宗教・民族から見た同時代世界
シリア新政権は宗教のモザイク社会を軟着陸に導けるか
歴史的、地理的に中東の中心部に位置し、様々な民族や宗教が入り混じるシリアは、「中東の活断層」と呼ばれてきた。その安定を担ってきた父子二代にわたるアサド政権の独裁体制が揺らいだのが、2011年にシリアに波及した民主化運動「アラブの春」であった。その混乱を機に、以来、米欧、ロシア、中東諸国がこぞって異なる現地勢力を支援し、シリアは複雑な代理戦争の場と化していた。
そこに、昨年12月、ウクライナやガザの事態を巡ってそれら外国勢力の均衡が一瞬崩れた、そのスキを突いて、反体制派の武装組織「シャーム解放機構」(HTS、旧ヌスラ戦線)が首都ダマスカスに進攻し、政権軍はあっけなく崩れて、アサド大統領(当時)はロシアに逃れた。
これが現在のシリアの状況である。半世紀にわたる独裁政権は倒れたが、これで民主化が進み、新たな安定が得られるのか。これまで述べたことからも疑念が湧くが、シリア社会の複雑さを顧みれば、なおさらである。事実、民主化を求める市民とそれを弾圧するアサド独裁政権の戦いとして語られた「アラブの春」後の混乱も、じつは、アサド一族が属する、国民のほぼ1割に過ぎないイスラム教アラウィー派が長期に権力を握り、それに不満を募らせていた約7割の同スンニ派住民が反旗を翻したことが根底にはある。
HTSは指導者アフマド・シャラア(戦闘名ジャウラニ)氏を大統領に暫定政権を立てたが、その政策はいまだ定かではない。そこで、この小欄では、シリアの宗教事情に目を向けながら、この国の行方を見守ることとしよう。
◆個性的な宗教の面々
シリアは住民の90%がアラブ人だが、宗教は複雑で、イスラム教スンニ派が74%、アラウィー派、ドゥルーズ派など他のイスラム教各派が16%、キリスト教各派が10%とされている。
主な宗派を挙げると、まずはイスラム教各派から・・
▼スンニ派 イスラム教がスンニ派とシーア派に大別されることは周知のところであろう。シーア派が預言者ムハンマドの娘婿アリーの血統につながる者を正統な指導者(イマーム)とするのに対し、スンニ派では血統を重視せず、教義の源泉はあくまで『クルアーン』と預言者ムハンマドが示した範例(スンナ、『ハディース』に記載)にあるとする。世界の信徒の9割近くを占めるイスラム教主流派。
上述、シャーム解放機構は、スンニ派の武装組織である。
▼アラウィー派 アサド家の出身母体。シーア派からの分派とされるが、前述のアリーを神が地上に現出した最後の姿と神格化し、アリー、ムハンマド、教友サルマーンを月、太陽、天空に比して信奉する一方、霊魂が光明と暗黒の世界を輪廻すると説くなど秘儀的傾向が強く、シリア地方の土着信仰のうえにキリスト教とイスラム教が折衷したものとみられている。
フランス委任統治下で兵士や警官として多数派のスンニ派を監視する役割を担ったところから、独立後も軍や治安情報機関の実権を独占、政官界指導層もこの派が多くを占めた。
▼ドゥルーズ派 シーア派の流れを汲むとされるが、ファーティマ朝第6代イマームのハーキムを神として信奉し、『クルアーン』やイスラム教徒の基本的な信仰行為を規定する「五行」(アルカーン)を認めず、代わりに独自の信仰規約を定め、輪廻転生を説くなど秘儀的色彩が強いことから、スンニ派のみならずシーア派からもイスラムからの逸脱とみなされている。
以上のイスラム教2派はシリア地方に特有の宗派だが、シリアではキリスト教もまた個性的である。
▼シリア正教 古代キリスト教にはローマ、コンスタンティノポリス、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの五つのセンター(総主教座)があって、このうちローマからはカトリック教会、コンスタンティノポリスから東方正教会(ギリシア正教)が発展するが、カトリック教会にも東方正教会にも帰属しない教会を「東方諸教会」と総称する。その多くは、5世紀のカルケドン公会議でキリストは神性と人性の二つの本性を併せもつと確認した教理に反対して、東方正教会から分離した派で、非カルケドン派とも称される。
キリストの神性を強調し聖母マリアを「神の母」として崇敬するシリア正教もその一派で、キリストや使徒が使っていたとされるアラム語の一方言である古いシリア語を典礼に用い、使徒時代のアンティオキア教会からの継承を誇っている。
▼マロン派 同じくアンティオキアから起こった非カルケドン派だが、12世紀にローマ・カトリックの傘下に入り、教義もカトリックに倣った。しかし、礼拝にシリア語やアラビア語を用いるなど独自の典礼を保っている。このような、教義上はカトリック教会に属しながら独自の典礼を守る教会を「東方典礼教会」という。
▼ネストリウス派 アッシリア正教会ともいわれ、コンスタンティノポリス教会を継ぐ古代キリスト教の一派。非カルケドン派だがこちらはキリストの人性を強調して、マリアを「神の母」とよぶことを拒否している。
◆新たなシリアへ軟着陸は可能か
このように個性的な宗派がそれぞれに自治的なコミュニティを築くモザイク社会の均衡をかろうじて保ってきたのは、よくも悪くも独裁体制とその政権イデオロギーの世俗的汎アラブ主義(バース主義)であった。HTSのシャラア氏率いる暫定政権は「開かれたイスラム主義」を掲げて国内外政策を試行しているが、いかにして、宗派対立による混乱・流血というパンドラの箱を開かずに、新たなシリアを築けるのか、自制と智慧が求められるところである。
(2025.3.20)
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