotic”, “immoral teachers”, and so on, often accompanied by very loud military march music.

年次大会は毎年異なる都市で開催されます。開催式典の後、その市内の各地でいくつかの分科会が開かれ、教員たちの研究成果をプレゼンテーションする機会が設けられます。開催都市の行政官や組合メンバーたちは、3000人余りの組合員を右翼活動家から起こりうる暴力から守るという重い課題を持つこととなります。分科会の開催地周辺の通りは多くの警察官が監視しますが、それでも、毎年都市の幹線道路は、全国から集まった黒塗りのバンで埋め尽くされます。バンに設置されたスピーカーからは、「反国家主義」「非国民」「非道徳な教員」などといった攻撃的な言葉が叫ばれ、しかも、それはしばしば非常に大きな軍隊行進の音楽を伴って叫ばれます。

The point here is: even though the teachers in the union are seriously discussing issues like children’s rights to be critical, to participate in politics, or to discuss actual political issues in classrooms, they are shouted and put in a negative picture by these right wingers. The general public is gradually and often subconsciously made to believe that the Teachers’ Union’s members are politically biased teachers.

問題は、たとえ、組合の先生たちが、子どもたちが批判的に思考し、政治参加し、教室で現実の政治問題を議論する権利といった問題を真剣に議論していたとしても、この先生たちは、こうした右翼集団の叫びによってネガティブなイメージで塗りつぶされていくということにあります。公衆は次第に、そして、しばしば自分でも気づかないうちに、教員組合のメンバーは政治的に偏向した教員たちだ、と信じるようになっていくのです。

To be honest, I had to consider carefully whether I should accept the invitation for the speech or not. To be involved in the activities of the Union means taking a risk to be politically painted as at least as a “socialist”, or even worse in the Japanese context: as a “communist”.

正直なところ、私も、講演の招待を受けるべきかどうか慎重に考えざるを得ませんでした。組合活動に関わることは、自分自身が、少なくとも「社会主義者」あるいは、日本の文脈の中では、「共産主義者」というレッテルを貼られかねないからです。

After my speech on the first day, I actually attended some of the track meetings in the following days. One was about children’s autonomy at school, and another was about teaching gender equality and sexuality. In both cases I found the level of the discussion very high. Honestly speaking, I was more excited by the quality of the discussions than in many of symposia attended by famous university researchers. But the contents of the union’s meetings hardly appeared in detail in major newspapers or TV programs. What the general public in the street hear are the shouts and march music from the speakers of the black vans. These vans are often stationed around the anti-nuclear demonstrators around the parliament, too.

初日の講演の後、私は、実際、いくつかの分科会に出席しました。そのうちの一つは、学校における児童生徒の自治についてであり、もう一つは、性の平等とセクシュアリティについてどう教えるかについてでした。いずれの場合も、議論のレベルが非常に高いと感じました。率直に言って、この場での議論の質は、よくある有名な大学の研究者たちが参加するシンポジウムよりも興奮を感じるものでした。しかし、組合分科会の内容が主要新聞や主要テレビの番組に詳しく紹介されることはまずほとんどありません。路上の公衆が聞くのは、黒塗りのバンに取り付けられたスピーカーから聞こえてくる叫び声と軍隊行進の音楽です。これらのバンはしばしば、国会周辺に集まる反原発デモの参加者の周りにも現れます。

This phenomenon is not new in Japan. More than 30 years ago, in the middle of the Japan’s boom period, Prof. Ienaga’s high school history textbook was banned by government censorship because of its ‘progressive’ view, admitting Japanese war crimes. Journalists writing socialistically inclined articles often became targets of right winger’s violence and threats. This naturally weakens the freedom of journalism and more generally of expression in Japan.

この現象は日本で今に始まったものではありません。30年以上も前、日本が経済成長の最中にあった時、家永教授の高校の歴史教科書は、それが、日本の戦時中の犯罪を認める「進歩的」見解であることを理由に国の検定で不合格となっています。社会主義的傾向の記事を書くジャーナリストらは、右翼の暴力や脅しの標的となりました。こうしたことは、当然、日本におけるジャーナリズムの自由を弱め、結局は、表現の自由一般を弱めています。

My visit to Japan was shortly before the election for the governorship of Tokyo. Quite a few people told me that they found it strange that there was very little broadcasting about the election campaign on TV. It was as if someone was thinking that the political interest of the electorate should not be stimulated too much.

