【コラム】中国単信(26)
「中国の10月」諸相
日本の若者のうち1945年8月15日が何の日か知らない者が4~5割ほどいるそうである。だとすれば、中国の建国記念日を知る日本の若者などそうそういるはずもない。日本では終戦70年を迎えたが、中国では毛沢東率いる中国共産党が「中華人民共和国」を建国したのが1949年10月1日だったことから、今年は中国の建国66年目にあたる。
この66年間に中国では何があったのか。ネットには次のような戯れ歌が書き込まれていた。
毛沢東の号令で、農村行きが始まった
鄧小平の号令で、金稼ぎが始まった
江沢民の号令で、大リストラが始まった
胡錦濤の号令で、株価の暴落始まった
習近平の号令で、腐敗取締が始まった
教師の号令で、授業が終わった
最後の一文だけ、歴代の中国の指導者が並ぶなかで場違いな感じの「教師」が出てくるのは、この戯れ歌が9月10日の「教師の日」にぶつけて書き込まれていたからだ。先生も授業を自分から終わらせることができるのだから、国の指導者と同じように偉いのだという、皮肉を込めたジョークといった仕立てになっている。
歴代の指導者の政策を大変象徴的に歌い込んでいると言えそうだが、いずれにしてもこのような歩みを続けてきた中国であることは間違いなさそうである。そこで、ここ二、三カ月に起きた中国人の「注目」を集めたいくつかの事柄を見てみたいと思う。
●<9月3日大軍事パレード>
1949年から1999年までの50年間に中国では、建国記念日軍事パレードが13回実施された。1949年から1959年までは毎年10月1日に行われた。1960年9月に中国共産党中央と国務院は勤倹建国の方針のもとに「5年毎に小規模に、10年ごとに大規模に祝賀し、大規模祝賀の際に閲兵(軍事パレード)を行う」ことにした。その後、「文革」の影響などで24年間は行われず、1984年の建国35周年で軍事パレードが復活したが、それ以後1999年の50周年までの15年間、またもや途絶えていた。その後は10年に1度、大規模な軍事パレード実施の方針に戻り、前回は胡錦濤時代の2009年(建国60周年)に行われた。したがって次回は2019年の予定だったが、今年、抗日戦争勝利70周年の節目に合わせて、4年前倒しで実施された。
9月3日の軍事パレードを挟んで、中国では「祖国の偉大さに万歳」「全世界華人の誇り」などの書き込みがウェブ上を埋め尽くし、多くの一般庶民は大いに盛り上がった。これによって天津化学工場の大爆発による政府不信など「完全に」どこかに吹き飛んでしまった観があった。なんと言っても中国の一般庶民には、「強国」として、是非とも世界に認められたいという願望があるわけで、その意味では多くの中国人の心に適う、「プライド」や「自信」に繋がるイベントにほかならなかった。今年の軍事パレードは一般の中国人には、習近平指導部の狙いだった軍事的な「誇示」でもなければ、「政治体制」の強化顕示でもなく、「強い」国としての「発信」と「宣伝」と受けとめ、素直に感激していたと言えるだろう。
●<「郭美美」事件と「釈永信」事件>
郭美美という女性、中国では知らない人がいないほどの有名人である。今から4、5年前、彼女が自分のブログで1千万円以上のイタリア製高級スポーツ車マセラティ(Maserati)や百万円以上のエルメス製品を公開し、贅沢ライフスタイルを誇示したのが事件の発端だった。
なぜそれほど贅沢ができるのかという素朴な疑問に対して、ご本人は「赤十字商会(Red Cross Commerce)」という企業の本部長だと主張する一方、中国赤十字協会トップの愛人、横領した赤十字の資金が彼女に流れているといった噂が飛び交った。このスキャンダルは中国赤十字協会を巻き込み、現在、中国人が寄付する機関が数多くあるのだが、そこから赤十字を外す運動にまで発展している。それだけでなく郵便局(国営企業)が貯蓄を呼びかけるCMや全国統一大学入試での作文にも批判対象として「郭美美」の名前が登場するほどである。こうして「郭美美」はたちまち「不正蓄財」と、男性に貢がせる「娼婦」の代名詞となってしまったかのような印象を受ける。おまけに今年の9月11日に、彼女は「賭博罪」で5年の懲役刑を言い渡された。
