【コラム】アフリカ大湖地域について考える

* ルールが反故にされるとき

                      大賀 敏子

 ◆ 宇宙人の質問

 1915年、アルメニア
 1942-44年、ホロコースト
 1975-79年、カンボジア
 1994年、ルワンダ
 1995年、ボスニア
 1996-2002年、コンゴ民主共和国
 2003年、ダルフール

 20世紀以降、大勢の人が殺された歴史だ。網羅的ではないし、日本が直接関係するものは除いた。
 宇宙人なら、地球全体を俯瞰して見ているだろう。

 宇宙人――こんにちわ、地球の人たちは、殺し合いがお好きなのかとお見受けしますが。
 地球人――そんなことはない、戦争にこりて国連をつくった。ジェノサイドを反省してジェノサイド条約もできた。犯罪者を裁くために国際刑事裁判所も活動している。
 宇宙人――おお、それだけたくさんの決まりと制度をつくるには、お金もエネルギーもかかったことでしょう。ではもう、戦いは一切ないのですね?
 地球人――(言葉につまる)

 ◆ 秘境の墓地

 キブ湖はコンゴ民主共和国とルワンダの間の湖だ。面積は2,700平方キロメートル。あたりには5,000メートル級のルウェンゾリ山地があり、地球上最後のゴリラの生息地でもある。
 緑の山々に囲まれた湖面は、朝陽を受けるときらきらとダイヤモンドを散らしたよう、夕方から日没までは、ピンクがかったオレンジ色に染まる。その神秘的な美しさは、スイスのレマン湖、青森・秋田県境の十和田湖にも似ている。うっとりしてしまう秘境だ。
 2005年、国連のミッションが、三ヶ所に分散した、超大規模な集団埋葬地(墓地)を発見したのは、この一帯だ。

画像の説明
画像の説明
左から 1.ブカブからキブ湖を臨む。 2.朝陽を受けるキブ湖 3.水上交通。コンゴ旗がはためく。

 コンゴ民主共和国(本稿ではDRCと呼ぶ)は、1960年ベルギーから独立した。1997年まではザイールと呼ばれた。まぎらわしいが、コンゴ共和国は別の国だ。国連や世界銀行が経済社会指標を分析して世界の国々を順位づけすると、DRCは、たいていもっとも貧しい国のグループに入る。クーデター、国家元首暗殺の歴史があり、1961年、チャーター機の墜落で、ダグ・ハマーショルド国連事務総長が亡くなったのもこの地域だ。

 1996年から今世紀初頭までの第一次、第二次のコンゴ紛争で犠牲になった人の数は、およそ600万人とも言われている。ひとつの地域としては、第二次世界大戦後、最大の規模だ。戦いを止めてもらいたいと、国連、アフリカ連合、南部アフリカ開発共同体といった国際機構ばかりか、近隣諸国も、積極的に仲介した。この結果、この間、2003年の停戦合意をはじめ、少なくとも6つの合意が調印された。国連安全保障理事会は活発に会合を開き、頻繁に決議を上げ、国連平和維持活動(PKO)も拡充されてきた。
 しかし、いまなお、複数の武装勢力が活発だ。その数は130を超えるという。

 ◆ なかなか行けない

 DRCと日本には共通の話題がある。一つは火山活動が活発なため、地震が多いことだ。2008年、マグニチュード5.9の地震が起きた。被害を受けたあるコンゴ人は、2011年東日本大震災のニュースを知って、他人ごとではないと日本のために祈ったと話していた。もう一つは、日本に投下された原子力爆弾の原料となったウランが、DRC産であると言われていることだ。多くのコンゴ人が、このことを知っている。

 とは言え、DRCにはなかなか行けない。まず、あらかじめビザを取らないと入れない。コロナ禍で出入国規制が世界中で格段に厳しくなったが、それ以前はビザなしで旅行できる国の数という意味で、日本旅券は世界でもっとも便利だった。そんな日本旅券を持っていても、DRCに行くには、渡航目的、現地の知り合い、宿泊場所などの情報をそろえて、大使館にビザ申請することが必要だ。

 ◆ 首都に行けない

 地理的問題もある。国土面積は234.5万平方キロメートルで、アフリカ大陸ではアルジェリアに次いで二番目に大きな国だ。首都キンシャサは、国土西部の大都市で、国際線も多数就航している。しかし、首都キンシャサと東部キブ湖の間の移動がむずかしい。

