【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ガンディー、ネルーも抹消して、モディ政権のインドはどこへ行く?

荒木 重雄

 インドでモディ首相が就任して4年。この間、私たちが慣れ親しみ仄かな尊敬さえ抱いていたインドのイメージが大きく変わりつつある。
 たとえば、公立学校の社会科教科書から、なんと、初代首相ネルーの記述が消えた。建国の父、ガンディーの暗殺にさえ触れられていない。
 ガンディーやネルーは、いわずとしれた、モディ氏率いる現与党インド人民党(BJP)のライバル政党・国民会議派のかつての中心人物であり、現在の会議派総裁もネルーの曾孫ラーフル・ガンディー氏だからだ。
 だが、たんなるライバル関係を超えた、深い対立・断絶が両者の間にはある。

◆ 教科書書き換えの背景にあるもの

 1947年、インドを独立に導いたガンディー、ネルーらの国民会議派は、「セキュラリズム(宗教的融和、政教分離)」と「少数者への配慮」を国是に掲げた。百万人に及ぶ犠牲者を出す深刻な騒乱を経て、イスラム教徒主体のパキスタンとヒンドゥー教徒やシク教徒主体のインドに分離独立し、独立後もなお国内に約80%のヒンドゥー教徒と約15%のイスラム教徒をはじめ多様な宗教が混在し、しかもその間で対立・緊張を孕むインドにおいては、この国是こそが社会の安定と公正の基盤であった。

 ところがインドには、独立前から、インドをヒンドゥー教徒の国と捉え、他宗教を排斥し、「多数派ヒンドゥーの力による強大な国家を」と唱えて、暴力的手段も用いてその実現を策してきた集団がある。それがモディ首相の出身母体RSS(民族義勇団)であり、その政治部門がモディ氏率いるインド人民党(BJP)である。彼らにとっては、ガンディーやネルーは、イスラム教徒に妥協してヒンドゥー教徒を苦しめ、インドを弱体化した裏切り者なのである。

 それゆえ、ガンディー、ネルーに替わって教科書に登場するのは、ガンディー暗殺への関与も疑われるヒンドゥー主義思想家サーヴァルカルや、RSSの愛唱歌、はては、イスラム教徒やキリスト教徒は本来のインド人ではない「外来者」と排除するトンデモ言説である。

 連邦制のインドでは教科書の内容は州政府が決める。だから全国画一ではないが、BJPが政権を握る多くの州で進行中の事態である。

◆ 神話を操作して党勢を拡大

 異変は学校教育だけではない。州政府発行の観光ガイドブックから、かの有名な世界遺産タージマハルが削除された。イスラム系王朝の遺跡だからという。

 また、たとえば映画館に入ると、上映前に国歌斉唱のための起立が要請される。インド最高裁が一昨年、「愛国主義を醸成する」として下した判決に基づくもので、その後は、起立しない観客が与党BJPの支持者らに暴行される事件も頻発している。

 国歌が流れ、スクリーンに国旗がたなびく中、観客の中の男性の誰かがヒンディー語で「インドの女神に」と叫ぶ。すると、周囲一帯が「勝利を!」と大声で唱和する。この文言は、モディ首相が演説の締めによく使う言葉で、インドは女神に象徴される多数派ヒンドゥーの文化に基づく国家だという主張の宣揚である。
イスラム教徒やキリスト教徒は恐怖を覚えるという。

 じつは、RSSやBJPはヒンドゥーの神や神話の象徴性の操作にとりわけ意を用いている。
 モディ氏はこう述べたことがある。「ガネーシャは、形成外科がすでに古代インドで行われていた証拠だ」。
 ガネーシャは、父シヴァ神に首を切られ象の頭に付け替えられたという神話をもつ、インドで最も親しまれている象頭人身の神だが、その神話をもってヒンドゥー文化に基づくインドの優越性を誇ろうというのだ。

 もちろん、神話と歴史の混同は批判される。だが、モディ政権は批判など意に介さず、一昨年、古代史を再検討する委員会を設置した。文化相いわく、「神々の話は神話ではなく史実。古典の内容と考古学の史資料との差を埋める必要がある」。

 だが、じつは、この神話と歴史の混同こそが、インド人民党(BJP)の躍進のそもそもの原動力であった。
 1980年にRSSの政党として創設されながらその主張の極端さから低迷していたBJPが起死回生を図ったのが、「北インドのアヨーディアという町にあるモスクは、かつてラーマ神が祀られていたヒンドゥーの神殿を毀して建てられたものだから、そのモスクを破壊してラーマ神殿を再建しよう」という運動であった。

 90年、RSSやBJPは数万人の支持者を動員してモスク破壊を企てるが治安部隊に阻まれて果たせず、92年に再び挑戦してついに破壊した。その両回とも、ヒンドゥー教徒対イスラム教徒の宗教暴動が起こり、数万人の死傷者が出た。この事件を通じてイスラム教徒への敵意を煽り広げることによってヒンドゥー教徒を結束させ、それを選挙に結びつけて、党勢の飛躍的な拡大を達成したのである。

 モディ氏自身が政治家として名を高めたのも、州首相時代、グジャラート州で2002年に起きた、アヨーディア関連で3,000人近くのイスラム教徒が殺害された宗教暴動を通じてであった。

◆ 「神の国」が経済成長に支えられて

 奇妙なことに、近年の世界におけるインドの存在感の向上や経済成長に後押しされる形で、古代インドの優越性を強調してヒンドゥー教徒の誇りを刺激し党勢を拡大する時代錯誤的な手法が勢いを得ている。独立以来、憲法が掲げてきた、すべての宗教を平等に扱う「世俗国家」の看板さえ下ろすべきと公言する閣僚もいる。こうした動きの中で、来年にも行われる総選挙に向けて、RSSやBJPはヒンドゥー教徒結集のため他宗教へのさらなる攻撃を強めるのではないかと、少数派教徒は懸念するのである。

[本稿は事例の多くを朝日新聞・奈良部健記者による報道に負っている。記して深謝する。]

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)
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