【アフリカ大湖地域の雑草たち】(49)

ケニアと60年安保

大賀 敏子

I 流血の国会

BBCドキュメンタリー

 『Blood Parliament』(流血の国会)というタイトルのBBC(英国放送協会)ドキュメンタリーが、2025年4月28日に公開され、話題になっている(註)。
 場面は1年前、2024年6月25日、ケニア国会前だ。増税法案に抗議するデモ参加者と治安部隊が衝突し死傷者が出る事態となった。
 ドキュメンタリーは「WARNING—Distressing content, including injury and death(警告—傷害や死など悲惨な内容)」で始まり、こう伝えている。動画、写真5000点あまりを解析した結果、犠牲者のうち少なくとも3人は、治安部隊の銃弾を受けて亡くなり、しかもその銃弾は、狙撃手が狙いを定めて―つまり、威嚇や警告ではなく―引き金を引いたものであった(抗議行動については2024年8月号拙稿参照)。

(註)Youtubeで視聴できる。
https://www.youtube.com/watch?v=qz0f1yyf_eA

バランスをどうとるか

 大勢の人が参加したデモが、死傷者が出るほどの混乱になった事例は、以前にもあった。たとえば、その1年前の2023年、やはり増税案をめぐり全国で抗議が起き、それは治安部隊との衝突をまねき、死傷者が出た。
 デモは憲法(2010年制定)で保障された民主的権利だが、正当な抗議と公共の秩序、治安の維持と過剰な武力行使のバランスをどこに置くかが問題だ。たびたび論争になってきたものの、そのたびごとに「喉元を過ぎれば」で、犠牲者の発生は、残念ながら、繰り返されてきた。
 BBCはこれまでも、さまざまな国、地域を取りあげ特集してきたが、このたび2024年ケニア国会での事件に注目した。これが特別に重要だと考えたためだろう。

II 今までとは別

シンプルだが斬新

 増税案をきっかけとした抗議行動は、2024年6~7月の2ヶ月ほどケニア全土で続いたが、6月25日の事件は、その中心的出来事とも言える。動機はシンプル、ストレートだった。これ以上増税されたらかなわない、市民の声を国会に届けようと。
 シンプルだったが斬新だった。というのは、それまでの、いわゆるよくあるパターンの抗議行動とは異質だったためだ。よくあるパターンとは、簡単に言えば、エスニック抗争であり、政党指導者などプロの政治家がリードするものだ。資金が流れ、政策への意見表明より資金に魅力を感じて動員された参加者もいたかもしれない。そのような人たちは、定職を持たず、ほかにすることがない人も多く、暴徒化することもあった。かくて治安部隊と衝突した。

お祭り

 これに対し、2024年の抗議行動は、増税反対という主張で一致した人々が、エスニックラインを超え、誰かリーダーの動員指示ではなく、SNS情報を受け取ってそれぞれ自発的に行動した。
 筆者の知人たちも、この日国会周辺に向かった。中心はZ世代と言われる若者たちだが、職業も家族もある中年の人もいたし、仕事で行けなかったが本当は行きたかったと言う人もいた。それぞれケニア国旗を持ち、歌ったり踊ったりしながら。付近のキオスク店主は、売り物のペットボトル入り飲料やスナックを無料で配って応援したとも聞く。気持ちを合わせた人々の、一種の「お祭り」だったとも言える。少なくとも、行動開始当初は。

アラブの春、フランス革命

 声は確かに政権に届いた。ルト大統領は増税案の白紙撤回(6月26日)、関係閣僚の更迭(7月11日)で応えた。さらに、警察トップ(ジャフェス・クーム長官)が、引責する形で、辞任(7月12日)した。とは言え、貧富の格差、腐敗など市民が抱く不満はそのままで、対外債務返済のための財源確保も待ったなしだった。つまり、根本的課題が解決されたわけではなかった。
 ただ、ケニアでのこのような動きは、抗議に立ち上がることが、まったく無意味というわけではないと示したのだろう。ウガンダ、タンザニア、ナイジェリア、ガーナなど他のアフリカ各地の若年層にも大きな影響を与えた。
 国際メディアの多くは、このような一連の動きを、アラブの春、フランス革命になぞらえ、地殻変動だといった論調で報じた。