 長く活動している、ヨーロッパ人宣教師が言っていた。「商用国内便は事実上ない、道路条件は悪い。キブ湖一帯は、州都から首都に直接行けない、世界唯一の秘境だ」と。道路については、後述するように、鉱山アクセス道であるため、武装勢力が統制下においている個所もある。
 北岸のゴマ、南岸のブカブは、キブ湖岸の主要都市で、隣国ウガンダとルワンダへはそれぞれ徒歩でも行ける。このため、キンシャサに行きたければ、いったん隣国へ出国し、そこからキンシャサ行きのフライトに乗るしかない。

 つまり、こういうことだ。旅行者が事故か盗難でパスポートをなくしたとしよう。日本人なら、その国にある日本大使館に連絡して、再発行してもらう。しかしキブ湖の場合、外国に出ないことにはキンシャサにある日本大使館に行けない。ところがパスポートがないと、外国に出られない。となると、ほんとうにどうすればいいのだろう。

 ◆ 退避勧告

 なかなか行けないのは、治安の問題もある。日本の外務省は「渡航はどのような目的であれ止めてください。また、既に滞在されている方は直ちに安全な地域へ退避してください」と勧告している。コロナ禍で「渡航しないように」という国と地域はぐんと増えたが、キブ湖一帯は、それ以前から退避勧告が出たままだった。
 2020年12月時点、外務省はこう警告している。「東部地域では政府の統治がいまだ完全に行き届いておらず、反政府武装勢力による地元住民の虐殺や誘拐等の非人道的行為が多数報告されるなど、不安定な状態が続いて」いる、加えて、近年はイスラム教過激派のテロも起きている。

 ◆ 超リッチ

 DRCは、ダイアモンド、金、銅、コバルト、コルタンなど資源が豊かだ。コルタンはスマホ、パソコンに不可欠だが、世界の埋蔵量の60~80パーセントがこの南北キブ州にあると言われている。つまり、超リッチなのだ。豊かなのはいいことだが、公平で平和的な管理が伴わないと、豊かであるがゆえに利権を生み、それが混乱と紛争をもたらすことになる。残念ながら、それがいまのところDRCの現状であると言われている。
 武装勢力は鉱山へのアクセス道路をブロックする。暴力を使って鉱山集落の一般市民を強制労働、児童労働に徴用することがある。資源を売ればもうかるが、その利潤は、さらなる武器の購入、兵力増強に充てられる。利権と欲と暴力の前で、社会のいちばん弱い者はひとたまりもない。

 ◆ 性暴力

 このようななか、2018年、デニ・ムクウェゲ医師がノーベル平和賞を受賞した。彼はキブ湖南岸ブカブの産婦人科医で、紛争下で性的暴力を受けた数万人の女性を治療してきた。
 性暴力とは何か。2010年、国連事務局と国連人権高等弁務官事務所は、DRCでの人権抑圧について500ページを超える報告書[注]を出したが、その中でこう言う。
 この時期に行われた性暴力は、集団で、暴力的かつシステマティックに、被害者の体の特定の部分をめちゃめちゃにするもので、それは、加害者の性的欲求からくる、いわゆるレイプというよりは、「戦争のテクニック」である、と。家族や隣近所が見ている前で、妻、母、姉、妹、娘に暴力をふるえば、ターゲットグループ全体が恐怖を覚え、加害者グループの言いなりになる。

 ムクウェゲ医師は、このような行為を性暴力ならぬ、「性的テロ」と呼び、人権弾圧のありさまを世界に訴えている。これをよく思わない勢力に、ときに脅しを受けながら。同医師の活動は映画にもなった(邦題『女を修理する男』)。

[注]Unofficial translation from French original “DEMOCRATIC REPUBLIC OF THE CONGO, 1993–2003 Report of the Mapping Exercise documenting the most serious violations of human rights and international humanitarian law committed within the territory of the Democratic Republic of the Congo between March 1993 and June 2003 August 2010” United Nations, the Office of the High Commissioner for Human Rights (OHCHR)

 ◆ 日本はそこまでひどくはないのか

 こういうアドバイスをよく聞く。DRCの鉱物資源がスマホには不可欠だ。だからスマホの快適性を享受している以上、DRCの問題は、日本をはじめとする豊かな国の問題でもあるのだと。確かにその通りだ。これを聞き、良心を刺激されて、何かできないかと真剣に考える人も多い。まさか行けないから、勉強してみよう、少しだけれど人権保護団体に献金しよう、など。このような善意の尊さは否定すべくもない。

