【オルタの視点】

NLD政権発足後一年、ミャンマーの現状と課題

中嶋 滋


◆◆ NLD政権をめぐる最近の状況

 2015年11月の総選挙での圧勝を受けて2016年3月にNLD(国民民主連盟)政権が発足して、早くも1年が経過しようとしている。新政権は、圧倒的多数の国民からの期待に応えて民主化に向けた政策実施を着実に進めているのであろうか。

 周知のように、旧軍事独裁政権により2008年に制定された現行憲法は、国軍に特別権益を保障する一方、国民の基本的人権に対して数々の不当な制約を課している。それ故に総選挙で圧倒的支持を獲得した政党の党首アウンサンスーチー氏が大統領に就任できないという非民主的で「奇妙な」事態が生じた。NLDは、憲法上規定はないものの設置が禁止されてもいないとして、特別法によって「国家最高顧問」[註1]を新設してアウンサンスーチー党首を就任させ、その事態の「克服」を図った。当然、国軍は猛反発し議会内で4分の1を占める非選挙軍人議員はこぞって猛烈に反対したが、NLD側は多数決によって押し切った。国軍との緊張関係は一挙に高まったが、NLDへの国民の圧倒的支持の中で国軍側が結果として「既成事実」として受け止め、事実上の政権トップ「国家最高顧問」の主導[註2]のもとでの政権運営がなされている。

[註1]2016年4月1日上院可決、4月5日下院可決、4月6日大統領署名で成立。大統領、副大統領、各大臣などに助言/指導する権限を持つとされ、5年間の時限立法で新設された。NLDが国軍の反対を押し切り強行成立させたため、国軍との対立が先鋭化した。
[註2]外務大臣、大統領府大臣も兼任し、ASEAN首脳会議などの国際会議に国を代表して出席している。

 NLD政権は、国軍が依然として圧倒的な力を有し様々な制約がありながら活動を進めているが、その成果は当初国民が期待したほどの迅速さもなく、内容/水準的にも国民が満足しうるものにはなっていない。旧軍事独裁政権と「擬似民政」テインセイン政権の下では、行政の担い手の中心は国軍出身者によって占められていた。NLD政権になり大臣の多くは変わったが、次官以下の主要ポストに就く官僚はほとんどが変わっておらず、政権中枢の政治的意思/方針が末端まで徹底しない弊害が随所に現れているという。
 NLDが最重要/最優先課題と位置づけている憲法改正実現に向けた戦略的対応の影響もあり、長年にわたって国軍によって張り巡らされた利権が絡んだネットワークは一朝一夕に改革することが困難であることと、NLD側の行政実務能力を伴う人材の圧倒的な不足という事実が重なり合い、民主的改革の停滞を招いていると思われる。そうした中、国民の間にNLD政権に対する「失望感」が漂い始めていると指摘する声は少なくない。

 このように民主化推進の道は決して平坦なものではないが、加えてグローバル化された国際環境の中でミャンマーにおいてもナショナリズムの台頭が顕著で、ロヒンギャ民族など少数民族問題やイスラム教を始め仏教以外の宗教に対する攻撃/迫害問題などについて、人権尊重など普遍的価値観に基づく意思表示であっても偏狭なナショナリスト集団[註3]による非難/糾弾がなされ、それが大衆的な共感/支持を得てしまうという不幸な状況も生まれているという。そうした状況の中で、朝日新聞が報道したように、NLD政権下でありながら言論の自由を侵害する弾圧が行われるという事態も頻発している[註4]。ごく最近(2017年1月29日)でも、NLD法律顧問の弁護士[註5]がインドネシアへの公務出張から帰国しヤンゴン国際空港到着直後に射殺されるという衝撃的な事件[註6]も起こっている。

[註3]国民の9割が仏教徒で僧侶も約50万人いると言われ絶大な社会的影響力を持つ仏教界にも、アウンサンスーチー氏を公然と非難するなど反民主勢力として活動する過激なナショナリスト集団が存在する。
[註4]2017年1月16日付朝刊「ミャンマー 言論の自由に影」「ネットで政治家批判 逮捕続々」などの見出しの五十嵐誠記者の署名入り記事。
[註5]コーニー弁護士。憲法に規定がない「国家最高顧問」を設置し「大統領を超える」権限を実質上付与する特別法を起草したチームの中心人物。アウンサンスーチー氏の信頼は厚かったと言われる。イスラム教徒。
[註6]政治的暗殺事件とみられ、ミャンマー人の犯人はその場で逮捕されたが、その後の情報は一切明らかにされていない。

