■書評

「あの頃の日本」―若き日の留学を語るー    

       

      鐘少華編著 竹内実監修 泉敬史・謝志宇訳 

         日本僑報社刊     定価2800円 

                          篠原 令
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 この本は1930年代から戦時下にかけて、中国の各地から日本に留学した十七名
の体験を鐘少華氏が口述記録したものである。「オーラルヒストリー」とも言わ
れる「口述史学」は日本でも最近、伊藤隆氏などが中心になって進められている。
 口述者の中には趙安博、米国均、蕭向前等、戦後の日中関係の中で重要な役割
を果たした人々もいるが、多くは帰国後、学者、医師、作家としてそれぞれの専
門分野で活躍されてきた。同じ頃、日本に留学した人たちの中にはこの他にも孫
平化、張香山等日中関係史の中では忘れることのできない人々がいる。

 中国人の日本留学というと、日露戦争後の一時期、辛亥革命にかけて一万人以
上の中国人が日本に留学し、日本の明治維新の経験を学ぶとともに西洋の近代文
明を日本を通じて取り入れたことがあった。文豪魯迅をはじめ後に国民党の指導
者になる人材を輩出した一時期である。

 1910年代から20年代頃にかけては周恩来、李大剣など後の共産党の指導
者もいたが、郭沫若、郁達夫など文学者たちの全盛時代で、大正デモクラシーの
ロマンチシズムの中での青春を彼らの作品を通じてうかがい知ることができる。
 そして昭和に入ると、日本は満州事変を契機に大陸への侵略を深めていく。中
国各地で抗日の声があがる中、1930年代から戦時下にかけて強いて敵国である日
本に留学したかれらの留学時代の体験を知ることの出来る本書は、また随所に日
本人の本質というものを覗かせていて興味深い。軍人や警察の理不尽な横暴に耐
えながら、かれらは日本の庶民や大学の先生から日本人の親切や律義、学問に対
する真摯な態度を学んでいく。

 魯迅の弟、周作人はやはり日本に留学し、日本人と結婚し、日本占領下の北京
に踏みとどまったために、日本の敗戦後、漢奸として裁かれたが日本文化の良さ、
日本人の良さを生涯をかけて中国に紹介しようとした。この本にはそんな周作人
の気持をなるほどと思わせるような場面がたくさん出てくる。

 他人を思いやる心、弊衣破帽、質実剛健な学生生活、西洋の文明をじつに丁寧
に学ぶ教育方法、驚くほどの学問好き、勉強する気風、東洋の伝統をよく保存し
ている社会、下宿の大家さんの家族同様の親切さ、礼儀正しく節度のある生活態
度、かれらは日本での留学生活の中で、こうした日本人の美風を身を以て体験し
ている。その驚きが日本への愛情となり懐かしさとなり、日本を理解することに
繋がっていった。

 私は今思い出す。六十年代の後半、日本に留学していた東南アジアの華僑留学
生たちのことを。香港、シンガポール、タイ、マレーシアなどから日本に留学し
ていたかれらは、日露戦争以後からの中国人日本留学の後継者たちであった。先
人たちと同じように日本社会の矛盾を体験しつつ、日本人の心の温かさに接して
帰国していった。私自身かれらとの交わりの中から、シンガポールや香港に留学
することになり、かの地ではまた多くの友人を得ることができた体験から言えば、
国と国との関係、民族と民族との関係は、政治家や外交官の表舞台で決定される
のではなく、庶民と庶民の、個人と個人との関係によって支えられ、築かれてき
ているのだと断言できる。

 この本では日中関係が最も困難な時期に日本に留学した人々が、新中国成立後
にも、反右派闘争や文化大革命の悲劇に見舞われながらも、四十年ぶりに日
本を訪れ、青春の日の友人たちに再会する物語がいくつも紹介されている。経済
学者の朱紹文氏は東大時代の同級生中曽根康弘元総理との再会を果たしている。

 登場人物はどなたもご年輩なので私が直接存じ上げている方は一人もいないが、
ただ一人、一九〇二年生まれで慶応大学に留学した馬巽伯という人の話の中に、
同級生の中でまだご健在のかたとして、青木寅雄さんがいますと紹介されている
のを見て、そうだったのかと合点がいった。

 私は以前中国にいた頃、上海で友人から青木寅雄氏を紹介され、以後昵懇にし
ていただいた。当時すでに九十過ぎのご高齢であったが、毎年二回は中国に来て
あちこち旅をするのを楽しみにされていた。青木寅雄氏は当時ホテルオークラの
名誉会長であったが、青木氏とホテルオークラとの出会いは人間と人間との出会
いの不思議さを見事に物語っているのでちょっと紹介させていただきたい。

 戦後の財閥解体はGHQの命令で、持株会社整理委員会が行った。その責任者が
長いアメリカ生活から帰った野田岩次郎であった。東京オリンピックを前に、世
界に通用する一流ホテル・ 再建したいと考えた元大倉財閥の当主であった大
倉喜七郎は財閥解体を行った野田岩次郎を人物と見込んで社長に招いた。その時、
野田岩次郎が条件としてだしたのが、野村財閥を解体したときの野村側の責任者
であった青木寅雄を片腕にすることであった。そして六十過ぎてからホテル業に
飛び込んだ青木寅雄が上海ガーデンホテルをオープンするなど中国にことのほか
思い入れがあるのを以前から知っていた私は、馬巽伯氏の回想を見て二人の青春
時代に思いを馳せたのである。一人の中国青年との出会いが、七十年後の上海ガ
ーデンホテルの誕生にまで結びつくということがあってもいいのではないか。

 留学生たちは日本から学んだだけではなく、日本人の中にまた中国人へのそれ
ぞれの思いを残していった。こうした個人と個人の友情の積み重ねは偏狭な愛国
心や優越感、その裏返しである恐怖心を払拭する力となる。江沢民元国家主席の
愛国心教育の十年間のあとに、小泉首相の靖国神社参拝の五年間が続き、今、日
中関係が最悪の事態にあることは誰の目にもあきらかである。このような時に本
書は日中友好の原点に立ち返ることの重要性を教えてくれる。是非一読をお勧め
したい。                         2006年8月記 
                    (筆者は日中問題コンサルタント)

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