~「緊張と対立の海」から「対話と平和の海」へ~

■ A Voice from Okinawa (19)   吉田 健正

  ~「緊張と対立の海」から「対話と平和の海」へ~
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 このところ、「尖閣諸島問題」が注目されている。特に昨年9月に中国漁船が
海上保安庁の巡視船に体当たりした事件は、両国で領土ナショナリズムを刺激し
て日中関係に深刻な影を投げ、軍事衝突さえ懸念される事態になった。保守派の
間には、中国が尖閣の次に沖縄本島を狙うのではないかとして、その基地強化を
呼びかける声さえある。昨年12月に閣議決定された新防衛大綱にしたがって、沖
縄本島だけでなく、宮古、八重山、与那国では自衛隊の配備・増強が進んでい
る。まさに戦争前夜だ。

 日本側からすれば、戦後の米国統治時代を含めて、尖閣の所属に疑問はない。
しかし、中国や台湾は、尖閣は昔から台湾の付属島嶼であったとして、日本の主
張に反論する。しかも、日中間に領土問題は存在しない、と断じながら、日本の
対応は腰が引けた感じだ。
 
  1960年代末の海底油田・ガス田存在報告が、「騒ぎ」の発端だと言われるが、
所属問題は明治期にさかのぼる。日本政府は、「同諸島は、(明治中期以来)、
一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成している」と明言するものの、
明治時代の、あるいは日中国交正常化後の領有宣言へのためらいや、太平洋戦争
後、「南西諸島」に尖閣諸島を含めて統治していたはずの米国の、沖縄返還後の
「中立的」対応、尖閣が(普天間基地や嘉手納基地などと同じく)現在も米国の
実質的占領下にあることが、影を落とす。

 対中関係悪化への懸念、東シナ海における安全保障態勢悪化や米国の対応への
懸念、「大陸棚」をめぐる国際法の解釈や尖閣をめぐる史実の問題、当初予測さ
れていた海底油田・ガス田の規模への疑問、共同開発の実現可能性への疑問、な
どもある。

 日本と台湾・中国との関係が緊張すれば、沖縄にとって問題は深刻だ。沖縄と
しては、台湾・中国からの観光客を増やし、人的・経済的交流を図り、近海での
安全な水産業を確保したい。尖閣諸島の海底に油田・ガス田が眠っておれば、沖
縄の利益になるような形で開発したい。しかし、日中対立は沖縄の期待をぶち壊
してしまう。緊張を理由に、宮古や八重山に自衛隊を送り込めば、沖縄にとって
事態はさらに悪化しかねない。

 米軍が射爆撃場として管理し、日本人の無許可立ち入りを禁じている尖閣の島
々(黄尾礁=久場島と赤尾礁=大正島)を、中国に対しては日本が領有権を主張
するという不思議な構図。ここには、日本の一部でありながら、日本政府(自治
体職員)や日本国民が米軍の許可なしでは立ち入りができない普天間基地、嘉手
納基地、キャンプ・シュワブ、弾薬庫、那覇港、その他多くの米軍基地と共通す
る問題もある。

 「尖閣諸島問題」は、領有権、海底資源開発、漁業、安全保障、沖縄の対台湾
・中国関係など多岐にわたっており、しかもきわめて複雑なので、ここで突っ込
んで論じることは私の能力を超えるが、私なりに事実関係を整理してみたい。な
お、尖閣諸島領有をめぐる日本と中国の領有権については、緑間栄沖縄国際大学
教授が『尖閣列島』(ひるぎ社、1984)で歴史的、国際法的観点から論じ、また
米国の対応については関西学院大学の豊下楢彦教授が「『尖閣問題』と安保条
約」(『世界』2011年1月号)で分析しているので、詳しくはそちらをご覧いた
だきたい。


◆沖縄トラフの対岸


  まず位置を確認する。南西諸島は、奄美群島から八重山諸島まで、太平洋側の
南西諸島海溝(琉球海溝)、東シナ海側の沖縄トラフ(海盆。海底の溝)に挟ま
れている。中国大陸沿岸から広がる大陸棚が窪地になったところが沖縄トラフ
だ。尖閣諸島は、八重山列島からトラフを越えた、いわば溝の対岸、中国沿岸か
ら延びる大陸棚の突端に位置する。大正島(中国名「赤尾礁」)、久場島(同
「黄尾礁」)、北小島、南小島、魚釣島の5島と3つの岩礁(沖北岩、沖南岩、
飛瀬)である。