日本への私の訪問は、東京都知事選の直前でした。少なからぬ人たちが、私に、この選挙のキャンペーンの様子がテレビでほとんど報道されていないのが不思議だと言っていました。それはあたかも、誰かが、有権者の政治的関心はあまり刺激されない方がいいとでも考えているかのようでした。

・Lack of citizenship training at school
  学校におけるシチズンシップの欠如

I just spoke about political involvement of the people. But also expectation of the people, or rather the national leaders on the role of schools to raise their youth as democratic citizens is very different between Japan and The Netherlands.

私はいま人々の政治的関与について話しましたが、人々、いやむしろ国のリーダーたちがもっている、未成年者を民主的市民として育てるために学校が果たす役割についての期待は、日本とオランダできわめて異なります。

During the week followed the Union’s meetings, I held a few workshops for teachers, students, and members of local municipal governments in Japan. The aim of my workshops was to have the participants experience the lessons for citizenship that are given in primary schools in the Netherlands. Citizenship education became an obligatory subject in primary and secondary schools in the Netherlands a few years ago.

日教組の大会に続く週、私は、日本で、教員、学生、地方議会の議員などを対象として、いくつかのワークショップをやりました。私のワークショップの目的は、オランダの小学校で行われているシチズンシップの授業を参加者に体験してもらうことでした。シチズンシップ教育は、数年前、オランダの初等・中等学校で義務化されています。

The workshop participants were divided into three groups: pro’s, con’s and juries. More or less actual issues were presented for discussion like: “the consumption tax should be increased”, “the teachers in public schools should be relocated after 3 year service in one school”, “textbook used in public schools should be censored by the national government”, and so on. The participants debated an issue for 15 minutes. First they were very shy, but through this debate, they became more and more talkative with much expression in their face and gesture. In the end they enjoyed the activity like primary school children.

ワークショップの参加者は3つのグループ、すなわち、賛成派、反対派、審査員に分けられました。「消費税は上げられるべき」「公立校の教員は3年ごとに異動されるべき」「公立校で使われる教科書は国の検定を受けるべき」というような、よく問題になっているテーマを取り上げて議論のテーマにしました。参加者は一つのテーマについて15分間でディベートをしました。初め、非常に恥ずかしそうにしていた参加者たちは、このディベートを通して、お互いに話をし始め、表情や身振りが豊かになっていきました。結局、このアクティビティを、まるで小学生の様に楽しんでいる様子がうかがわれました。

The interesting thing is that they often told me: “it was very difficult to defend an opinion contrary to my own”, or “we, teachers, should do this kind of exercise more often at school”, or “I have never thought in my life what criteria we should use to evaluate someone’s arguments at debates” and so on. Obviously there is a need for this kind of exercise, and it’s fun.

興味深いのは、参加者たちが口々に私にこんな感想を述べたことです。「自分とは異なる意見を主張するのはとても難しい」「私たち教員はこう言うエクササイズをもっとしばしば学校でやるべきですね」「私は生まれてこの方、ディベートで誰かの論拠の立て方をどんな基準でどう評価すべきかなど一度も考えたことがありませんでした」というようなものでした。明らかに、こうした種類の練習はする必要があり、また、それをみんなが楽しんでいました。

■ The Aim of Public Education: creativity, citizenship, cooperation, communication and critical thinking
  公教育の目的: 創造性、シチズンシップ、協働、コミュニケーション、批判的思考

In the Netherlands, freedom of education is a basic principle. Schools are free to choose the pedagogical philosophy they prefer to organise their education system and delivery method. People can establish a school if they can collect a certain number of students and if they fulfil other legal requirements on teacher qualification, time spent on principal subjects, and so on. The school will receive a budget from the national government, irrespective of the preferred education system or method, or religious content if that applies. Parents and children can choose a school which suits most to their wishes and tastes, and if they are not satisfied with a school, they can raise their voice through the participatory committee (MR) or to the Education Inspectorate. On the contrary, in Japan, we have no freedom to establish a school which will receive a budget from the government, nor do we have participatory committee (MR’s) or an independent inspectorate which listens to the complaints from a parent or a pupil and which keeps an eye on the quality of education. The textbooks are censored by the government; teachers do their classroom practice under strong control of school leaders, who are in turn also rigidly controlled by municipalities and the central government.

