August 1945―失われた12日間

臆子妄論 西村 徹

August 1945――失われた12日間 

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 BBCラヂオ4の中でAugust 1945という番組を見つけた。日本が降伏した
1945年8月14日から60年目になる記念企画として、45年8月3日のポツダ
ム宣言から14日の日本降伏に至る12日間をリアルタイムの日記形式で再現し
ている。英国の日付のままなので、それぞれ一日加えると日本の日付になるはず
であるが、なぜか広島長崎の原爆投下の日付は、それぞれ6日及び9日。日本日
付と一致している。

 当時のニュース放送その他の録音アーカイヴ、その後に行われたインタヴュー、
ときに小田実の肉声なども織り交ぜて綴っている。日本軍の捕虜になった兵士を
含めて戦闘を生き残った英軍兵士や日本人被爆者の証言、あるいはマンハッタン
計画にかかわった科学者の声やケネディー時代の国防長官マクナマラが当時上
官だったルメイの説を引いて原爆について懐疑的に語る談話なども収録してい
る。http://www.bbc.co.uk/radio4/history/august1945.shtml
 断っておくが私はいわゆる英語耳を持たない。左耳難聴もあって英語はおろか
日本語も北野タケシの早口がしばしば聞き取れないような鈍感な耳である。放送
の全貌を忠実に伝える能力も気力もさらになくて、ところどころおもしろいと思
ったことを抓んで、他に得た知見もこきまぜて触れるだけだから、確かなところ
は上のURLで直接お聴きいただきたい。

 なによりも強い印象を受けたのは、いかに日本指導層がこの12日間を空費し
たか、ためにいたずらに多大の犠牲を、わけても自国民に強いたかということで
ある。戦闘力をまったく失い壊滅状態にあって、なおかつ広島長崎、地方諸都市
爆撃、ソ連参戦、65万のシベリア抑留を呼び込んだのはこの12日間においてで
あり、ひとえに指導層の怯惰無責任によるものだったということである。
 この12日間の大状況としての事実経過は周知のとおりで耳新しいことはある
べくもない。広島原爆投下の破壊力を伝えるものとして、その迫真性は同じBBC
制作のエノラゲイ機上からの映像には及ぶべくもない。しかし音声だけになると、
かえって映像とは位相のちがう、遠近法的な空気感とでもいうべきものがきわだ
つようにも思う。

 3日にはトルーマン、アトリー、スターリンはポツダム宣言を仕上げ終わって
既に帰路に着いた。4日のロンドンは暑い夏の日和にめぐまれて各地は記録的な
休日(土曜)の人出でにぎわい、王と女王もアスコット(競馬場)に姿を見せた。
既に5月8日に戦争は終わっているのだから当然ではあるが、ヨーロッパは平和
ムードに包まれている。ちなみに、この5月8日ドイツ全軍が降伏したのと「同
じころ、ビルマのラングーンでも、日本軍はスリム将軍の指揮するイギリス第
18軍に降伏していた」(中西輝政『大英帝国衰亡史』PHP文庫316ページ)の
であり、この作戦だけで失った兵員数35万、「第二次大戦でのイギリス兵の戦死
者が39万7千人」(同上250ページ)に迫る数に達していた。

 さてBBC放送にあるように、当時の日本としては夢のような、遥かな発信地
の平和な生活点描が一言挿入されることによって、当時の日本の、まさに断末魔
の惨状が、深い吐息とともに記憶によみがえってくる。主要都市はことごとく灰
になって、食糧にも衣料にも、また住居にも事欠き、夜ごとの無差別爆撃の中を
命からがら逃げ惑う修羅場の情景が、逆に映像が捨象された分喚起力が強く、い
っそう沈痛に記憶の底から浮かび上がってくる。地獄図絵の片隅に、さりげなく
極楽の絵が明滅するかのように。
 8日の放送によれば「ミスター・アトリーは最初の総員閣議を開き、食糧大臣
起案に基づき冬に備えてヘットとチーズの増配を決定した」。「ヒロシマと
チーズの配給」。Priority of the nation is still partly at war, partly
at peace.と頭韻によって皮肉を利かせている。敗戦国のイタリアには食糧が
豊富で勝利国のイギリスがこの有様だから国民にとってはほろ苦くもあったろ
う。

 こちらはほろ苦いどころではなくて広島の惨劇のただ中、茫然自失するばかり
の深夜にはソ連が対日宣戦を布告し、9日午前零時を期して旧満州、千島、樺太
の全戦線にわたって怒涛のようにソ連軍進攻。これによって日本の降伏が早まり
プルトニウム原爆の実験が未遂に終わるのを恐れた米軍は、午前11時2分長崎
に二発目の原爆を落とした。トルーマンは原爆投下を日米両国民のさらなる大量
犠牲を未然に防ぐためであったというが、原爆投下は最終実験として早くから計
画されていて、長きにわたって核爆弾開発に関与してきた科学者のオットー・フ
リッシュはこの放送のなかでも「デモンストレーションは一発で十分のはず」と
証言している。

 また3月10日に東京東部で8万人を焼き殺し5月25日に東京山の手で22万
戸を焼いた実績に立って、ルメイは「焼夷弾だけで四五週間内に日本を降伏させ
うる」とし、原爆の必要性を否定している。これもこのラヂオが伝えるところで
ある。ルメイの作戦を選択していたとして米兵の犠牲はほとんど増えなかったで
あろうし、日本側死者数は広島長崎の死者数に達する以前に降伏しえたであろう。
いずれにせよ原爆被害は他の場合と数量的に比較できない質のものであり、原爆
投下は絶対に選択肢たりえない戦争犯罪である。
 それでも「彼我の犠牲を最小にするため」という後付の屁理屈は広島だけなら
ば多少は言い訳らしくも聞こえるが、その屁理屈からいっても不必要な二発目に
は全く通用しない。したがって二発目は一発目の言い訳もまた真っ赤なウソであ
ることを暴露してしまった。火をつけて家を燃やしておいて、これ以上火事がひ
ろがらないためだといい、そういいながら、またもうひとつの家に火をつけるよ
うなものだ。日本軍の生体実験を、その資料と引き替えに免責したのと同じく、
原爆の生体実験をみずからに免責しようとするに他ならぬことをみずから立証
してしまった。