 次に、尖閣諸島をめぐる歴史的背景。日本政府(外務省)は、「尖閣諸島が我
が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いのないところであり、
現に我が国はこれを有効に支配している。尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権
の問題は存在していない」と、次の歴史的根拠を挙げている。少なくとも明治中
期以降、第二次大戦後の米国統治時代を含めて、日本の領域とされてきたことに
疑問はない、というのである。

 ①尖閣諸島は、1885年以降、政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三に
  わたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支 が
  及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建
設する旨の閣議決定を行なって、正式にわが国の領土に編入した。

 ②同諸島は、爾来、一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成している
  ③従って、サンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条
に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の
一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれた。
  ④1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆
国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に
含まれている。
 
⑤中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サンフランシスコ
平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事
実に対し、従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和
国政府の場合も台湾当局の場合も、1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動き
が表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至った」


◆当初は慎重な領有権主張


  このように、日本は「尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題は存在しな
い」と明確に主張する。しかし、いくつかの疑問点も残る。たとえば、

 ①「琉球国」は1872年から79年にかけて「琉球処分」により琉球藩→沖縄県と
して日本に併合されたが、そのときに尖閣諸島が含まれていたかは不明である。

 ウイキペデイア「尖閣諸島問題」によると85年9月、沖縄県令(知事)・西村
捨三は、「久場島、魚釣島は、古来より本県において称する島名ではあり、しか
も本県所轄の久米・宮古・八重山等の群島に接近している無人の島であるので沖
繩県下に属しているのであるが、『中山伝信録』(中国の古文書)に記載されて
いる釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一のものではないと言いきれないので、慎重に
調査する必要がある」と、内務省に報告。

 しかし、同年10月21日には外務卿(大臣)・井上馨が、「清の新聞が自国の領
土である花瓶嶼や彭隹山を日本が占領するかもしれないなどという風説を流して
いて、清の政府や民衆が日本に対して猜疑心を抱いている。

 こんな時に、久場島、魚釣島などに国標を建てるのは徒に不安を煽るだけで好
ましくない」、「国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲り候方然るべ
しと存じ候」と内務卿・山縣有朋に回答。11月24日には県令が、国標建設につい
て、「清国との関係がないともいえず、万一不都合が生じては申し訳ないので、
どうするべきか早く指揮してほしい」との上申書を内務卿に提出したというから、
尖閣諸島を日本領と確定するには、当初から迷いのあったことが窺い知れる。

 上記の『中山伝信録』(中国の古文書)に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤
尾嶼と同一のものでは言い切れない」を、現在の日本はどう解するのだろうか。

 ②日本が閣議決定で尖閣諸島を日本に編入した1895年1月は、前年勃発した日
清戦争が終結する直前(95年4月に講和条約)であり、勝利による「割譲」では
なかったにしても、日本優勢の戦争が影響していたことは否めない。
 
  ③1920年には、魚釣島に漂着した福建省の漁民31人を救護したとして、長崎駐
在の中華民国領事が、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」の住民に感謝状を贈
っている。日本側は、これを、当時の中国(中華民国)が尖閣諸島に対する日本
の領有権を認知していたことの証としている。しかし、1920年といえば、中華民
国に統一政府が存在しない内乱の時代である。領事が本国政府の意思に基づいて
「尖閣列島」の所属を明記したのか、あるいは中華民国の認識が1949年に成立し
た中華人民共和国に引き継がれたかは、明らかでない。

 ④サンフランシスコ平和条約第3条には、米国が(日本に代わって)唯一の施
政権を有する地域として、「北緯29度以南の南西諸島」の「領水を含む領域及び
住民」と特定している。しかし、同条は南西諸島の範囲を特定せず、「尖閣諸島」
にも触れていない。また尖閣諸島には「施政権」を行使する対象となる「住民」」
もいなかった。

 (ただし、沖縄返還協定の議事録には、米軍統治下の南西諸島が具体的に経度
・緯度で示されており、そこには尖閣諸島も含まれている。また、米軍は黄尾嶼
と赤尾嶼の海域および空域を海軍所轄の射爆撃場に指定した。現在も黄尾嶼と赤
尾嶼は、現在も米軍の射爆撃場に指定されたままであるが、射爆撃場としては利
用されていない。)


◆海底油田報告で顕在化した領有問題


  国連アジア極東経済委員会が、1968年に行った調査の結果、尖閣諸島周辺にイ
ラクの埋蔵量に匹敵するほどの海底油田・天然ガス田が存在する可能性が高い、
と報告したのは1969年。70年代に入って、それが確実視されると、台湾も中国も
尖閣諸島の領有権を主張し始め、台湾は米国のガルフ社に周辺海域の石油採掘権
を与えた。台湾では教科書の地図でも日本領から中華民国領(釣魚台列嶼)と書
き改められた。「70年代後半」ではない。その後の調査では、原油の埋蔵量は騒
ぎ立てるほど多くないという。