◆◆ NLD政権への期待と課題

◇ 1)3つの重要課題
 ミャンマー国民の圧倒的多数が総選挙でNLDを支持し投票したのは、平和/安定と経済的豊かさ、それらの基盤としての民主主義の実現に向けた具体的な進展を期待したからだ。
 新政権に期待されている基本的な重要課題は、次の3課題である。

 ① 少数民族軍事組織と国軍との間の武力闘争の全面停止/和平実現と少数民族の自治権保障を基礎とする全民族統合の平和的連邦国家の建設。
 ② ASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国の中で最低にまで落ち込んだ経済水準を向上させるとともに、国民間の膨大な経済格差の解消による持続可能なバランス良い経済発展。
 ③ 上記2課題の達成に向けての不可欠な基盤である民主化を推進し、あらゆる分野での民主主義を実現していくこと。

 現憲法の抜本改正が民主化推進の最重要課題であることは明らかであり、NLD政権が今期中(2020年選挙まで)に実現すべき最優先課題だが、憲法改正に必要な4分の3を超える国会議員の賛成による発議は国軍の同意無くしてはできない現実があり、この事項に関しても国軍が決定を左右する鍵を握っている。NLD政権側は、如何にして国軍の同意を取り付けるかを考慮せねばならない状況下に常に置かれていることになる。このことが政策構想/実施にもたらす影響は、計り知れなく大きい。
 
◇ 2)平和への道と現実
 ミャンマーには135もの民族/部族が存在する(ロヒンギャ族は含まれていない)と言われ、イギリスによる植民地時代の「分断支配」の影響もあり、独立以前から多数を占めるビルマ族と他の少数民族との武力対決を含む対立の克服は、統一国家樹立/維持に向けた重要課題であり続けた。
 総選挙前にテインセイン大統領(当時)は総選挙実施の条件として全土的な和平の実現をあげ、精力的に停戦合意に向けた努力がなされた結果、一定の進展を見た。しかし、全面的停戦合意には至らず選挙実施が不可能な選挙区が下院で7個所も出た。
 ミャンマーにおける国軍と少数民族武装勢力との内戦は、今日もなお深刻な問題である。内戦地域の住民は生命の危機に直面し続け、実際に死亡/傷害の被害が多数起きていて、住民への軍事目的のための強制的使役も数多くなされてきた。この中には長年ILOをはじめとする国際機関で問題にされ非難/改善勧告がなされてきた少年兵問題も含まれている。当然、内戦は経済活動にも深刻な悪影響を与え、ミャンマー全体の経済発展の阻害要因となっている。

 こうした状況の早期解決を目指して、NLD政権は2016年8月末日から5日間の会議を開き、和平交渉の枠組みなどについて話し合った。アウンサンスーチー国家顧問の提案で開会されたこの会議は「21世紀のパンロン会議」[註7]と呼ばれ、テインセイン大統領時代に停戦に応じた8武装組織を含め20あると言われる武装組織のうち18組織の代表および国軍代表が参加した。この中には戦闘継続中のカチン独立軍[註8]やワ州連合軍[註9]も含まれ、また潘基文国連事務総長も出席した。
 しかし見通しは必ずしも明るくなく和平実現には数年以上かかるという意見[註10]もある。この課題は、平和/安定のみならず経済発展にも深く関わっているのでミャンマーの喫緊の重要課題なのだが、早期の課題達成は非常に難しい状況である。

[註7]独立前年の1947年、アウンサン将軍がミャンマー東部の町パンロンで少数民族代表と会議を持ち、少数民族の自治を踏まえた連邦国家として独立することに合意した。アウンサンスーチー国家最高顧問は、開会式で父の遺志を継ぎパンロン精神に基づく民主的な連邦国家の実現を呼びかけた。
[註8] 高度な自治を求め国軍と戦闘を継続する少数民族武装組織。KIA(Kachin Independent Army)。
[註9]中国雲南省などとの東部国境沿いに最大の軍事力を持つ少数民族武装組織。
[註10]毎日新聞が伝えた(2015年9月1日朝刊)ところによれば、少数民族側の不信感は根深く、「スーチー氏もビルマ族中心の国づくりをするのでは」と疑い「要求が認められるまで戦う」というKIA関係者の談話を伝えている。

