【視点】

あえぐ石破政権、何に期待をつなぐか

羽原 清雅

 石破茂首相の登場は、田中支配(大平、鈴木、中曽根内閣)、竹下支配(宇野、海部、宮沢内閣)、安倍支配(菅、岸田内閣)という政権体制のくびきから逃れ、斬新な個性のもとでの政治に期待をつなぎたいところだったが、どうもそうはいきそうもない。

 総裁選では、高市早苗ら右傾勢力の攻勢をしのいだものの、党内非主流のうえ小グループで力量の乏しい新政権には、先行きの方向は決して明るくない。5回の総裁選挙に臨んだ石破としては、思いをため込んだはずながら金縛りにあったように身動きが取れない。日米地位協定の再交渉などやりたい公約さえ見せなくなった。来年7月の参院選挙まで持つか、といった下馬評まで出る始末。
 新組閣直後の世論調査(朝日新聞・11月2,3日)でも、内閣支持率は1カ月前の46%から34%に急落、不支持率は30%から47%に上昇した。衆院選挙での自民党の過半数割れ、その後の組閣事情、国会役職の減少などが、少数・非主流の石破に追い打ちをかけている。 
 そんな厳しい出足の政権の行方を見ておきたい。
 
 連立政権のもろさ 自民党は公明党との連立でしのいできた。自民党はこの10回にわたる小選挙区比例代表並立制の衆院選挙で、得票率で過半数をとったことはない。いつも40%台だが、議席配分の方式に助けられて、また公明党の多くの選挙区での補助的な票をもらうことで政権を握ってきた。制度や連立の仕組みによって多数議席を手にしたわけで、有権者の意思表示によって国会での「数」を握ったわけではない。
 しかも、公明党は助っ人として自民党を支えてきたものの、多くの場合あるべき道を主張せず、わずかな譲歩をもらうだけで大筋は自民党の言いなりで、法案成立などに同調するばかりだった。あるべき「連立」の対等の姿ではなく、むしろよく言われるように「下駄の雪」に過ぎない姿勢だけが目立っていた。強い言い方をすれば、公明党は権力のおこぼれをもらって、大自民党を支え、国民有権者の声を必ずしも反映しないままにやってきた感すらある。
 自民党の長期政権の裏側は、民意よりも「党益」「個欲」中心に政治を動かしてきたことになる。今度の石破政権で久々に過半数割れを味わったのではなく、10回の選挙について得票率という「質」を重んじず、毎回「数」の力で政権を動かしてきたことになる。自民党は早くから、そうした実態を理解して、謙虚に野党などの声を捉えるべきだったのだ。
 民主主義にとって、多数決という決定のルールは大切だが、そこに至る以前に相手側の主張によく耳を傾け、受け入れられる限りの努力をするという基本があることを知らなければならない。自民党の長期政権は、そのルールの大前提を身につけないままに独走してきたところに課題がある。権力というものは、自らの言い分ばかりを通そうとすると、いつか積り積もった反撃を受けることになる。

