【ドクター・いろひらのコラム】(19)

「農村民主化の流れ」と佐久病院

色平 哲郎

 2025年11月、私は佐久総合病院の初期研修医を引率し、フィリピンレイテ島を訪問した。40年前に初めてレイテ島に渡り、フィリピン大学医学部のレイテ分校(通称SHS)を訪れて以来、レイテは私にとって地域医療の原点である。

 SHSの学生は医療資源の乏しい島や山に入り、助産師から看護師、最終的には医師へと10年間をかけステップアップする。段階ごとに、学力というより、地域住民の75%の支持を得て進学する。卒業生の90%がへき地で働いている。彼らの実習内容の一端を研修医たちに見せ、交流いただく旅だった。

 研修医たちは新鮮な衝撃を受けていた。つめこみ教育とちがって住民とともに啓発活動に携わり、出産をサポートし治療にあたる姿に根本を再認識した様子だ。

 私自身も、新たな気づきを得た。ダグラス・マッカーサーが1944年10月に反攻上陸したレイテのレッド・ビーチに建てられた7人の銅像。そこにマッカーサーの側近中の側近コートニー・ホイットニー陸軍准将が含まれていることに〝歴史のif〟を思い浮かべた。

 ホイットニーは、日本の降伏後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民生局長に就き、戦後改革をけん引する人物である。もしも、ホイットニーが上陸時に日本軍との戦闘で命を落としていたら、日本の戦後は大きく変わっていたことだろう、と感じたのだ。とりわけ農村は〝寄生地主〟がのさばる旧態然たるままで続いていたかもしれない。

 日本でのホイットニーの業績のなかでも、「農地改革」はピカイチだ。地主と小作農の経済的・社会的格差を是正し、農村を民主化し、農産物の生産を高めるうえで、農地改革は不可欠だった。軍国日本を支えた地主について、敗戦直後の日本に滞在したシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは、こう書いている。

 〈地主は経済と政治を支配していた。地主は蜘蛛だった。町村長、高利貸、田舎の役人、村の巡査、それから、重要このうえもない農業会の人の全部をひっくるむ網を織りなす蜘蛛だった。小作人は個人の力でこの網を破ることなんかできなかった。強力な農民組合を組織しようとする努力は、その都度、その網で息を止められた〉(『ニッポン日記』第2章)

 農地改革は不徹底だったとの指摘もあるが、「蜘蛛の網」はひとまず取り払われ、「農村民主化の流れ」が生じた。この流れの中に、若月俊一医師率いる佐久病院も立ち上がったのだ。

 戦前マニラで弁護士をしていたホイットニーが来日しGHQに加わったことは、日本にとって僥倖だった。

 一方、久しぶりにフィリピンの地を踏んで、相変わらず、農地改革(ランド・リフォーム)が徹底されていないことに私は落胆した。耕作地の名義こそ、農民たちのものになったが、彼らはミドルマン(華僑系の高利貸)から借金して種子を買い、汗水垂らして収穫した作物を買い叩かれていた。

 戦後80年が過ぎても、土地所有をめぐる構造的暴力は温存されている。
 
 欧米列強に400年以上も支配されたフィリピンの歴史的な足かせを、そこに感じる。

色平 哲郎(いろひら てつろう)
JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長

※この記事は著者の許諾を得て『大阪保険医雑誌』2026年1.2月合併号から転載したものです。文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。
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(2026.1.20)
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