◇ 3)経済状況とクローニー
 ミャンマー経済は、ネウィン将軍がクーデターにより政権を掌握し「ビルマ式社会主義体制」を敷いた1962年から民主化闘争で権力を失った1988年までの四半世紀にわたって鎖国状態にあったことで停滞し、東南アジアで最も豊かな国から最貧国に転落してしまった。1988年以降鎖国は解かれ経済自由化政策がとられ始めたが、軍事独裁政権の下での利権と結びついた歪んだ経済活動が横行し、ASEAN諸国が急速に経済発展する中、置き去りにされるがごとき状態にあった。
 1997年のASEAN加盟により発展が期待されたが、人権抑圧/民主化停滞、とくにアウンサンスーチー氏の度重なる自宅軟禁など民主化運動弾圧に対する欧米諸国を中心にした経済制裁によって、経済発展は停滞を余儀なくされた。2011年の「民政移行」(擬似民政)以降のテインセイン政権による一定の民主化進展で経済制裁解除がなされ、発展の軌道が見られるようになった。

 次に見る国民1人当りGDP(ASEAN諸国との比較)[註11]は、発展軌道の初期段階の現れであるが、最下位レベルに留まっている要因は軍事独裁政権時代の負の遺産であるクローニー経済に負うところが多いと思われる。

  ASEAN各国の1人当たりGDP(米ドル、2015年)
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[註11]IMF World Economic Outlook Databases 2016 より。

 ミャンマー経済は、クローニーによって牛耳られていると言われている。ミャンマーでのクローニー経済とは、国軍の将軍たちの親族や取り巻きたちが長年の軍事独裁政権の下で蓄積してきた利権を悪用して経済活動を肥大化させ、国の経済活動の中で独占的な位置を占めていることを指す。彼らは銀行、航空、建設、交通/運輸、ショッピングモール、ITなどの事業をネットワーク化/系列化して経済活動を推進し、ミャンマー経済に圧倒的な影響力を誇っている。
 この状況の民主化もまた大きな課題である。経済活動が公正なルールを基礎にするものに改革/民主化されない限り、軍事独裁政権の下で形成され肥大化してきた不当な利権とそれに基づく国民間にある膨大な格差の解消はありえない。またバランスのとれた経済の持続的な発展もありえない。2015年末に発足したASEAN経済共同体の一員として域内ルールを遵守しつつ持続的発展を推進していくためには、経済分野の民主化は不可欠である。

◇ 4)国軍の利権/支配と行政民主化
 現憲法の国軍への特別権益保障こそが、国軍の利権確保と実質支配の永続化を可能とするものだ。その要石が、国/地方議会を通じて議員総数の4分の1を非選挙軍人議席が占めていることである。憲法改正は上下院議員の4分の3を超える賛成がないと発議できないことから、国軍は事実上の拒否権を持っている。また、国軍にはクーデターは不要だと言われているが、それは国家安全保障評議会の議を経て非常事態宣言がなされれば全権を国軍司令官が掌握することが憲法で規定されているからだ。
 評議会の構成員11名(大統領、2名の副大統領、上院議長、下院議長、国軍司令官、副司令官、内務大臣、国防大臣、国境大臣、外務大臣[註12])の過半数は必ず国軍が占める構造になっている。副大統領の1名、正副司令官、国軍司令官の指名に基づき任命される内務、国防、国境の3大臣、この6名は国軍が完全掌握しているポストで、選挙で示される民意とは無縁である。これを含め国軍の特別権益の是正、アウンサンスーチー氏の大統領就任を阻止する規定などの非民主的条項の改正は、国軍の賛成がないとできない仕組みになっているのだ。憲法改正を最優先課題とすると、国軍の賛成を得るための対応が、あらゆる領域での民主的改革の内容と進め方に絡むことになる。

[註12]アウンサンスーチーNLD党首が国家最高顧問になりながら外務大臣の兼任を解かないのは、この評議会の重要性を示している。

 軍事独裁政権下はもとより「民政移管」後も、政府各省の要職は国軍出身者に占められてきた。NLD政権下でも大臣などトップ人事は別に、国軍の行政への影響力は大きくは変わっていないという。そうした状況のもとでの民主的改革の推進は、総選挙直後に多くの国民が期待していた早期で抜本的なものにはなっていないのである。労働分野の改革も例外ではなく、MTUC(ミャンマー労働組合総連合会)によれば、経営者/使用者側の強硬な対応も相まって、労働現場の実態は、組合活動を理由にした解雇事案が新政権発足以降むしろ増加しており、より厳しいものとなっているという。

