【編集事務局便り】190

◆令和元年台風第19号により被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早く皆様が安心した生活と取り戻せますようにお祈り申し上げます。

◆今号では、茨城県議会議員 玉造 順一氏から、地方政治がなぜ住民から離れつつあるのか、20歳で日本社会党に入党し、その後自治体議員の経験を経て、現在地方議員をされている経験を踏まえて、論考をお寄せいただきました。

◆羽原氏からは、被災8年余たった岩手県大槌町の様子をご投稿いただきました。大槌町と聞けば、「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」と防災無線で警告して多くの町民を救いながらも津波に巻き込まれてしまった町職員遠藤未希さんの声が、記憶の中から呼びもどされます。「大槌町震災記録誌 生きる証」はこちらのサイトからも見られます。https://www.town.otsuchi.iwate.jp/gyosei/docs/433179.html

◆大規模デモが続く香港の状況は岡田充氏による「海岸両岸論」で、また、来月訪日するローマ・カトリック教会のフランシスコ法王の「思いと行動」については、荒木重雄氏による「宗教・民族から見た同時代世界」で、ご紹介いただき、理解を深めることができます。

◆コラム【ザ・障害者】をご執筆いただいている堀さんが交通事故で入院されたため、しばらくコラムを休載されると連絡いただきました。ご快復を心よりお待ちしています。

◆「沖縄の地鳴り」をほぼ各月でご執筆いただきました大山哲氏からは、残念ながらご投稿をいただけなくなりました。長い間、沖縄から貴重な発信をいただきまして、ありがとうございます。感謝申し上げます。引き続き、平良知二氏からは、折に触れご投稿いただける予定となっております。また、どなたか沖縄からご発信いただける方をご存知でしたら、ご紹介いただければ幸いです。

◆大原雄氏の「『憲法くん』という、私の同級生」は第4回「五日市憲法」でいったん連載は了とのことでしたが、まだ「同級生」の様々な逸話は続くものと期待しております。

◆今号より元コピーライターの鈴木康之氏のコラム「1960年に青春だった!」が始まりました。まずは「ジャズ・ライオネル・ハンプトン」から。鈴木氏の軽快な文章でお楽しみいただけます。

◆かねてより、メールマガジン「オルタ」(及び「オルタ広場」)に年頭論文など多くのご執筆をいただいている元神奈川県副知事・ アジアサイエンス協会名誉会長の久保孝雄氏が、本年6月に卒寿を迎えられたのを記念して、長年その生活や活動を詩歌の形で書き溜めていたものを「詩歌日記で綴る人生の四季」としてまとめられました。今号の仲井富氏の投稿「未知との出会い(一)」でも触れられています。

久保孝雄氏は、筑波山の西方、茨城県出身。少年時代から文学にも親しみ、同じ郷里の写生派歌人の一人である長塚節の「土」の風景描写などはそらんじるまでに読み、節の歌集にも親しんできたといいます。大学で中国語を専攻した後、中国研究者から取手町議会議員を経て神奈川県副知事を務め、日本初の「かながわサイエンスパーク」の経営者の後、財団理事などを歴任していらっしゃいました。その氏が、青年期から昨年最愛の奥様を亡くす時までの、時代の記録、心の足跡を詩歌の形で綴ったものです。

研ぎ澄まされた言葉で活写するその時代の場面や心の情景は、多くの言葉を使って語られる以上に、大変イメージしやすく、状況を感じ取ることができました。また生来のご誠実さと優しさも感じることができるようでした。
いくつかをご紹介すると・・・

・敗戦(45年~46年)
「復員(かえ)りきし兄をば見ればさらぼいて なお軍隊調の残るかなしき」
 (「行方不明」の長兄は3年後ビルマ戦線から「骨と皮」で復員した)

・構造改革派の頃(1965年12月の古いノートから)
「評論と実践の間の深き溝 ため息ばかりで越える人なし」

・県庁で~(76年4月以降)(副知事就任後)
「わが部屋を「救命センター」と言う人あり 血だらけの課題運び込まれる」

・養父母の介護・告別(93年4月~94年1月) 
「死に近き義父の独語はシベリアの 極寒の地のつらきことども」

・妻の闘病を支える(12年~18年6月)
「帰り道妻の肩抱き我おれば 君の闘病大船の上と」

全文は、9月に開設された久保孝雄氏個人のHP(https://www.kubo-takao.com/)でご覧いただけます。又、オルタ広場読者でご希望の方には書籍をお分けしたいとお申し出いただきましたので、ご希望の方は編集事務局へご連絡ください。

◆清水 浩之氏の「『労働映画』のリアル」、横風人の「川柳」は都合により今月は休載いたします。

◆オルタチャンネルの仏教に親しむシリーズ 
日本仏教の展開⑨浄土信仰の発展 ~末法思想と空也、源信、融通念仏~を下記にアップいたしました。https://youtu.be/VbEvqOQA-wQ

◆靖国神社外苑の古い食堂を長らく改修工事をしていましたが、ようやく工事がおわったようで覗いてみました。昭和30年代生まれの私は、第二次大戦中に「靖国神社」が果たした役割のようなものを具体的にはよく知りません。が、「戦死を美化するためのような装置」としての役割があったであろうことは、何かの写真か映像でかいま知ったことがあります。時代はもちろん大きく変わっているのは当然ですが、その靖国神社に「茶屋」でなく、新しく「カフェ」ができたことを知り、なぜか苦い笑がでてしまいました。隣の食堂では、「特攻の母・鳥濱トメの玉子丼」が目玉商品として並び、来店の方は「特攻隊ミュージカル『流れる雲よ』」のパンフを持っていました。その内容は詳しくわからないながらも、「お国のため」を美化する装置がつくられ、再び時代の空気をつくらないことを願うばかりです。(MK)

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