「父」と神保町

木下 真志

 宣幸さんと初めてお会いしたのは、1996年(ぐらい)のことであったと思う。論文執筆のための聴き取りに、靖国通り沿いのビルの2Fの新時代社へうかがった時のことである。それ以来、20年を越えるおつきあいであった。
 その間、宣幸さんには日本社会党の関係者を多数ご紹介いただいた。故田辺誠さん、故貴島正道さんを始め、故船橋成幸さん、故竹内猛さん、故工藤邦彦さん、仲井富さん、中野紀邦さん、浜谷惇さん、山口希望さん他である。また、同業者でもある故河上民雄先生、初岡昌一郎先生、中北浩爾さん、岡田一郎さん他と面識を得たのも、宣幸さんを介してであった。
 宣幸さんの幅広い人脈に驚嘆すると共に、メールマガジン「オルタ」の成功も、宣幸さんの人脈あってのものといってよいであろう。おかげで紹介された方を介して、また新たな方を紹介いただくという輪ができた。論文執筆中は、部屋に閉じこもり、人脈が広がらない時期で、とてもありがたいことであった。

 私が宣幸さんとお会いしたのは、初台、大原社会問題研究所が多かった。2005年(であったと思う)に、河辺和志さんのご案内により、「戦後期社会党史研究会」のメンバーで、池袋からレッド・アロー号に乗って秩父に1泊2日の旅行に行ったこともいい思い出である。
 しかし、何と言っても、宣幸さんといえば、神保町である。移転した新時代社で仕事の話が一段落すると、そのまま夜の神保町に繰り出していった。多くは、ろしあ亭、学士会館であった。ご高齢にもかかわらず、深夜まで歓談されるお姿は、多くの方の目にやきついていることであろう。そして、私が職を得るまでは、多くの場合、ご馳走になった。お礼のことばもない。

 年を重ねるにつれ、私の立ち居振る舞いや論文に忠告をしてくれる方がすくなくなっていくなかで、さまざまな注意・助言をいただいた。私にとっては、東京における「父」のような存在であり、耳の痛いご助言も、今となっては深く感謝している。

 最後にお会いしたのは、九段のご自宅において開催されたとある研究会の新年会においてであった。2017年1月6日のことである。予定時間よりも少し早く着いてしまった私を歓迎され、蔵書を見せていただくと同時に、しばし二人だけでお話する機会を得た。とてもお元気で、まだまだ10年以上はお会いできるものと思っていた。その後、小生の体調不良もあってなかなかお会いする時間をつくれなかったことは、今となっては、悔やんでも悔やみきれない。
 長い間のご厚情に改めて感謝の気持ちを表するとともに、心からご冥福をお祈りする次第である。

※私自身は、これまで「加藤さん」とお呼びしてきましたが、小文では「宣幸さん」とさせていただきました。

 (大原社会問題研究所研究員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