◆◆ 労働者および労働組合をめぐる状況

◇ 1)労働人口と児童労働者
 ミャンマーでは1983年以降実に31年もの長い間国勢調査がなされていなかった。国際機関などの支援を受け2014年に実施された国勢調査によると、それまでIMFなどが軍事政権からの報告に基づく推計値として約6,000万人としてきたミャンマーの人口は、それより1,000万人少ない約5,100万人であった。労働力人口は約2,300万人(小学校終了年齢10歳以上)で、その年齢層別内訳は以下のごとくである。

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 ここで気付かさせられるのは、15歳未満の児童労働の多さである。540,000人以上の児童が就労しており全就労人口の2.4%以上を占めている。それは特に農村部で多く、労働力化率で13.8%(全体12.1%、都市部7.6%)、就業人口比率で12.1%(全体10.6%、都市部6.5%)となっている。10歳未満の児童による労働も全国的に多く見受けられ、ミャンマーの児童労働は統計数字で見るよりはるかに深刻である。こうした状況の背景要因の一つに小中学校での落第制度がある。ミャンマーでは進級が非常に厳しく、多くの「落第者」か出る。そこに親の貧困問題が絡むと簡単に退学に結びついてしまう。EI-AP(国際教職員労組アジ゙ア太平洋地域組織)によれば、義務教育とされる小学校課程(5年間、うち1年は幼稚園課程)を修了する子どもは約半数で、中学校課程(4年間)でも約半数がドロップアウトしてしまうという。落第と貧困とで子どもの4分の1しか他国で義務教育とされる9年間の修学課程を全うできないのである。「国家百年の計」と言われるが、ミャンマーの将来を考えると教育改革は優先度が最も高い必須の課題である。

◇ 2)低下する農林水産業の比率
 次に、同じく国勢調査から部門別就労状況についてみると以下のようである。

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 ここに見るように就労人口の過半が農林水産業にあり、ミャンマーが農業国であることを裏付けている。しかし、農林水産業への就労人口比率は顕著に低下傾向を示している。前回の国勢調査(1983年)では、就労人口比率で全国64.6%、都市部13.2%、農村部80.4%であったが、今回の調査結果ではそれぞれ-12.2%、-3.8%、-11.7%と、いずれも減少しており、その比重は軽くなっている。しかも農村部住民が全て農林水産業に就労しているわけではなく、実際のところ国内外の「出稼ぎ労働者」の供給源になっている。ヤンゴンの工業団地の中にある縫製工場などで働く労働者の圧倒的多数は農村部からの「出稼ぎ」である。

 また海外への「出稼ぎ労働者」(移民労働者)も圧倒的多数は農村部からで、とくに少数民族の人々が多い。世界銀行の資料[註13](2013年)によれば、ミャンマーからの移民労働者の数は約314万人で、ASEANの中でフィリピン、インドネシアに次いで多い。主な「出稼ぎ先」国は隣国のタイを筆頭にサウジアラビア、バングラディシュ、アメリカ、マレーシア、インド、中国などである。
 タイ側国境などからの不法移民労働者が非常に多いことはよく知られており、実際の数は世界銀行の統計数字よりはるかに多いと推定される。モン州、カイン州、シャン州、タニンダリー地域などからがとくに多く、タイの水産加工業、建設業、縫製業などは、彼らの存在抜きに成り立たないのが実情だという。タイへの移民労働者がとくに多いこれらの地域は、長年にわたり少数民族武装組織と国軍との間で紛争が続けられ、その影響で経済発展が遅れ雇用機会が少ないため、たとえ不法移民でもタイに出ざるを得ないのだ。タイの労働現場では、生活困窮のゆえに移民労働者になっている状況につけ込まれ、劣悪労働条件で過酷な労働を強いられている事例も多く、労使紛争になるケースも少なくない。

