【コラム】槿と桜(130)

「犬食禁止特別法」から思うこと

延 恩株

 2024年1月9日に韓国の国会は、食用を目的とした犬の飼育・食肉処理・流通などを禁じる犬食禁止特別法(「犬の食用目的の飼育・処分および流通などの終了に関する特別法」)制定案を成立させました。違反した者には3年以下の懲役、または3000万ウォン(約320万円)以下の罰金が科されます。
 現在、日本では犬の肉を食べる習慣はないため(したがって日本には犬食を禁じる法律はないようです)、韓国でこのような法律が成立したことはほとんど知られていません。むしろ「韓国人が日常的に犬を食べてきていた」という驚きの方が大きいのではないでしょうか。
 ところで、韓国での犬食には真夏の暑さがかなり関わっていました。
 
 日本でも夏バテを防ごうと「土用の丑の日」があります。日本でうなぎを食べはじめたのは縄文時代からで、夏の土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は江戸時代からだそうです。
 「土用」とは、立春、立夏、立秋、立冬の節気ごとにあって、そのため「土用の丑の日」は暑い季節だけでなく、一年を通じて何回もあります。ただ立秋を前にした暑い時期の「土用の丑の日」(2025年は7月19日と31日となります)を日本では別扱いにしてこのように呼ぶようになっています。
 うなぎは栄養価が高く、ビタミンA、E、オメガ3系(必須脂肪酸)が含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)などが豊富に含まれています。そのため夏バテを防ぐ食べ物とされ、夏の「土用の丑の日」にうなぎを食べて健康を維持しようとしてきたわけです。
 
 この日本の「土用の丑の日」とまったく同じ考え方が韓国にも伝統的に続いてきています。
 それが「伏日」(복날 ボンナル)です。伏日は、毎年7月〜8月にかけて全部で3日あり、それぞれ初伏(초복 チョボク)、中伏(중복 チュンボク)、末伏(말복 マルボク)と呼ばれています。この3回の伏日を合わせて「三伏」(삼복 サムボク)とも言いますが、韓国で最も暑い時期となるため、「삼복더위」(サムボクドウィ 三伏の暑さ)という言葉もあります。 
 ちなみに2025年の伏日(ボンナル)は、初伏:7月20日(日)、中伏:7月30日(水)、末伏:8月9日(土)で、毎年、日にちは多少変わります。
 韓国ではこの「伏日」に、夏バテ防止にと参鶏湯(삼계탕 サムゲタン)を食べる人が多くいます。参鶏湯は韓国を代表する鶏肉料理で、免疫力や体力を回復させる伝統的な薬膳料理です。鶏の内蔵を抜いてその中にもち米・栗・ナツメ・高麗人参、銀杏、にんにく、漢方薬剤などを入れ、長時間煮込んだもので、熱々のスープと一緒に箸やスプーンで柔らかくなった肉を骨から外しながら食べます。韓国には「以熱治熱」(イヨルチヨル、熱を以て熱を抑える)という言い方があって、暑いからこそ熱い料理を食べて汗を流して涼しさを感じるという考え方があります。もっとも参鶏湯は寒い冬場にも体を温めるということから好んで食べられています。

 ところが、「参鶏湯」のほかに「보신탕」(ボシンタン 補身湯)というものがあります。これも栄養価の高い夏バテ防止の強壮料理として韓国では知られていますし、かつては多くの韓国人が好んで食べてきていました。この「補身湯」とは、犬の肉のスープ料理なのです。
 犬肉を食べる食習慣は古くからあり、犬肉は「肝臓、心臓、脾臓、腎臓、肺の五蔵を安定させ、血流を良くする」とされて、栄養を補う食べ物として、古くから貴族から庶民まで広く食べられてきていました。
 しかし、犬肉を食べる食文化への批判が強まり始めます。1988年のソウルオリンピックや2002年のサッカーワールドカップなど多くの国外の人びとが韓国に目を向ける機会が増えてきたことがきっかけでした。政府はそうした批判をかわすため、オリンピック開催期間中、ソウル市での「補身湯」の提供を禁止しましたが、結局一時的なもので終わってしまいました。さらに2018年の平昌オリンピックでは、その開催前には韓国が犬食を中断しなければオリンピックをボイコットすべきだという声まで国外から上がるほどでした。韓国政府は平昌の犬食を扱う飲食店に対してオリンピック期間中は犬肉料理の提供を自粛するよう求めましたが、その要請に応えた店は僅かでした。
 このような根強い犬食嗜好に対しては動物愛護団体などからの激しい反対の声が上がり、30年以上にわたって犬食維持派との間で論争が繰り返されてきていました。その一方で、韓国ではペットに対する考え方が大きく変容してきていました。