 1963年ワシントンDCの大行進とキング牧師のI have a dream演説以前の、
1964年公民権法制定よりはるか以前の1945年、しかも敵愾心によって増幅さ
れた人種偏見を考えれば相手が黄色人種であることが実験の誘惑を強いものに
したのは容易に想像できる。昭和天皇自身が対欧米関係において黄色を強く意識
していたことは『昭和天皇独白録』にも散見される。
 この放送でいちばん最初におどろいたこと、最初にいうべきことを最後に書く
ことになる。
 3日ポツダム宣言に対して日本政府がこれを「黙殺する」と答えたことは夙に
知られている。"ignore"という表現であったと私は聞いていた。ところがこのラ
ヂオでは日本側回答は"Kill the declaration by silence"であったとする。外務大
臣(東郷茂徳)私設秘書加瀬俊一の言葉として"We just keep silence and do not
comment on the Potsdam proclamation, kill it by silence"と伝えている。
 "ignore"と"kill it by silence"どっちがどっちかといわれると困るが、"ignore"
は「無視する」「知らないふりする」で、礼を欠く態度ではあるが、やや消極的、
"kill it by silence"となると、こういう英語があるかないかは別として文字通
り「黙殺」だからどぎつい。むしろ手袋をたたきつけた感じで、この放送の初回
で私は真っ先にこれに衝撃を受けた。これははじめの3分ぐらいに出てくる。日
本人英語だから誰にも聞き取れる。是非お聞きになっていただきたい。

 片方ではソ連にすがってタオルを投げていながら、面と向かって手袋を叩きつ
ける、この外交感覚はいったいどうなっているのだろうか。もっともっと踏んで
蹴ってぶちのめして、どうぞ早く息の根をとめてくれと、こっちから催促してい
るようなものではないか。アメリカにしてみれば原爆を落としてくれと催促して
いるようにさえ思うだろう。もしかしてスイス公使の加瀬俊一は軍閥権力に愛想
をつかしていて、いささか自棄的にわざと愚直にこんな英語にしたのであろうか。
それとも私がなにか大きな勘違いでもしているのであろうか。ただ困惑のほかな
い。
 戦さには勝ち負けがあって、下手に勝つより上手に負ける方がよい場合さえあ
る。負け方もそろばんに入れて戦うのが筋というものだろう。日本の陸海軍両大
学校では負け方は教えなかったのだろうか。日本の十倍ぐらいの戦力を持つドイ
ツの尻馬に乗って戦争を始めたのだから、負けるときもドイツの尻馬に乗るぐら
いのことをあらかじめ決めておけば被害ははるかに少なくすんだ。
 このほど久間元防衛大臣の「しょうがない」が問題にされた。「しょうがない」
は多義的で、「度し難い」の意にも使う。「しょうがないヤツ」というぐあいに使
う。ことに長崎の「しょんなかと」は東京弁の場合よりさらに幅があるようだ。
また「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、
そういう思いは今でもしているが」とも言っていて、かならずしも全面的原爆是
認論ではない。

 しかし「長崎に落とすことによって、本当だったら日本もただちに降参するだ
ろうと、そうしたらソ連の参戦を止めることが出来るというふうにやったんだ
が」という戦史に関する誤認は防衛大臣として、そのお粗末は責められるに値す
るであろう。ソ連はヤルタで参戦を約束していた。3ヶ月後の8月8日の宣戦布
告も9日午前零時の開戦も約束どおりであり、午前11時2分の長崎原爆投下に
先立つ。「ソ連の参戦を止める」もなにもあったものではない。
 気になるのはもし「しょうがない」がなかったらマスコミは果たして久間発言
を問題にしただろうかという点にある。なんでんカンデン言葉尻だけを捉える。
肝心のところは滑っていってしまう。このあたり今のマスコミの心配なところだ。
 ともあれ久間事件で焼けぼっくいに火がついた。押され気味だった平和主義が
息を吹き返した。怪我の功名というべきか。「従軍慰安婦謝罪要求決議」に倣っ
て「原爆投下謝罪要求決議」を議題に乗せてもよいだろう。いきなりそこまで行
かなくても「主張する外交」などというのなら、なんらかの意志表示はあってよ
かろう。アメリカ人の原爆投下に対する世論も少しづつではあるが理性を回復し
つつある。アメリカは戦時中の日系人抑留については謝罪した。ブッシュのイラ
ク侵略をあれほど熱狂的に支持したアメリカ人は今は反省している。

 さて、ここで、やはりどうしても気になるのは、いつも「アメリカが、アメリ
カが」と、ひとしきり騒いで、防衛大臣のクビひとつ取って、そこで満足してし
まう点だ。言葉叩きがガス抜きになって、じっさいにはアメリカになにをいうで
もなく、12日間を空費した日本指導層のサボタージュには届かずじまい。届か
ないどころか、きれいに忘れてしまっている点だ。原爆についてアメリカを叩く
なら叩くで、同時に日本の戦争指導者をもかならず叩くことをわすれてはならな
いだろう。アメリカを叩く以上にこのほうがはるかに大事だろうと思う。
               (筆者は大阪女子大学名誉教授)