[註13]国連:International Migration, Population Division 資料による。

 移民労働者の増加の背景には、国内経済の不安定さと行き先国との経済格差とりわけ賃金格差が大きい実情がある。経済自由化政策がとられて以降、ミャンマー経済は高成長が続いているが、経済構造は脆弱で、他国に比して賃金水準は未だかなり低く、雇用機会の拡大も遅れているため、移民労働者の数は減っていないどころか増加傾向が顕著である。移民労働者の問題は、当分の間、ミャンマーの深刻な問題としてあり続けると推測できる。
 移民労働が、「出稼ぎ先」国で単なるチープレーバーとして扱われ、技能/技術の習得とそれを自国に還流させる道が全く閉ざされていることが大きな問題となっている。職業訓練と結合した技術力向上の取り組みが強く求められている。

 農林水産業以外の産業への従事者が計47.6%、約1,000万人いることになるが、CTUM(ミャンマー労働組合総連合会)の報告[註14]によれば、これらの労働者のうち工業分野への就労者は約554万人で、そのうち社会福祉法(2012年制定)の適用を受けている労働者数は約70万人にとどまっているという。なお、建設労働者、農業労働者、家事労働者および雇用者が不明な労働者(インフォーマルセクター/セルフエンプロイドワーカー)は、同法の適用外とされている。こうした状況は早急に克服されるべきだが、財政力が極めて脆弱なNLD政権にとっては、早期の実施が困難な厳しい課題である。財政力強化のためにも和平の達成と軍事予算の縮小、国軍による資源乱費抑制、クローニー経済の民主化と税制改革による歳入の拡大など、取り組むべき課題は数多くある。

[註14]Confederation of Trade Unions Myanmar。2016年11月、日本国際労働財団(JILAF)招聘プログラム/労働事情報告でのCTUM代表の報告。

◆◆ 労働組合運動をめぐる状況

◇ 1)労働関係法制度の問題
 ミャンマーの労働関係法は、英領インドの属州であった時代を受けて、英領インド法が基礎となっている。独立後も部分的な手直しをしたものが使われ続けてきた。法律を無視した権力対応が横行した軍事独裁が長年続き、労働組合運動を禁止してきたのであるから、法律制度の整備に無頓着であったのかも知れない。いずれにしても非体系的で法制度として完備していない。
 現在、労働関係法として18の法律があり、うち16が実際に機能/適用されていて、2が制定/改正作業中であるという。「社会保障法」、「職場危険防止及び健康法」(労働安全衛生法)、「労働基準法」は未だ制定されていない。ちなみにILO条約の批准状況についても、英植民地時代を見事に引きずっている。ミャンマーは現在22のILO条約(総数189条約のうち)を批准しているが、うち宗主国イギリスが批准して植民地適用していた条約を独立後引き継いだものが14条約と約3分の2を占めている。

 労働関係法の基本たるべき「結社の自由」保障に関する法律は2011年に制定された「労働団体組織法」である。ミャンマーの労働組合運動は、基本的にはこの法律により律せられている。この法律には多くの問題点があるが、最大の問題は「結社の自由」の原則に反する非常に厳しい登録制度にある。登録組合以外は労組活動をしてはならないとされていて、活動停止/解散命令が出されることもありうる。改正されるべき制度上の問題はあるが、当面、持続的な活動展開には実際上登録が必要となっている。
 耕作地10エーカー以下の自作農にも団結権が認められているが、その農民労組を含めすべての労働組合は、①基礎労組、②タウンシップ組織、③州/管区レベル組織、④全国組織、⑤全国連合会(ナショナルセンター)の5段階での組織結成/登録が求められる。①から④は同一産業分野内の組織でなければならず、①から順を追って積み上げて組織化しなければならない制約が課せられている。
 ①は、同一事業所/工場(農民の場合は同一地域)などで30名以上労働者で、結成可能となる。②は、同一タウンシップ内の同一産業分野の複数の①の組合で結成可能。③は、同一州/管区内の同一産業分野の複数の②の組織で結成可能。④は、全国産業別組織で、複数の③の組織で結成可能。⑤は、複数の④の組織を結集して結成される。②から⑤は同一区域内/同一産業区分の10%以上の労働者を結集している場合が条件とされているが、この条件は実際上は厳密には適用されていないようだ。