 しかし、コロナ禍を持ち出すまでもなく、誰にもそれぞれの厳しい現実の問題が山積している。悪意はぜんぜんなくても、良心に支えられた善意だけでは、遠いアフリカの話はついつい後回しになって、忘れてしまうかもしれない。忘れないまでも、問題が大きすぎて手におえないと考えるかもしれない。

 安保理、PKO、条約など難しいことは、国連職員や政府の外交官たちが、そのための知識もノウハウも持っているのだから、彼らに任せればいいのでないか、だいたいそのためにきちんと税金を納めているのだ。スマホにしても盗んだのではない、対価を払って買ってきたのだから、スマホを使っているからと言ってDRC問題について考えよと言われても困る、「私はそれどころではないのだ」と。これもまた、その通りだと思う。

 さらに、こう考える人もいる。紛争の陰には、エスニックグループ同士の対立や政治の腐敗があり、そもそもは、それを巧妙に仕組んで扇動した欧州植民者がいけないのだ。確かに日本にも対立はあるし、政治腐敗もゼロとは言い切れない。しかし、刃物や銃砲が巷にあふれているわけでもない、呼べば警察官も来てくれる、日本人の道徳レベルは低くない。だから日本は「アフリカほどひどくはない」し、私はそもそも「危ない外国」に行くつもりはない。だから、私は安全だと。それは本当だろうか。

 ◆ 理屈が役に立たないとき

 マイナーな例だが、先日あったことだ。ふだんどおりの好天、片側二車線の道路を、音楽を聞きながら運転していたら、前方から車がこちらに向かってきた。何が起きているのか一瞬理解しかねたが、次の瞬間わかった。このままでは正面衝突する。とっさにハンドルを切って隣の車線に逃れた。後ろからくる車にほとんど接触しそうになりながら。
 相手のドライバーが進むべき対向車線は渋滞していた。彼(彼女か?)は急ぐために、渋滞していない、筆者の側の車線を突っ走ることにしたのだ。もちろんルール違反だが、警察官がその場にいないのか、あるいは警察官がいてもとがめられない方法があるのか、どちらかだろう。このようなことは多くはないが、たまにある。もし自爆テロを覚悟している人が相手だったら、ひとたまりもない。ルールの順守が、いつも安全確保につながるわけではない。

 もう一つの例は、大きく報道された事件だ。2016年7月、ダッカでJICAの日本人7人がテロで命を落とした。報道によると、「私は日本人だから撃たないで」と言ったのに、相手には通用しなかった。
 日本人は平和憲法を守り、ODAもたくさん出している。敵視されるほど、宗教的に過激なわけでもない。そもそもダッカにいるのも、この国の人たちの発展のためだ、だから感謝こそされるべきで、殺される理由は何もない、はずだ。
 ところが現実はどうだろう。そこにいるだけで恨まれたり、攻撃されたりすることが、確実にある。殺し合いより平和的にお話し合いをしましょうというのは道理だ。しかし、暴力を前に、理屈がはいる隙間はない。

 ◆ 取り返しのつかない傷

 性暴力の意図は、女性に残忍な暴力をふるうことで、ターゲットグループを心身ともに徹底的に痛めつけ、支配することにあると先に書いた。しかし、人を恐怖に陥れ、服従させようという悪意ならDRCに限ったことではない。世界中にある。

 日本もそうだ。親による虐待、学校や職場でのいじめ、ドメスティックバイオレンス、だいじに貯めたお金を詐欺で失った、などのほか、ハッキング、見られたくない写真をネットに載せられてしまった、などもあるだろう。暴力は物理的なものとはかぎらない。精神的な深い傷は精神疾患をまねき、やがてそのような疾患が原因で、被害者は社会生活に戻ることができなくなってしまうこともある。

 虐待やいじめはとがめられ、犯罪を犯せば罰せられるという仕組みはある。しかし、いくら制度があったとしても、壊滅的なダメージを受けてしまった被害者の人生を、被害を受ける前の状態に戻し、取り返すことができるわけではない。
 いくらなんでも日本はDRCほどひどくはないと、そう思いたくなる気持ちはもっともだ。しかし、人が人を傷つけるという意味では、本質的にはまったく同じことが、日本にいても、行われているとは言えないだろうか。

