【ドクター・いろひらのコラム】(10)

とりかへばや物語「わたし食べる人、あなた作る人」

色平 哲郎

 食品添加物のこともさることながら、昨夏、主食の米が小売店から消えた。
 前年の猛暑による不作で在庫が少なくなったためだといわれる。
 
 一方、農水省統計によれば、米農家の農業所得の平均は2021年、22年の両年ともに「1万円」。時給に換算すると「10円」だという。これでは米を作れというほうが無理だ。カロリーベースの自給率がわずか38%、にもかかわらず食料問題が選挙の争点などにとりあげられることは少ない。
 
 なぜ日本人は食料問題に無関心なのだろう。
 多くの日本人に「わたし食べる人、あなた作る人」という役割分担の固定観念が強すぎるからなのか。多少値段が高くなっても、金さえだせば買える、作る人に頑張ってもらえばいい、と高をくくっている気がする。
 
 役割の固定化は、医療の分野にもはびこっている。
 私たち医師は、日頃、患者さんを当たり前のように指導しているが、はたしてその効果を顧みているだろうか。内科医は糖尿病の患者さんにデータを示し、血糖値やヘモグロビンA1cがいくらだから一日30分速足で歩きなさい、などと上から目線で指導する。「わたし診る人、あなた診られる人」と役割が定まっている。
 
 こうした役割の固定化に、友人の医師で早稲田大学の兪炳匡(ゆうへいきょう)教授は「即興劇」の視点から揺さぶりをかけている。兪氏は、たとえば、こんなふうにプロデュースする。
 
 舞台は調剤薬局。
 新型コロナ感染症と診断された日本語の少し不自由な外国人患者が、解熱鎮痛剤のカロナールを購入しにやってくる。
 薬剤師は、差別的な意識が強い様子で、外国人患者に「そんなものはない」と伝えた。にもかかわらず、直後に来店した流暢な日本語を話す人には、ない筈の(実は、店には1箱だけ在庫が残っていた)カロナールを取り出して、渡そうとする。
 
 一つのカロナールを前に、三人が何ともいえない緊張感で、顔を見合わせる。
 そこに「外国人患者を助ける立場で、即興で演技してください」と言い含められた第四の人物が登場する。その人は、何を言っても、何をしてもいいのだ。
 第四の人物は、とっさにどんな演技をするのだろうか。
 
 兪氏によれば、即興での演技は多様だ。
 ある人は、緊張感を和らげようと、歌をうたった。
 別の人は、幼い子どもの役を演じ、「二人で仲よく、半分こすればいいよ」と。
 そして「あなたの差別的な言動をスマホで撮影しました、あなたの上司に知らせます」と薬剤師に警告する人も。
 いずれにせよ、即興の演技はその場を客観化し、参加者の心に強く響いたという。
 
 医師もときに患者さんと、役を入れ替わってはどうだろう。
 
 自分が患者さんに糖尿病の指導をした直後、2分間だけ、患者さんに医師役をやってもらう。
 受けた指導内容、そのままを「患者さん役の医師自身」に伝え返してもらう。
 自分にどの程度の「指導力」があるのか、また、どう患者さんに話すのが、動機づけや納得、そして行動変容につながるのか、そのヒントを感じとれるのではないか。
 
 詳細は兪教授の著書「2分の即興劇で生活習慣を変える!健康教育プログラム」(社会保険出版社)まで。
 
 諸外国に比して、演劇教育が一般的でない日本でこそ、無限の可能性が期待できるのではないか。

(2025.3.20)
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