◇ 2)労働組合の組織現況
 そうした厳しい制約のもとで2014年11月に結成されたCTUMの2017年1月現在の組織状況は以下の通りである。

  CTUMの産業別加盟組織と基本労働組合数/組合員数(2017年1月)
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 CTUMはITUC(国際労働組合総連合会)に加盟するミャンマー唯一の労組ナショナルセンターであるが、これを中心とするミャンマーの労働組合組織率は、推定で1%程度にとどまっている。
 CTUMの組織状況を一見して農民組合の比重が高いことに気づく。それは実に77%と加盟組織全体の8割近くを占める。先に見たように農業労働者は水産/林業を含め約52%であるから産業別就労構造から見ても8割近くは比重が高すぎる。農民組合には労使関係はなく、農業政策や土地問題をめぐる対政府交渉が中心課題となる。雇用/賃金労働条件を労使交渉を通じ維持向上を図っていく活動のあり方とは異なり、それの構成比率の余りの高さはナショナルセンターとしての活動展開にバランスを欠く場面をもたらしかねない。
 それとともに問題なのが、鉄道を除き公務部門でほとんど労働組合が結成されていないことだ。国/地方の行政に従事する労働者はもとより、郵政、通信、教員、環境/清掃、保健医療、福祉、上下水道などの分野に働く労働者のほとんどが労働組合に加入していない。公務部門が国軍の圧倒的な影響力の下に置かれてきたことの結果でもあるが、この壁を突破しない限り、全産業労働者を構造的に代表する強靭なナショナルセンターの確立と運動展開の展望は切りひらきえない。これがミャンマー労働組合運動の当面する最大の課題なのではないかと思う。

◇ 3)「イニシアティブ」による労働法改正の動き
 そうした状況下で、労働関係諸法規の体系的で抜本的な改正に向けた取り組みが進められていることは、評価され期待されるべきものである。関連事業法を含め23あると言われるミャンマーの労働関係諸法規の多くは、先に触れたように英領インド法を引き継いでいる。カバーする領域も水準も国際労働基準から大きく立ち遅れ、体系的に整備されておらず、労働者の基本権を網羅して保障するものになっていないのが実態である。
 その抜本的な改革に向けて、アメリカ政府の呼びかけに日本とデンマークの両国政府が賛同しILOが技術的協力を約しEUが後に加わった「ミャンマーにおける基本的な労働の権利と労働慣行の促進イニシアティブ」[註15](以下、単に「イニシアティブ」)が、2015年からステークホルダー会議など具体的な活動を進めている。アメリカ政府がミャンマーに課していた経済制裁を解除する条件に、人権/労働権の保障を求め、その具体的実施に向けて提起したものが「イニシアティブ」であった。日本は、欧米諸国がミャンマーの軍事独裁政権に対し厳しい経済制裁を課していた時、JICAを通じ「人道的支援に限る」としつつかなり広範な「援助活動」を続けてきた。これに対する国際人権団体などからの厳しい批判があり、今もそれが消えたわけではない。そうした中で「イニシアティブ」に共同し専門家の派遣など積極的な支援活動を進めていることが、「失地回復」にとどまらない評価を得ることにつながるよう期待される。

[註15]2014年11月発表。日本政府は、このイニシアティブを通じて、(1)ミャンマーの労働法改革や能力構築計画(労働改革計画)を通じた労働行政制度の改善、(2)対話メカニズムによる企業、労働者、市民社会団体、ミャンマー政府等の関係者間の強固な関係の醸成に取り組む、とした。
また、2014年4月にオバマ大統領が訪日した際、日米両国間で東南アジアにおける連携強化等に関するファクトシートを発出しており、このイニシアティブは、その一環と位置付けられるものだ、と明らかにした。