 石破政権の不安定 石破首相を待ち受ける国会は過半数割れで、4倍に膨張した国民民主党の協力を得て局面を切り抜けようとしている。それもひとつのありようながら、国会対策では継続的に他力に頼らざるを得なくなった。
 また、自民党内の非主流の首相として、何をやるにしても多数を握るよう迫られる。党内右傾勢力の高市や、総裁選でデビューした小林鷹之、それに政治とカネ追及のターゲットとなった安倍派の萩生田光一らの一群は、いつでも石破降ろしの挙に出かねない。
 これに対応するには、石破は彼らの弱みである政治と裏金問題に、少なくとも来年の参院選までに決着をつける必要がある。これが、石破の泣き所であり、同時に妥協のカギでもある。
 また、自民党との連立を蹴り、「部分連合」にとどめた国民民主党の玉木との間には、「年収103万の壁」「ガソリン税引き下げ」など政策問題もある。玉木の選挙直後の不倫スキャンダルを、自民党側からは攻められない。
 また、当面の補正予算案があり、その先には来年度予算案の編成が待つ。補正予算の巨額の繰り越し、自治体などへの交付金の実態、あるいはコロナ対策費の巨額の不正事例など、財政規律の逸脱といった大きな問題を抱える。本予算案でも、膨大な軍事防衛予算の扱い、ばらまき懸念のあるカネの使い方、物価高対策の交付金増額に伴う問題など、財政の健全性の維持に関わるような課題も山積する。これらは、石破首相の重荷として待ち構える。
 外交面では、トランプ大統領出現に伴う見通しの難しさが控えている。彼の米国第一主義がもたらす国際政治への波紋はまだ見えてこないが、常人ならぬ論理を持つ人物の出方は日本政治にどんな揺らぎをもたらすだろうか。ウクライナ、パレスチナ、そして平時の国際的緊張への対応はどうなるのか、まだまだ読める状況にない。
 石破首相とトランプ、その相性はどうか。小泉とブッシュ、安倍とトランプのように調子を合わせられるような印象はない。日米同盟とはいえ、実態としては対等なものではないうえ、自動車関税の行方、軍事機材等の購入、日本の軍事協力への対応、石破の掲げる日米地位協定見直し交渉の行方など、バイデン時代とは様変わりしないか。

 見えない石破政治 総裁選挙時と首相就任後の発言の違いや発言のおぼろげ化、政治とカネ問題の対応の弱さなどが石破首相の不人気の原因だろうが、党内少数派としての保身や自己防衛上やむを得ない事情も分からないでもない。安倍支配に与しない首相としての窮状もあろう。
 期待されるところがない、というわけではなく、彼に浮上のチャンスはないのか。
 あるとすれば、ひとつは政策ではなく、政治姿勢の徹底にある。政治とカネの問題をリードして、徹底的に改善することだ。これは、参院選挙を考えれば、徹底して結論を出し、定着させる方向に持っていかない限り、参院選挙には勝てないし、議席後退となれば党内から「引責」の声が噴出するだろう。 
 もうひとつは、石破の持論である日米地位協定の改定を実現することだろう。彼の防衛相の際に、沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落(2004年)、この扱いに日本の警察を排除して米軍が一方的に処理したことに屈辱を感じたことがこの問題の解決を重視している理由だ。外務省は、米国に対して取り上げること自体に反発し、米軍が譲歩することなどあるまい、とはじめからその気がない。
 地位協定は明らかな不平等条約の類で、いわば屈辱的な扱いを受けるもとになるもので、交渉すらしないこれまでの日米関係は、とくに沖縄にとっては植民地の扱いに等しいものでもある。
 石破の一徹さがどこまで貫けられるか。この2点以外に石破のイメージチェンジの道はないだろう。

 正すべき好機 過半数割れの事態をどう活用するか、この点をプラスに置き換えることは重要である。問題もいろいろあろうが、プラス思考で、また大きな視点で生かすことが大切だろう。 
 ひとつは、野党は結束して国会のありよう、政府と国会のかかわりなどを見直すこと。すでに国民民主党が103万円の壁に挑戦しているように、多数自民党の壁を崩し、従来の行政上の問題などをひとつずつチェックし、政府自体が再検討する機会や取り組みを作ること。たとえば、予算案や法案など、ほとんどは自民党内の政調部門での政府説明と部会などの検討にゆだね、そこを通過すれば国会審議はほぼ修正なく成立している。簡単に言えば、自民党の結果イコール法律等の成立・施行となっていく。
 この自民党後退の時期に、自民党内の論議も必要だが、野党が結束し、主舞台が国会の論戦であることを再確認し、その望ましい意見を政府も再点検し直して実行に移すような慣行を生み出したらいい。この作業は時間がかかることでもあるので、その手続き的なありようは各党で論議し、決めたらいい。
 この場合、選挙時ではないのだから、野党はよく協議し、共闘的に政府、自民党に臨むことが肝要だ。とにかくひとつずつ望ましいあり方を試行錯誤し、「数」の多さではなく「質」の高さの、本来の民主主義を取り戻すべきだ。