 新型コロナが猛威をふるっていた頃から韓国では「펫팸족」(ペッペム族)という新しい言葉生まれました。英語の「ペット」(pet)と「ファミリー」(family)、それに「族」(족)の合成語です。ペットは家族の一員と思っている人びとを指します。
 それまでは犬や猫などはペット、つまり「愛玩動物」とみる人がほとんどでした。ところが単に〝愛玩〟する(可愛がる)対象ではなく、家族の一員としての〝伴侶〟と見るようになってきているのです。そのため「애완동물」(エワンドンムル 愛玩動物)ではなく、「반려동물」(パルリョドンムル 伴侶動物)と考える人が増えてきています。家の中で一緒に暮らすのはもちろんのこと、外出しても同伴できるレストラン、ホテル、コーヒーショップなどが韓国では増えてきています。
 さらには韓国の航空会社では「ペッペム族」の増加という社会的な変化を敏感にとらえて、「伴侶動物」をキャリーケースに入れれば機内持ち込みを認めるようになっています。日本で飛行機を利用するときにペットは盲導犬や介助犬を除いて客室に持ち込めず、荷物として預けることになっていますから韓国の航空会社は非常に飼い主の気持ちを汲んだサービスをしていると言えるでしょう(ただし、機内に同伴できるのは犬、猫、小鳥だけですが)。
 このような社会的変化は「動物福祉問題研究所アウェア」が2024年1月に公表した「2023年の食用に対する国民認識調査」(2023年12月12日から17日まで全国の成人男女2000人を対象)の調査結果が良く示していました。それによりますと、「今後、犬の肉を食べるか」という質問に対して93.4%が「ない」と回答し、1年前の2022年の調査より「ない」が4.8%も増加していました。また、「犬の肉を食べない理由」として「心理的に抵抗がある」と回答した人が53.5%に上り、上述の「伴侶動物」という考え方の増加と連動していることが窺えます。
 
 このように韓国社会のなかで急速に犬食に対する否定的な考えの人びとが増加していましたから、韓国国会でも「犬食禁止特別法」は出席議員210人(総議員数:298人)のうち、賛成208、棄権2、反対0 という圧倒的な賛成多数で可決されました。
 ただし、「飼育・処分・流通・販売などの禁止」に違反した場合の罰則条項は、法案公布から3年の経過後という猶予期間が設けられていますから、罰則者が現れるのは2027年以降ということになります。
 3年の猶予期間が設けられたのは、食用を目的に飼育されている犬の扱いがあったからです。保護するにしても飼育されている食用犬が50万匹以上いる(農林水産食品部公表)とされているだけに、政府は業者の廃業や飼育されている犬の保護などを支援することになっています。
 
 1年前に成立した「犬食禁止特別法」によって、表向きは韓国から犬食は消えたことになりました。物事の決着をつけるために法律で定めるという手法はありえますが、大きな波紋が生ずることも為政者は覚悟しなければならないでしょう。この「犬食禁止特別法」の制定によって動物保護団体など犬食反対派は大歓迎でしょうが、犬肉関連業者にとっては死活問題ですし、廃業に伴う支援金や賠償金の請求などということが出てくるのも当然でしょう。
 政府も猶予期間中に混乱を避けて上手に軟着陸させなければならないわけで、それなりの財政支出を覚悟しなければならないはずです。計画を順調に進ませるためには、いかに綿密に関連業者たちとの対話を実行するかにかかっていると思いますが、どうしても不透明感が残されてしまうように思えて仕方ありません。

 私は犬の肉を食べたことはありませんし、韓国の実家には「伴侶動物」の犬がいますので、この法律の制定には違和感はありません。ただ長く外から韓国を見てきている者としては、法律の制定を急がなくても(罰則が適用されるのは2027年以降です)よかったのではないか、と思ってしまいます。なぜなら韓国での犬食文化はすでに消えようとしているからです。

大妻女子大学教授

(2025.7.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