 ◆ 社会規範

 その昔、日本の武士は、いつも刀という凶器を身に着けて往来を歩いていた。それでも、殺りくばかりの無政府状態にならなかったのは、ルールがあったからだ。主君に忠誠を尽くし、弱い者を助け、名誉を重んじ、卑怯なことは許されないといった、武士道精神と呼ばれるものだ。こうして社会の秩序が守られた。いまでも日本人は一般にまじめで、道徳レベルが高く、ルールはきちんと守る。これは日本人のとりえであり、強みでもある。
 日本だけではない。西洋には騎士道精神が、アジアの仏教国には釈迦の教えが、イスラムにはコーランを基礎とするイスラム法が、アフリカには相互扶助の原則が、それぞれあったし、いまもある。それぞれの気候風土に育まれた、それぞれの社会規範がきちんとある。

 しかし、いま、地球全体を見るとどうだろう。自分には自分をしばる社会規範がある。ならば、対峙する相手も、おそらく最低限、自分と同じような道徳観念をどこかに持っているにちがいないだろうと、ついつい期待したくなる。ルールさえ守っていれば、最悪のことにはならない、安心なはずだ、と。しかし、それは本当だろうか。

 ◆ 暴力と悪意を前に

 オルタ広場第27号(2020年7月20日号)で、カンボジア難民救済に当たったアメリカ人を取材し、筆者はこう述べた。
 「コロナウィルスが突き付けた教訓の一つは、孤島で自給自足でもしていないかぎり、人という人がすべて被害者にも加害者にもなりうることだ。誰かが抱えている問題はやがて自分の身に降りかかってくるかもしれないし、自分の問題を自力でどうにか処理しようとしても、他人に影響を与えてしまうことがある。こうして地球での暮らしは、実はお互いに迷惑のかけあいだ。となると、助け合うしかない」

 迷惑のかけあいという言葉づかいは、マイルドに過ぎたと感じている。DRCの現状は、現代世界のもっとも残虐な事例のひとつと言って間違いない。ほんとうに悲惨なものをよく勉強すると、赤裸々に見えてくるものがある。単に筆者個人の自戒の念にすぎず、一般化して論じるのは不適切かもしれないが、このように思うときがある。

 暴力を前にすれば、机上のルールはその意味を簡単に失う。利権があれば、紙の上の理想と約束は、あっというまに反故にされる。どんな組織も弱点を抱えており、それが表に出て組織が揺らげば、命令反抗、下克上、無政府状態がいつでも簡単に起きる。悪意の前で正義がいつも勝つとはかぎらない。恩はあだで返し、結局馬鹿をみるのは正直者たちだ、としか言いようのないことが、繰り返し繰り返し、起きる。

 ◆ 顔が見える幸運

 筆者がキブ湖を訪ねたのは2014年だ。エボラ出血熱が流行した年だった。ルワンダの出国審査を終えて国境を超えると、パラソルの下で待ち構えていた制服の検疫官に熱を測られた。州超えの旅行には国境越えと同じような身分証明書のチェックがあり、職業、渡航目的、宿泊先を、現地人も外国人も問われた。キブ湖を渡る船に乗るには、セキュリティのための荷物検査と身体検査があった。貧しいから「国の制度が全部ダメ」なわけではけっしてない。

 ブカブの人に「いまならダイジョブ、安全だ」と言われて出かけたが、確かにあのときはダイジョブだったし、「いまなら」という限定つきだったのも適切だった。なかなか手に入らないからと頼まれ、ナイロビで紙おむつを買い込んで行ったが、あの一家はいま無事だろうか。値段交渉で、10ドルか15ドルかで大さわぎになったあのタクシー運転手は、生きているだろうか。

 こうして、市井の人々の顔を思い浮かべることができるのは幸運だ。しかしその反面、長く政府・国際機関に所属し、その立場以外には国際社会を経験していないため、筆者の世界観はそうとうに歪んだものであろうとも思う。まして、いまナイロビで、ぬくぬくと安全で快適な生活をしている筆者に、資格があるのかどうかもわからない。しかし、オルタ広場は「一人ひとりが声をあげて平和を」希求するフォーラムだ。アフリカ大湖地域をテーマに、何回かに分けて考えを述べたい。冒頭の宇宙人の質問にどう答えればいいのだろう。

 (元国連職員・ナイロビ在住)
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