 もう一点は、先に触れたように外交のありようだ。日本は極東の小さな島である。ひとたび戦争、大災害など非常の事態となれば、近隣諸国との協調関係がなによりも大切だ。大陸中国やインドなどとの関係はとくに重要になる。それは、現状のような軍事重視型の関係ではなく、相互的な経済や文化の交流、一般人の往来を密にした日常的な国民感情のわかり合える関係を強める。もちろん、閣僚など政府要人が相互に往来して、課題を丹念に話し合う。そのような環境を野党は、政府や与党に強く働き掛ける。公明党が自民党にすり寄るばかりではなく、毅然として対等に近い姿勢でものを申せば、野党以上に説得力を持つ。
 また、米国との関係は「同盟」という対等を意味する名称を使う以上は、日米地位協定の改定などはもっと率直に話し合う外交にしなければならない。「核の傘の下」ばかりにしがみつくのではなく、米国のやりようを受け入れがちな外交官たちの弱腰をもっと日本の立場を考えさせる姿勢に立ち返らせる必要があろう。
 ただ、これはトランプ大統領、そして強硬や狭隘な主張を持つ配下の要人らをそろえた陣容が相手では、とても無理だろう。とはいえ、日本の外交姿勢を改めようとする変化の意欲を持たなければ、いずれ米国でトランプ時代の「非」に気付くころを待っていては遅すぎる。後悔するばかりではどうしようもないことになる。

 これらの改革も、不可能、不必要などとせず、今こそ弱みを持った自民党の政権に迫っていくべきことなのだ。

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「石丸現象」のこと 話は変わるが、ひとつ書いておきたいことがある。 
 7月7日の東京都知事選は、小池百合子知事が291万票で当選した。次いで石丸伸二なる意外な人物が165万票で2位、次いでもっぱら現職との競合がうわさされた蓮舫が128万票で3位に落ち込んだ。
 石丸とは何者か、とおおいに話題になった。42歳、京都大学卒業後、大手銀行のアナリストを経て、2020年に広島県安芸高田市の市長選挙に出て当選。その任期途中に辞任して都知事選に出たという。
 この市長選はもとはと言えば、参院選で当選した河井案里とその夫で衆院議員の克行元法相が巨額の選挙資金をばらまいて事件となり、そのカネをもらった安芸高田の市長が辞職したことで行われた選挙だった。
 56人の候補者が名乗り出た都知事選に突然に出て、落選とはいえ2位の集票を果たしたのだから、尋常ではない。興味津々、市長時代の活躍ぶりを見たく、調べてみた。
 ところが、市議会での議員たちの質問に逆に質問をし返す。それはありうることでかまわないが、ついでに質問する議員に不勉強だ、質問の内容に矛盾がある、などと切り返すという。
 居眠りをする、質問をしない、と議員を非難して、議場では「恥を知れ!恥を」とどなった、という。
 歯切れのいい市長には、フアンがいて「あほな質問」などと攻撃し、市長を称える。確かに石丸市長は市の財政立て直しには職員らのリストラを必要とする、など能吏の対応も目立ったよう。
 だが、そういう問題もあろうが、市長である以上、市民の代表である議員にはそれなりの対応が求められよう。学歴の違いもあろうし、さまざまな仕事を抱える議員にミスもあろうが、言葉使いからして上から目線の対応はいいものではない。

 そのような人物がなぜ、驚くほどの票を集められたのか。奇妙である。さらに、「石丸現象」と言われる背景にはなにがあったのか。崩れた民主主義の象徴男なのではないか。

 さらに石丸には、問題化した兵庫県知事の斎藤元彦のタイプや言動などに類似性がみられる。高学歴にして能吏、議員らを見下げる姿勢など似たようなタイプである。
 都知事選の大人気がなぜ広まり、魅力を感じさせ、票に結びついたのか。彼らの実の言動や対応を見ずに、表面だけで「石丸現象」などと礼賛的に扱うメディアはおかしくないか。民主主義とはその程度でいいものなのか。
 公的なポジションに就くにふさわしくない人物、軽率ともいえる底の浅いメディア、これでいいものなのか。

                     (11月14日、元朝日新聞政治部長)      

(2024.11.20)
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