 日米が沖縄返還協定を締結した1971年には、中華民国と中国が、相次いで、尖
閣列島を台湾の付属、あるいは中国の領土の不可分の一部である、という声明を
発表し、日中間で尖閣をめぐる領土問題が浮上した。しかし、米国政府は、尖閣
は沖縄諸島などとともに日本に返還されるが、領有権について問題が生じたとき
は、当事者間で解決されるべきであり、米国は「中立」の立場をとる、という見
解を発表した。1972年9月に日中国交が正常化され、78年8月に日中平和友好条約
が調印されたが、尖閣領有問題は棚上げされたままになった。

 米国は尖閣諸島が日中のいずれに属するかについての両国の異なる主張には介
入しないものの、尖閣諸島が日米安保第5条の「日本国の施政の下にある領域」
に含まれるとして、尖閣諸島に対する武力攻撃が米国の平和と安全を危うくする
と判断すれば、日本を守るため同盟国として対応する、という立場をとっている。
平和条約にしたがって尖閣を含む南西諸島を統治し、南西諸島の一部として尖閣
諸島を日本に返還したはずの米国としては、何やら奥歯にもののはさまった言い
方である。


◆「帝国」の海より、万国津梁の海


  米国が沖縄、日本本土、韓国、東シナ海、黄海の陸上・洋上基地や空から中国
を囲い込み、日米が中国の軍事的脅威を煽り立てている現況ではあり得ないとは
言えない。中国にとっては、日米安全保障条約も大きな懸念材料のひとつだろう。

 中国が、近い将来、尖閣や沖縄を攻撃するとは思えないが、最初に述べたよう
に、尖閣海域のおける日本と台湾・中国の緊張は、沖縄にさまざまな悪影響を及
ぼす。「もともとの国境線の外側にあった領土を支配する巨大な政治体」を「帝
国」と呼ぶ(スティーヴン・ハウ(見市雅俊訳)『帝国』)。

 かつて琉球王国を中国、日本、朝鮮などの諸外国とつなぐ架け橋「万国津梁」
の役割を果たし、民主党の鳩山首相が東アジア共同体を結ぶ「友愛の海」にした
いと語った東シナ海を、米帝国を後ろ盾にした日本と新興の中国帝国との「緊張
と対立の海」にしてはならない。

 沖縄県の八重山群島や宮古群島と台湾、また県と中国とはまさに一衣帯水で、
関係も深い。関係各国が平和的に共存できるよう、海域の領有問題や資源開発に
ついては、二国間・地域的多国間協議だけでなく、国連、国際司法裁判所などの
力を借りて、平和的・建設的に解決されるよう願ってやまない。ちなみに、上記
の豊下氏は日本が「『領土問題の存在』を事実として踏まえたうえで」、「2000
年に発効した日中漁業協定のような協定を、尖閣周辺の海域を対象に締結すべき
であろう」と提唱している。

 なお、上記の平和条約の第5条は、日本に、国際紛争を「平和的手段によって
国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること」、武力によ
る威嚇又は武力の行使を「いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、
また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと」と
義務づけている。

 北沢俊美防衛相は昨年10月11日、ハノイでベトナム、インドネシア、オースト
ラリア、タイ、シンガポールの国防相と会談した際、「(尖閣諸島は)日本固有
の領土だ。歴史的にも国際法上も疑いようがない」と説明した。しかし、全面的
に賛同した国防相はなく、「国際法に基づき平和的に解決することを望む」(イ
ンドネシア)など慎重な対応を求める発言が相次いだ」という(産経新聞、電子
版、10月12日)。

 また程永華駐日中国大使は、雑誌『選択』(2011年1月号)の巻頭インタビュ
ーで、「歴史上ない巨大国家となった今、世界とどう付き合うのか」という質問
に、次のように答えている。
 
  「かつての歴史の教訓として、両国は和すれば双方ともに利し、戦えば双方と
もに傷つけるということがいえる。中国の政治方針は、あくまでも平和発展を目
指し、国は大きくなっても覇権は求めないというのが、数千年来の中国の理念で
あり、現実的な政策だ。覇権を求めれば必ず滅びるという真理は、中国は苦い歴
史的な経験をもって知っている。中国はあくまでも平和的に自国の発展に努める。
日本や隣国との関係もこれを基本方針に据えていく」

     (筆者は沖縄在住・元桜美林大学教授)

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