◇ 4)最賃制導入がもたらした問題
 最近の特徴的動向として、2015年9月からの最低賃金制度の導入に伴う工場閉鎖や雇用契約の再締結を含む労使関係の先鋭化の問題がある。最賃制は従業員数15人以上の事業所に適用されることになっているが、ミャンマーには従業員数14人以下の零細企業/事業所が実に多く存在する。そうしたところの賃金は低く、他の労働条件も極めて劣悪である。また児童労働も多い。適用事業所を従業員15人以上としては、無数存在する深刻な問題の解決につながらない。この点に関して、CTUMが従業員5人以上の企業/事業所を適用範囲にすべきだと要求したことは適切であったが、使用者団体の強固な反対とそれを配慮した政府の対応によって実現できなかった。
 ミャンマーの製造業の中心の一つに縫製業があり、労働組合の組織化が進んでいる分野である。そこでは、週68時間労働(週休1日、週48時間制、4時間超勤が5日)で、日本円に換算して月12,000~15,000円程度の収入が平均的な水準だ。勤務時間の多くのパターンは、7:30-11:30、30分の昼食休憩、12:00-16:00、15分の休憩、16:15-20:15(超勤)で、土曜日は超勤なしというものだ。最賃制導入以前は極めて低い時間給に様々な手当(皆勤、皆超勤、生産、指導など)をつけて長時間労働をせざるをえなくしていたが、導入後は時間単価が上がる分を手当を削減して人件費増加を防ぐ手法が多く取られた。それとともに増産計画の一方的押し付けも多く提起/実施された。縫製技術に長けたベテラン労働者の引き抜きや、少しでも高い賃金の工場に移動する労働者が多くなり、生産計画実施が難しくなって労使対立が先鋭化するケースが増えている。ベテラン労働者が大量に他工場に移り増産計画が不可能であるにもかかわらず、会社側が一方的に計画を押し付け、長期ストに突入した事例も出ている。そうした状況下で、組合執行部に対する不当解雇も増加している。CTUMによれば、労働組合運動に対する不当解雇等の攻撃は、NLD政権下でテインセイン政権時代よりも多くなっているという。

◆◆ 日本との関係

◇ 1)日本企業の進出状況
 テインセイン政権によって取られた経済自由化の促進と一定の民主化進展によって「アジア最後のフロンティア」ブームが生まれ、日本企業も多くがミャンマーへの進出を図った。進出企業が加入するミャンマー日本商工会議所[註16]の会員企業数を見ると、次のような状況である。

・会員企業数(2016年7月→12月現在):313→330社
・部会数:6
   貿易部会:25→26社
   金融/保険部会:13→15社
   工業部会:71→74社
   建設部会:91→97社
   流通/サービス部会:79→85社
   運輸部会:34→35社

 進出日本企業の全てが会員となるわけではなく、会員となるのは比較的規模の大きな企業であり、多くの中小企業が進出していることから、進出している企業数は会員数よりはるかに多いと推計される。そのことを前提に会員企業数の変化を見ると、わずか5ヶ月間で17社の伸びは大きい。特に建設と流通/サービス部門での増加は著しくミャンマーにおける経済動向が窺える。

[註16]1996年設立。JETROヤンゴン事務所に事務所をおく。理事数25人。

 日本が中国/韓国と熾烈な獲得競争を経て開発権を得たティラワ工業団地[註17]は「経済特別区」として大規模開発が進められており、2015年末に一部地区が開業し多くの日系企業が進出しつつある[註18]。ここへの投資にも絡んで日本の主要金融機関が現地進出しており、日系企業のミャンマー進出に拍車をかけている。多くの日系企業進出の狙いが「安くて豊富な労働力の確保」にあると言われ、企業利潤のあくなき追求のみという経営姿勢が新たな軋轢を生み出す可能性があり、その動向を注視しておく必要がある。

[註17]ミャンマー最大都市ヤンゴン市 の南東約20キロメートルに位置する。総面積約2,400ヘクタール(山手線内側の約40%)の広大な敷地を有する。
[註18]三菱商事、丸紅、住友商事の3社が均等出資しエム・エム・エス・ティラワ事業開発株式会社(MMSTD社)を設立。これとミャンマー官民が合弁し、工業団地の開発・運営主体としてミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメント社(MJTD社)を設立し、開発を進めている。

◇ 2)移民労働と技能実習
 ミャンマーにおける移民労働について先にその一端に触れたが、ここで日本との関係を見る。周知のように「単純労務職」と言われる特別の知識技能を必要としない職にあっては、日本に滞在/労働することが許されていない。例外は、技能研修/実習制度に基づく場合と留学生に許される週28時間以内のアルバイトである。ミャンマーからこれらの制度に基づく学生/労働者の来日者が近年急増している。それに伴い様々な深刻な問題が惹起している。

 圧倒的に多いのは、悪質なブローカーによって法外な手数料を取られ日本語研修なども実質ないまま来日し、技能研修/実習する企業等に入ったものの、期待していた条件と全く異なる劣悪な賃金労働条件/生活環境であることから、研修先から「逃亡」するケースである。ほとんどすべての場合、ブローカーに支払った手数料は親族や「街金」[註19]などからの借金によるもので、それを支払うために不法滞在を続け、居酒屋などでダブル/トリプルのアルバイトをしている。

