【コラム】ドクター・いろひらのコラム(25)
アジアの伝統的農村と日本農村の今後
色平 哲郎
今年も7月10、11日と佐久総合病院で、「農村医学夏季大学講座」が開かれた。「農村医学」と銘うっているが、農業人口が100万人を切り、兼業農家が全体の7~8割を占め、耕作放棄地がいたるところにある日本では、農村という概念が消えかけている。
「農村に農民がいて自律的に農業」という姿は決して歴史的実在ではなかった。かつての「伝統的農村」は、村外に領主、村内に地主、自作農、小作農、土地なし農民が暮らし、鍛冶屋や大工、高利貸し、炭屋たちが周囲にいて、共同体を形づくっていた(農村学)。協働で作業をする「もやい」や「結」も機能していたが、そうした慣習はもうほとんど残っていない。
江戸期から明治の地租改正を経てもほとんど変化しなかった日本農村は戦後の農地改革で激変し、農地・農家・農協という単位に一旦再編、いま眼前にあるのは「地域」という空間だ。その地域が人口減少の荒波を受け、将来的に医療をどう継続させていくか大きな問題に直面している。
国土交通省の「国土のグランドデザイン2050参考資料」の「サービス施設の立地する確率が50%及び80%となる自治体の人口規模」によると、一般診療所「500~3500人」、一般病院は「7500~2万7500人」が閾値となっている。
私が10年間診療所長を務めた南佐久郡南相木(みなみあいき)村の2020年の人口は962人。2050年には678人まで減ると予想されている。隣接する小海町は同じく4353人から2408人に減少、と試算されていて行く手は厳しい。しかしながら、人が住み、暮らしている限り医療は必要だ。
私は若い頃、アジアの伝統的農村の姿をタイで垣間見ることがあった。現在のタイ国王の祖父マヒドン王子は、37歳で早逝したが、ハーバード大学で医学を学び、帰国後地方都市の病院に赴任。身分を隠し、昼夜を問わず、貧しい人びとを診た。患者のために自らの血液を提供して命を救ったという逸話も残る。マヒドン王子が広めた「地域全体で健康を守る」という公衆衛生の思想は、いまも「地域保健ボランティア制度」として定着している。
以前、王子を敬愛する教授から「あなたは何年、村で診療をしたのか」と問われ、トータル12年と答えると「それは私より長い。あなたは私より偉い」と、「タイの全ての医師は王子の献身に敬意を抱いております」とも。効率重視の医療政策では、地域の医療は守っていけない。
若月俊一名誉総長は、「農村医療」(1985年10月号)にこう記している。
「過疎地を守ることは、国土を守ることだ。農林業を含めての、自然の利用ということを忘れての、単なる地域の経済的発展が、国土全体を破滅に陥れる危険が迫っている。都市と農村の、そして、平場と山村の、それぞれの特徴を生かしての、バランスのとれた発展こそが、21世紀に向っての、私どもの期待でなくてはならない。かくて、農山村のコミュニティ作りこそ、私どもの重大な任務となる」
農村のイメージが希薄になった今こそ、もう一度、都市と農村のバランスのとれた発展、農山村のコミュニティ作りに向け、次の一手をうたねばならない。
色平 哲郎(いろひら てつろう)
JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長
大阪保険医雑誌2026年8・9月合併号掲載
(連載第29回)
(2026.8.20)
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