【アフリカ大湖地域の雑草たち】(46)

エイズの薬がない

大賀 敏子

I 静かなクライシス

援助一時停止から1ヶ月

 エイズウィルスを持つ人たちが命を落としつつあると、ある人から聞いた。USAID(アメリカ国際開発庁)の対外援助一時停止から1ヶ月を過ぎたころだ。さらに何人かに尋ねたら、確かにそのとおりで、静かなクライシスが進行中だという。

薬はタダ

 HIVエイズは1980年代以降世界中に広がり、不治の病とおそれられたが、薬ARV(Antiretroviral medications)が開発されてからは治療できる病気になった。ただし服用がむずかしく、たとえ1日でもブランクをおいてはならない。
 薬は無料で入手できる(手元の記録が正しければケニアでは2006年から)。有料だったら普及せず、普及しないと感染拡大は止まらず、結果的に社会全体により甚大なコストをもたらすからだ。
 これを支えたのが海外からの援助だ。なかでもアメリカは、「米国大統領緊急エイズ救済計画(PEPFAR)」(2003年から)を柱に大きな貢献をしてきた。ケニアは薬にかかるコストの約3割をアメリカ政府の援助でまかなっている。

II お役所は

ケニア政府は

 「USAID閉鎖」と報じられたが、正確には対外援助を90日間凍結するものだ(2025年1月20日付け米国大統領令、Reevaluating and Realigning United States Foreign Aid)。この間、資金と物資の流れが止まるうえ、スタッフは強制休暇、でなければ解雇を告げられている。
 これを受け、ケニア政府は「薬はあります、治療は続けられます」から、パニックするなと呼びかけた。「(アメリカの動きは)急すぎただけ、2030年めどに自立するところだった」と、苦しまぎれだ(Dr. Ruth Laibon-Masha, CEO of the National Syndemic Disease Control Council)が、他のドナーに支援を求めたり、ケニア製薬剤を増産したりと緊急に対策を模索している。ケニアには製薬能力があり、国産ARVもある。
 なお、大統領令から1週間ほど後(1月28日)、アメリカ政府は「緊急人道的特例措置」を発表した。しかし、現場の混乱は続いている。

UNは

 UNAIDS(国連エイズ合同計画)はホームページを再編集し、トップに「最近のアメリカの決定が世界のHIV対策に与える影響」を掲げている。UNAIDSはHIVエイズ対策のため1994年から活動する国連機関だ(本部はジュネーブ)。
 別掲は速報をまとめたウィークリー・アップデートの一部だ。そこには「HIV薬購入のために米国依存している20ヶ国」という表がある。トップはコンゴ民主共和国で、HIV薬に要する費用の89パーセントをアメリカに依存している。次いでハイチ、モザンビーク、タンザニア、それぞれ62パーセント、60パーセント、60パーセントと続く。ケニアは上述のように約3割(29パーセント)だ。
画像の説明 https://www.unaids.org/en
不思議な表

 しかし、よく見るとこの表は、時点が不明、出典も不明だ。しかも、感染率の高さで知られる南部アフリカ諸国が入っていない。脚注によると、複数ソースの情報を組み合わせた推計とのこと。タイトルに「米国依存」という言葉があるが、表の下位2ヶ国(エスワティニ、ベニン)の数値は10パーセント以下で、「活用」でこそあれ「依存」とまでは言えないだろう。
 UNAIDSにこのような表を作らせたことだけでも、世界にアメリカ援助のありがたみを痛感させる効果があったのではないか。アメリカ政府がUNAIDS事務局に頼んで発信させているのかとさえ思えてくる。