オランダでは、教育の自由が原則としてあります。学校は、自分たちが教育システムを組織し方法を選んでいく上で、どんな教育哲学を用いるか自由に選ぶことができます。一般の人々でも、教員の資格、主要な教科に割く時間などといった法的要件を満たせば、自分たちで学校を設立することができます。学校は、それが望ましい教育かどうかとか、宗教的な内容がどうであるかといったこととは一切かかわりなく、国からの予算を受け取ることができます。保護者と子どもは自分の希望や好みに最も相応しい学校を選べるし、もしもある学校に満足しなければ、経営参加委員会を通して自らの声を上げることができ、教育監督局に苦情を言うこともできます。しかし、これとは反対に、日本では、政府から予算を受けて自らの学校を設立する自由はないし、経営参加委員会も持たないし、保護者や生徒からの苦情に耳を傾け、教育の質を管理している教育監督局もありません。教科書は政府の検定を受け、教員は、校長ら管理職者の厳しい管理下で教育活動を行い、この管理職者たちもまた、地方自治体や中央政府から厳しい管理を受けています。

The competitiveness of Asian school systems is well known in the world. The schools stress on cognitive test results, rather than on the social-emotional development of the children.

アジアの学校制度における競争の激しさは世界でもよく知られています。学校は、学科的知識についてのテスト結果を強調し、子どもたちの社会性や情動性の発達にはあまり関心がありません。

A high school in The Hague where I often bring Japanese students recently began an exchange program with a high school in Japan. They use internet to share students’ presentations, lessons and so on. The school in The Hague had already had contact with several foreign schools in Germany, Turkey, Spain, England, Singapore, and so on, and they recently formed a league of schools under the theme of Tolerance. The The Hague school encourages their pupils to exchange with foreign pupils to learn to be tolerant of differences and to become world citizens in the future. In front of the school, a monumental artwork was built recently, on which you can read Nelson Mandela’s words: “Education is the most powerful weapon which you can use to change the world”.

ハーグ市にあるある学校に、私はよく日本人の学生を連れて見学に行きますが、この学校が、最近、日本の高校との交換プログラムを開始しました。両校はインターネットを使って学生たちのプレゼンテーションや授業などを共有するようになりました。ハーグ市のこの学校は、すでに、ドイツ、トルコ、スペイン、イギリス、シンガポールなどの学校とコンタクトを持っていて、最近になって「寛容(トレランス)」をテーマに学校連盟を築くこととなりました。このハーグ市の学校は、生徒たちが外国の生徒たちと交流することによって、違いに対して寛容となり、未来の世界市民となるべく奨励しようとしているのです。学校の前に最近作られたモニュメントの芸術作品には、ネルソン・マンデラの言葉〈教育は世界を変えるために使うことができる最もパワフルな武器である〉と書かれています。

The teachers of the school were enthusiastic to include a partner school from Japan in this league and to plan actual exchange programs for students. But they find that the teachers of the Japanese school cannot find the time to do so because their school years are tightly planned and fully booked with testing and examinations. It is not necessarily the priority of the teachers, but they are pressured by parents and students whose minds are occupied with how to pass the entrance examination of the best universities.

ハーグの学校の教員たちは、この取組に日本のパートナー校も参加してほしいと強く願い、生徒達が実際に交流できるための企画をしようとしました。しかし、彼らは、日本の学校がテストや試験で埋め尽くされているために、日本の学校の教員たちが、そうするための時間が見つけられないことを知るのです。これは、必ずしもこの教員たちの優先順位がそうであるためだとは言い切れません。むしろ教員たちもまた、良い大学の入学試験に合格するために躍起となっている保護者や生徒たちからのプレッシャーの下に置かれているのです。

The chance to enter a famous university in Japan is determined by a one-time entrance examination, and not by a high school diploma, as in the Netherlands. To get a high school diploma you have to reach a certain level of achievement. But the entrance examination is a pure competition. You will never feel certain until you win the game. And for that game, high school students have to study endlessly to remember facts and skills which can be measured only on paper. They may pass the exam, but they lose a huge amount of time that could otherwise be spent for socialization or for development as a citizen.

