【コラム】
ザ・障害者(29)

7月の参議院選挙をふり返って

堀 利和


 今回の参議院選挙では憲政始まって以来の大快挙が起きた。重度のALS患者の舩後靖彦さんと重度脳性マヒ者の木村英子さんが当選し、みごと参議員になったことである。そして、岩手県の野党統一候補者でパラリンピックの車イスのメダリスト横沢高徳さんも当選したことである。さらに落選はしたものの、全国比例で立憲民主党から立候補したいわゆる「筆談ホステス」・聴覚障害者の斉藤りえさん、私はその後援会長、選挙事務所長として戦った。
 気づいたらこれほど多数の障害者が一堂に選挙戦を戦い、3人もの国会議員を誕生させたことはまさに快挙である。かつて車いすの八代英太さん、視覚障害の私の2人が14年程前まで国会議員として席を置いていたが、以来誰もいない状態が続いていた。

 これは欧米や隣国の韓国と比べてむしろ異例な状態であるといえる。数の論理から単純に言っても、障害者は全国に600万人、20人に1人が障害者であるから、国会議員700人余で計算すれば少なくとも30人から35人の障害者が国会に籍を置いていてもよいわけである。こうした負の現象は女性議員が少ないという事情にも通底する。それは欧米に比べて女性も社会進出、社会的地位が低いため、こうした現象が起きている。社会進出、社会的地位が低いことの証左であるともいえる。これは障害者にも当てはまる。その意味では、社会参加と政治参加は車の両輪であり、同時に解決されるべき課題であるともいえる。

 また同様のことからも、選挙区と比例区の選挙制度をみた場合、そもそも候補者になること自体難しく、また当選もおぼつかない。一言でいって全国的な大きな業団体や大労組がバックになければその可能性は開けず、あるいはタレントなど有名人でなければ立候補すら、また当選すら殆ど皆無に等しい。特に参議院の比例代表選挙では市民型の草の根運動からの候補者はまず当選できない。
 選挙制度に限って言っても、現在の非拘束名簿方式では絶望的である。かつての拘束名簿方式では、党の力が強すぎるとはいえその可能性は開ける。だから少しでも話題性のある候補者でないと道は開けない。れいわ新選組は2人の障害者に「特定枠」を適用し、1位と2位に順位を位置づけたからこそ実現できた。

 この2人の快挙ともいえる画期的な話についてはすでにマスコミでも大きく取り上げられているが、岩手県選挙区の横沢さんはあまり取り上げられていない。なぜなら、それはすでに八代さんが先駆者として国会を車いすバリアフリーに変えていたから、それは「ふつう」になって、その「ふつう」もまた素晴らしいことである。残念ながら落選した斉藤りえさんについていえば、地方議員にわずか聴覚障害者は存在するものの、国会にはいまだ誰一人存在していない。憲政始まって以来の聴覚障害者国会議員が誕生していたら、国会内でもコミュニケーション・情報伝達手段のバリアフリー化、耳の全く聴こえない、話せない、そのための国会運営やシステムが大きく改善されたかもしれない。国会という象徴の場で、これが本格的に取り組まれればコミュニケーションのバリアフリー化が社会的にも進んだことであろう。

 舩後さんと木村さんについてはマスコミでも大きく取り上げられているのでここでは詳細は割愛するが、まさに2人の「存在」そのものが国会を、社会を変えるための輝かしい光となっている。重度障害者の訪問介護も重度の就労介助の在り方についても一石を投じている。ともかく、「存在」が山を動かしていることは確かだ。
 斉藤りえさんの落選にあたって、応援をしていただいた方々に対して私の「謝意」の文章の中で、最後にこう結んだ。「がんばらなくても生きていける社会を創るために、がんばります」。

 (元参議院議員・共同連代表)

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