【書評】回想のライブラリーを読んでー書評・感想・想い出

「個」と「普遍」、社会正義と平和を具体化する「務」め

 井上 定彦

 初岡さんの『回想のライブラリー』は、ご自身の半生を描かれているようにもみえるが、おそらくそうではなく、ずっと控えめな範囲内での回想なのだと思う。なにしろ、ジャーナリスト、政治家、社会運動家、研究者、それも国内外にまたがる広がりをもつ方々との交流であり、地球大での活動をなさってこられた。そのことを、わずかばかり垣間見る機会があった者の、感想である。
 はじめて、その存在を知ったのは、隅谷三喜男先生との共訳書、シュトゥルムタール『工場委員会』(日本評論社1967年)だった。それは、その少し前だったか、同著者の『ヨーロッパ労働運動の悲劇』をおおよそ読んでいたからなのであろう。初岡さんのこの「回想」(159頁)によると、共訳書発行後数年にして、ようやくこのシュトゥルムタール氏に会うために彼の研究室(イリノイ大学)を訪問すると、著者は不在で、なんとその代わりにそこに隅谷さんがおられた、という偶然があったのだそうだ。
 国際舞台を含めて、国境や人種、国家体制などの「壁」を早くからやすやすとこえ、「人と人」「市民と市民」との直接的関係を大切にされた。そこには、内村鑑三にはじまり南原繁、矢内原忠雄(共に東大総長)そして隅谷さんへとつながるような「知」の水脈、「人の尊厳」、個人としての尊重の思想に、接しておられたからなのかと、(勝手に)想像している。
 とても難しいことなのだが、「個人の自立」が自然に「普遍性」と同時に成立する。そして、まずは現実を踏まえつつも、社会正義と平和の方途を何らかの「かたち」として具体化してゆく。真似のできない平凡ならざる生き方だと思う。
 総評時代の終わり頃に、亀山栄一という全逓出身の「個性的」な「常幹」がいたが、彼の初岡評の表現は、「いい線、いってるよ‼」だった。つまり多方面にわたる「良きセンス」があるということ。早くから傑出した力量・天分をおもちだったのだろうか(語学力を含めて)、それとも努力の累積がもたらしたものなのであろうか。
 とてもではないが、自分にとっては背伸びしてもとどかない。しかしながら、日々接するたびに「学び」をえられる「トクな存在」。まだまだ、たくさんのご指導・助言をいただける幸運を実感している。
 初岡さんの、おそらくは嫌いではないと思われる台詞ひとつ(口頭でのみ聞いた気がする)。偏狭な「ナショナリズム・『愛国心』は、悪党の最後の拠り所である」(出典もあげられていたと思う)。
 しかし、いま21世紀の4半世紀が過ぎたとき、世界の各トップに、ふたたびこれがまざまざと蘇ってきた。なんという現実!!
 彼が進んできた、またこれからも進むべき道を、バトン・タッチできるのだろうか。私たちひとりひとりに、本書は語りかけている。

(2026.02.20)
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