釈永信は海外でも有名な中国少林寺の住職である。今年の7月末頃、この釈永信に複数の愛人と隠し子がいる事実が発覚し、騒然となった。というのも中国仏教では戒律で、結婚どころか女性との性交渉も厳禁しているからで、「有徳高僧」と思われてきていた釈永信だけに彼への尊敬、信頼は地に墜ち、怒りとともに厳しい目が向けられている。釈永信は少林寺の高い知名度を利用して、武術学校の設立や、ビジネス界に積極的に進出し、仏教名刹の商業化を積極的に進めてきた。こうした事業で得た金が複数の女性との交際に使われたらしいとなると、誰もが不信と怒りを覚えるのは当然と言えるだろう。
これまでは「不正蓄財」「格差」「倫理道徳の崩壊」「二号さんを囲む風潮」は腐敗官僚の専売特許のようだったが、「郭美美事件」「釈永信事件」は、一般国民にも目が向けられ、厳しく糾弾する空気が醸成されていることがわかる。格差、不正、不道徳への批判、不満は決して小さくないことを教えている。
●<相次ぐエスカレーター、エレベーター事故>
7月末の武漢エスカレーター事故については前号の『オルタ』で記したが、9月17日に深圳市の住宅マンションで起きたエレベーター事故も日本では考えられない。11階からエレベーターを利用しようとした2人が、エレベーターの扉が開いたので乗り込んだとたん4階まで落ちて死亡という惨事である。実はエレベーターのカゴはまだ4階に止まっていたというのだ。
このような予想もしない事故が多発すれば、人びとが不安に陥るのは当然で、相も変わらずどこに怒りをぶちまければいいのかわからない事故は減りそうにない。したがって
エレベーターに乗る前にかごが来ているかまず確かめる。扉が完全に開いてから乗降する。子どもはしっかり抱えて乗降する。神経を集中し、携帯電話などをいじりながら乗降しない。可能な限り階段を利用する。といった「心得」がネット上に流れていたが、根本的な解決には何の役にも立たないのである。
●<中秋の祭日に「福祉」なし>
9月27日は中国の伝統的な祭日の「中秋」だった。中秋は旧正月の「春節」と同様に中国では重要な祭日で、これまでなら公費で「月餅」(げっぺい)、果物、その他の食材を購入し、「福祉」と称して従業員や顧客に配るのが通例だった。ところがこの程度の「贈り物」ならさほど問題視されなかったのだろうが、最近では年々高額化し、純金入り「月餅」を始め、数十万円から百万円を超える「贈り物」まで現れきていた。もちろん見返りを期待した賄賂の匂いを存分にまき散らして。
この風潮を断ち切ったのが習近平政権の反腐敗運動である。そのため今年の中秋では、政府機関、国営企業ではすべての「福祉」が禁じられた。 長い伝統的な習慣を断ち切られ、不平不満の声が上がっているようだが、「役人の腐敗を断固取り締まってこそ、中国に真の希望が見えてくる」という声も少なくない。
このようにここ数ヶ月の中国を見ると、歓喜、自信、不満、不安、怒りが交錯する秋だったと言えそうだ。しかし国民に命の不安がつきまとい、不平等感が広がり、不正が治まらない国に人びとが満足するはずはない。そしていくら軍事力が強大になり、最新兵器を国民に披露しても、真の「強い国家」とは言えないだろう。
その意味では、習近平指導部が反腐敗運動を徹底的に実行することは大歓迎である。しかし、その他の内政問題ではまだまだ中国庶民の心をつかんだ施策が行われているとは言いがたい。国内の生産力が落ち込んできている今こそ、習近平の指導力が問われている。国民は平和で、安全な国となり、誰もが歓喜と自信に満ちた建国記念日が一日も早く中国に訪れることを願っている。
(筆者は女子大学・助教授)