日本で有名大学に入るためのチャンスは、一回限りの入学試験によって決まり、オランダのように、高校の卒業資格によって決まるのではありません。高校の卒業資格を取るには、何らかのレベルの達成度に到達しなければなりませんが、入学試験は純粋に競争です。このゲームに勝つまでは入学の確信を持つことは絶対にないのです。また、このゲームのために、高校の生徒たちは、紙の上でだけ測定することのできる知識やスキルを暗記するために、終わりなき勉強に励まなくてはならないこととなります。彼らは試験には合格するかもしれませんが、もしそうでなかったなら人間関係を育て、市民として発達するために使うことができたかもしれない非常に多くの時間を失ってしまっています。

Martha Nussbaum, professor of philosophy at Chicago University, started one of her books with, “All over the world people are struggling for lives that are worthy of their human dignity. Leaders of countries often focus on national economic growth alone, but their people, meanwhile, are striving for something different: meaningful lives for themselves.”

シカゴ大学の哲学教授マーサ・ヌスバウムは彼女の著書の一冊をこういう言葉で始めている。「世界中のすべての人々が、彼らの人間としての尊厳が守られる生き方のために苦闘している。国のリーダーたちはしばしば国家経済の成長のみに腐心しているが、その間に、そこに住む人々は、何かもっと別のもの、彼ら自身にとって意味のある生き方のために戦っている」と。

I wonder whether the dignity of Japanese school pupils is respected by the national government, and by the society.

日本の学校の生徒たちの尊厳は、果たして国家政府、そして、社会から尊重されているのだろうか、と私は思います。

Actually, the present government is again busy tightening their centralised control on textbooks and teachers, and decided national testing of all the children. Why do they so?

実際、現政府はまたしても、教科書や教員に対する中央集権的な管理を強めようとし、すべての子どもに対する国家的な統一テストの実施が決まっています。なぜそうするのでしょうか?

■ Successful industrialization on the price of democracy
  民主制を犠牲にした産業化の成功

The answer is quite simple: The success of Japanese industrialization and economic growth was achieved on the cost of the democratization of the people.
答は簡単です:日本の産業化と経済成長の成功は、人々の民主化を犠牲にして達成されたものだからです。

The public school system was a sieve to select the best students for the fast development of technology and of the huge bureaucracy to hold the system as it is.

公教育制度はテクノロジーの早い発展とシステムを維持していく巨大な官僚制にとってベストの生徒を選別する篩(ふるい)だったといえます。

Democracy takes a lot of discussion and communication time. Critical citizens would have been an obstacle for the quick development of the nation.

民主制は多くの議論とコミュニケーションの時間を要します。批判的市民は国家の早い発展にとっては障害だったといえます。

Building 54 nuclear power stations on islands with frequent earthquakes are a symbol of this mentality.

頻繁に地震が起きる列島の上に54基の原発をつくったことは、こうした精神性の象徴といえます。

If this is the idea of the public education system in Japan, the apathy towards the politics was the intended purpose of the system by the leaders. The entire society is based on this mentality, and it will be reproduced in the future, too.

もしも日本の公教育の考えがこういうものであるのならば、政治への無関心は、リーダーたちによって意図されたこのシステムの目的だったということになります。社会全体が子のメンタリティに基づいており、それは、未来にわたっても再生産されていくのです。

“Education is powerful to change the society”, but it is also powerful to stand firm with a conventional mentality!

「教育は社会を変えるパワフルな力を持っています」が、それはまた、因習的な精神性を固守するためにもパワフルな力を持っているのです。

So how can we break this seemingly deadlock situation of Japan? I would like to discuss on this question further in this talk.

それでは、一体、このもはや行き詰ってしまったと思える日本の状況を私たちはどうやって打ち破ることができるのでしょうか。この問いについて、今日の討論の中で話し合っていければ、と思います。

 (筆者はオランダ在住・教育・社会問題研究者)


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