[註19]ミャンマーの利息の上限は年率30%の高率。

 その不法滞在を「合法的」に繕うために難民認定申請をするケースも多く出ている。申請への結論が出るまで「特定活動」の資格が認められ滞在が可能になる。ここでも「被害当事者」からそれなりの金額の手数料をとり「商売」するブローカーが存在する。
 技能研修/実習制度がチープレーバー確保の方策として利用されているのだが、もともと制度そのものに問題があり批判も多くあった。2016年秋に関係法の改正がなされ厳格な制度運用がなされることになっているが、一方にチープレーバー確保の狙いがあり、他方に技能向上/能力向上よりも現金収入を求める思いが強くあれば、技能研修/実習制度の建前から逸脱した事例が多く発生する可能性は高い。

 ミャンマーの場合、民主化闘争を闘った活動家等が難民認定/定住を求めて日本に来たが、日本の難民認定が極めて厳しいことから、難民認定が得られないまま滞在する人も多くいた。それとともに、政治的迫害や人道的抑圧/差別を受けたことよりも経済的な理由で来日した「経済難民」と呼ばれた人も多くいた。そうした人々の少なからぬ人が日本人と結婚し定住しており、人的ネットワークも形成されて相互扶助活動も活発である。これらの経緯の上に技能研修/実習生の問題が生じているので、問題は複雑化し解決の方途も一様にはいかない。

 先日、研修先の農家から「逃亡」したミャンマーの寒村出身の若い女性に会う機会を得た。彼女の話を聞き、農家での技能研修/実習の実態が想像を絶するものであることを知った。「逃亡」せざるを得ない過酷な実態がある。その背景に、多額の借金までして来る「仕組み」が、いわば「悪い日本人」と「悪いミャンマー人」との結託によって作られている事実がある。
 「ピンハネ」「搾取」が貧しいミャンマー人労働者を狙って行われ、「甘い汁」を吸う悪徳ブローカーが日本/ミャンマーを股にかけて「活躍」している。「送り出し組織」「受け入れ企業」双方から会費をとり、研修/実習生から「ピンハネ」する悪辣な手法がまかり通っている。犠牲になっているのは貧しい労働者なのである。まずは、こうした実態を是正せねばならない。この面でも、日本とミャンマーの労働組合は連帯/共同活動すべきであるしできると思う。
 職業的能力の向上を求め、それを基礎に安定した職の確保と収入の向上を求める労働者の存在と気持ちを理解し、彼らに寄り添い具体的な解決策を見出していく努力が日本とミャンマー双方に、できれば共同しての努力が求められている。

◆◆ むすび

 ミャンマーの民主化促進の道のりは、NLD政権樹立後も厳しいもので、ミャンマーの労働者を取り巻く環境も期待されたほど改善されてはいないのが現実だ。NLD政権への期待もさることながら、自らの活動を通じて民主化促進に向け何ができるかを改めて考える必要があると思う。 
 「人材不足」、「議員の能力/見識不足」、「政党としての組織的な体をなしていない」、「政策形成能力が低い」など、NLDに対する厳しい批判がある。国軍の存在と非民主的な対応の故に国民が期待する民主化推進が遅々として進まない状況があり、国民の間に「期待はずれ感」「失望感」が強まっていくであろうと、NLDへの支持の下落と次期選挙を心配する声も聞く。しかし、NLD以外に国民が将来を託する政党が存在しないことも厳然たる事実なのだ。
 圧倒的多数の国民は、NLDに失望感を抱き不満があっても、国軍と一体のUSDP(テインセイン政権の与党)の復権は全く望んでいない。NLDに代わって役割を果たしうる政党も見当たらない。NLDの改革を促しつつ国軍の実質支配構造を打破する民主化の道を粘りつよく追求していくしかないのではないか。

 半世紀以上続いた国軍絶対優位の独裁的政治体制の下で、ミャンマーの有能な青年たちの多くは、国軍に活動の場を求めたという。有能で意欲的な国軍幹部出身者は、各界に多く存在するとも言われる。これらの人々、またミャンマーの将来を担う若い人々が、先に示した3つの重要課題達成に向けて活躍できる社会環境を作り上げていくことが必要だ。労働組合の連帯支援活動を含め、あらゆる支援/援助活動が、そうした社会環境作りに寄与しうるものであることを期待したい。

 (元ITUCミャンマー事務所長、元ILO理事)


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