III働き盛りたちは

タダだったのに

 ジュネーブの外交官たちの会話内容にかかわらず、現場は現実問題に直面している。こんな声を聞いた。
 「いままでARVは公立病院でもらっていた。ところが在庫切れ。仕方がないので薬局でお金を払って買った」
 「乳児向けのシロップ。これまで2本ずつもらっていたのに、いまは1本しかもらえない」
 「エイズ薬だけじゃない。マラリア、結核の薬もない」
 UNAIDSによると、ケニアのARVストックは、援助一時停止後も2~4ヶ月分はある(Nevirapine syrup, Dolutegravir 10 mg and 50 mgは、それぞれ、3月末まで、5月末まで、6月過ぎまで)。確かに、国内に薬はある。それも、報道によれば、目と鼻の先の倉庫に。しかし、必要な人に遅滞なく届くかどうかは別だ。書類にサインし、車に積み、運んで配るスタッフがいないからだ。

大勢の働き盛り

 かつてエイズ感染の広がりは爆発的だった。あるケニア人同僚は、故郷で「村一つが吹き飛んでしまう勢い」と言っていた。HIVエイズは働き盛りを直撃するので、社会の担い手がいなくなってしまうのだ。別の同僚は、頻繁に、ほとんど毎月と言っていいくらい家族や親戚を失い、そのたびごとに葬儀と遺児養育の段取りに振り回されていた。
 筆者自身、多くの友人、知人を見送ってきた。ある日マラリアだと言って休む。それが頻繁になる。たまに体調がいいのか出勤してくるが、明らかにやせてしまっている。休みが続く。そうこうしているうちに訃報が届く。そんな人が何人も、何人も、何人もいた。
 その後、対策が整備されたおかげで、ウィルスを持っていても治療を続けながら通常の社会生活を送れるようになった。ケニアの感染者数は140万人、働き盛りの3.2パーセントだ(15~49歳、2023年データ)。そんな人たちなしでは、今の社会は回らない。

どう困るか

 ARV服用をスキップしても直ちに命を落とすわけではない。しかし、服用しないと免疫が落ち、日和見感染症で危険な状態になる。コロナ感染のリスクも増す。ウィルスを持つ母親から生まれた新生児には、生後4~6週間の集中投与が不可欠だ。多くの人は食べるものを買うのに精いっぱいだ。無料だった薬がとつぜん有料になってしまって、いつまで治療を続けられるのか。
 また、薬さえあれば良いわけではない。人々が検査を受けてHIVステータスを知らなければ治療は始まらない。ところがいまや、そのために額に汗して現場を歩き回るスタッフがいない。将来にどれだけの影響をもたらすのだろう。

IV 予想外のインパクト

政権批判

 ケニアの現政権を批判する人たちは、あたかも鬼の首を取ったように声を上げている。ルト大統領は先に国賓待遇でアメリカを公式訪問し、主要な非NATO同盟国と歓迎された(2024年5月、バイデン政権時)が、「国内はどうするのだ」と。
 さらに、この混乱をケニア政府が上手に収めることができなかったらどうなるか。間髪を入れず、別の大国が堂々と入ってくるだろう。政治外交のアナリストでなくても気になることだ。

ペットにもインパクト

 以上で本稿を終えようとしていたら、別の話題が目についた。ペット・シェルターが収容能力を超えて困っているという。ペット・シェルターとはペットを預かったり、引き取り先を探したりする民間のサービスだ。
 少なからぬUSAIDスタッフが離任を命じられた。急な異動命令でも、人はどうにか対応できる。しかし、ペットたちは手間と時間のかかる事前準備なしには海外旅行できない、といった事情のようだ(ペットの海外旅行については、拙稿2020年11月号参照)。
 USAID援助一時停止の影響は、報道されているもの、されていないもの、顕在化したもの、まだしていないもの、ほかにも多々あるだろう。政治的リーダーの決断は、考えもしなかったところに、考えもしなかった影響をもたらす。
 これを書く横で、いつものようにウトウトしていたネコのCに、思わず手を伸ばしてしまった。

ナイロビ在住

参考文献
National SD Control Council, The Future of the Kenya’s HIV Response
UNAIDS, Impacts of U.S. pause of foreign assistance on global AIDS programmes in Kenya, 9 February 2025
Daily Nation, Pets face homelessness as expatriates return home, Wednesday, March 12, 2025
Daily, Nation, HIV patients live in fear as US aid freeze strands drugs in warehouse, Tuesday, March 11, 2025

(2025.3.20)
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