III 民主主義の試練

ほかにも方法あったはず

 ドキュメンタリーによると、犠牲者3人のうち2人は、国会前の通りで撃たれた。狙撃手の警察官は、膝をついた射撃姿勢で、狙いを定めて引き金を引いた。デモ隊の一部は国会敷地内に侵入し、建物に火をつけたが、3人めの犠牲者はその中の一人で、退去するところをゲート付近で撃たれた。狙撃手は応援に動員された国軍兵士だ。3人のいずれも武器を持っていなかった。
 なお、この3人以外にも犠牲者はいた(現地メディアの速報では、この日だけで死者22人)が、上述のように、これは写真、動画を解析した結果で、発砲と死亡の因果関係が明確だと判断されたのがこの3人だった。

それぞれの主張

 そしてBBCはこう主張している。群衆を追っ払うには催涙ガス、放水砲、威嚇射撃など他の方法がある。確かに、国会敷地内に侵入し、施設の一部を破損したのは処罰されるべき行為だ。ならば逮捕すればいい。武器を持たぬ市民を撃ち殺す理由はどこにもない、と。
 これに対しケニア政府は、内容は一方的で、国民を暴力に駆り立てる恐れがあると批判した。さらに、一部の国会議員は、戦争地域で起きている多くの殺戮こそ特集すべきで、なぜケニアの抗議行動だけ目の敵にするのか、そもそもケニアの主権の下にある国内問題だと反論した。

樺美智子さん

 このようなケニアの様子を、日本の読者にわかりやすく伝えるにはどうすればいいかを考えた。1960年の樺美智子さん死亡事件を想起したらどうだろう。
 1960年6月15日、安保闘争に参加した学生の一人であった樺さんが、国会前で警察との衝突のなかで亡くなった。死因には議論があるようだし、戦後日本で、市民が治安部隊との衝突で犠牲になったことは、ほかにもある。しかし、樺さんの事件は、民主主義の形成と発展という文脈で、特に重要で象徴的な意味をもつ。
 ケニアの2024年事件は、あのときの日本と共通する面がある。正当な民主的抗議と治安維持とのバランスという意味で、そして、多くの人が「民主主義の試練」だと、いてもたってもいられない気持ちを抱いたという意味で。

IV それぞれのあり方

良心の囚人

 2025年5月28日、とある著名な文学者の訃報が流れた。Ngũgĩ wa Thiong'o(ングギ・ワ・ジオンゴ)(1938‐2025年)、1970年代、演劇や著作を通じ、腐敗、階級格差など当時のケニヤッタ政権を鋭く批判し、投獄、亡命を余儀なくされた「良心の囚人」(アムネスティ・インターナショナル)だ(写真参照、Daily Nationから転写)。
 英語ではなく母語であるキクユ語で、ジェームズ・ングギではなくキクユ名で、表現の自由と草の根の抵抗を主張し、政治的独立を果たした後もなお解放されないメンタリティの解放を訴えた。その思想に大いに触発されたという人は、とくにいまではシニアとなった世代に、少なくない。

アフリカ人の闘士

 ングギはたびたびノーベル文学賞候補に名が挙げられてきたが、ファンはこうも言う。「ングギは、そんな“他人様の賞”、ほしくもなかっただろう」と。
 欧米などの外国であれ、ときの為政者であれ、強者、権力者には媚びない。ングギはそんな闘士の象徴で、そうであるからこそ、アフリカ人の心に響くのだろう。言い換えれば、彼の投獄事件は、ケニア人にとっての樺美智子さん事件なのかもしれない。
 ングギは、2024年の抗議行動についても、亡命先のアメリカからSNSでメッセージを発信した記録がある。亡くなる約1年前だ。火に油を注いだわけではないが、若者の政治的主体性を支持し、ルト大統領に対話に応ずるべきだと求めた。
 民主主義の成長には、それぞれの土壌、国民性、時代にあったそれぞれのスタイルがあるのだろう。

(ナイロビ在住)

画像の説明

Renowned author Prof Ngugi wa Thiong’o gestures during an interview with the Nation on February 7, 2019. 

参考文献
https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/trnsphoui.html法医鑑定の透明性と説明責任ー樺美智子さんの死を巡ってー
Daily Nation
Reginald M.J. Oduor, June 3, 2025, My Intellectual Debt to Ngũgĩ wa Thiong’o: A tribute to Ngũgĩ wa Thiong’o whose works have had a major impact on my outlook, influencing what I think about a wide range of topics
InDepthNews, 16 June 2024, Kenyan Bishops Slate Proposed Tax Hikes

(2025.6.20)
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