【コラム】槿と桜(143)

ソウルの「清渓川」を知っていますか

延 恩株

 日本で見かけるソウルの観光ガイドブックや旅行会社のパンフレットには、「景福宮(경복궁 キョンボックン)」や「昌徳宮(창경궁 チャンドックン)」などの王宮、韓国仏教の伝統寺院「奉恩寺(봉은사 ポンウンサ)」、南山(남산 ナムサン)の頂上に立つ「ソウルタワー (서울타워)」と「南山公園 (남산공원 ナムサンゴンウォン)」、テーマパークの「ロッテワールド (롯데월드)」、ショッピング街「明洞 (명동 ミョンドン)」、伝統工芸品や陶磁器、骨董品などの商店が多い「仁寺洞(인사동 インサドン)」、外国人向けの商店街として発展した「梨泰院(이태원 イテウォン)」、サブカルチャーの発信地「弘大(홍대 ホンデ)」、伝統的な家屋・村を再現した「韓国民俗村 (한국민속촌 ハングンミンソクチョン」、そのほか「南大門(남대문 ナムデムン)」や「東大門(동대문 トンデムン )」等々が紹介されています。
 でも、都会の中の自然に触れられる憩いの場所、夜景がきれいな場所としてソウルの人びとにはよく知られている「清渓川(청계천 チョンゲチョン)」については、日本人向けの旅行案内で必ず紹介されているというわけではないようです。

 この清渓川は自然の力、変化によってではなく、人間の自己中心的な生活ぶりから川の姿を幾度となく変えてきた歴史があり、それは、朝鮮王朝が1392年に現在のソウルを首都と定めた時から始まったと言えるでしょう。この清渓川は無論、それ以前からこの地を流れていて、人口も多くなかったことから人びとの生活になくてはならない存在であり、排水処理も差し障りが出ることはありませんでした。しかし、ソウルが首都となるや、人口が増加して短期間に川の水は極端に汚れ始め、川底に汚泥物が溜まって浅くなり、頻繁に川が氾濫するようになりました。そのため、ソウル遷都からわずか10数年後には河川の底を浚渫(しゅんせつ)し、川幅を広げ、両岸に堤防を築かなければならなくなりました。その後も河川整備工事は繰り返されましたが、川の氾濫は繰り返され、川はますます汚れていきました。無論、川を汚していったのは人間でした。
 1910年からの日本統治時代にすでに清渓川の水質悪化、悪臭発生から川を覆う暗渠化計画があったようです。ただ本格的に動き始めたのは、朝鮮戦争後に川沿いに粗末な家などが建ち並びスラム化が進んだため、衛生や治安など都市整備の面から川を覆う暗渠化が1958年5月から1961年12月まで、1965年から1967年まで、1970年から1977年までと断続的に覆蓋されていきました。そして暗渠化された川の上は道路(清渓川路)となり、さらに、その道路の上には1971年に清渓川高架道路が建設されました。
 1960年代から1970年代のソウルでは、自動車中心の生活が進み、清渓川の上を走る高架道路は、当時は物や人の流れをスムーズにし、経済成長に見合う都市整備と評価され、経済成長のシンボルと見られていました。清渓川高架道路は都心へ向かう幹線として、またソウル内の循環道路にもつながっていて、都心部を東西に移動しやすくしました。

 しかし、利便さの追求にはそれなりの代価を支払わなければならなくなりました。暗渠とした川の上を一般道路と高架道路が覆ってしまったため、環境が悪化し、車の騒音や排気ガスが激しくなり、この地域の大気汚染や温度の上昇が常態化していきました。しかも、この高架道路の両側には高いビルが立ち並ぶようになっていたため、車から発生する熱気が発散しにくくなってしまい、空気がよどんで、空も狭い範囲でしか見えなくなっていました。こうした現象は高架道路が縦横に走り、高いビルが建ち並ぶ大都会では避けられず、清渓川高架道路だけの問題ではないのですが。
 さらにこうした建築物が抱える宿命ですが、〝老朽化〟への対応が深刻度を増していきました。やがて安全性確保のために繰り返される補修などの管理維持費の負担への対応がソウル市では大きな課題となっていきました。
 しかも、問題は上述した課題だけでなく、川を暗渠化して川そのものは見えなくなりましたが、蓋をしたがために暗渠内を流れる下水化した川から発生するメタンガスの逃げ場所がなくなってしまいました。結果として、それが暗渠内にたまって爆発することが起き始め、空気中の大気汚染に加えて、人びとの生活を脅かすようになっていきました。
 川の暗渠化は結果的に生活に根づいていた人間と川の繋がりを奪い、高架道路は人や物の流れをスムーズしましたが、清渓川地域の人間同士の触れ合いがなくなって、街として賑わいが消えていきました。

 こうした利便性の追求が結果として、自分たちの生活が脅かされることに気がついたソウル市民は2002年のソウル市長選挙で、高架道路撤去、清渓川復元を政策に掲げた李明博(이명박 イ・ミョンバク)氏(のちに第17代大統領となる)を支持しました。
 清渓川の復元工事は2003年7月に始まり、わずか2年後の2005年10月から人びとの利用が可能となりました。高架道路を撤去し、川を暗渠化から開放し、洪水防止や下水対策を行うだけでも大工事だったことは容易に推測できます。なにしろ、その地域には多くの人びとが長くずっと生活してきていたのですから、工事期間中の保障と住民の納得を得るだけでも粘り強い交渉が必要だったはずです。
 いま、オフィスビルが林立するソウルの光化門(광화문 クァンアムン)近くにある清渓川を訪れた人の目に入るのは、人間に身近となった自然を感じさせてくれる川です。流れる川のすぐそばを歩けるように遊歩道が続いていて、時には川の中に飛び石などが置かれていたり、木々や花々もずっとそこにあったかのように植えられている〝川の公園〟と言える姿になっています。
 都会のオアシスとしてソウル市民に親しまれ、夜はライトアップされ、周囲の都会の夜景も眺めながらの散歩は水辺の自然があるからこそ心なごむのしょう。
 
 しかし、川の再生は良いことばかりではないのです。都会の自然の誕生は人間が創り出した人工的なものだからです。なによりも川の水はソウル最大の川の「漢江」の水を浄化して引いてきています。そのため毎年、その費用負担が発生していて増額となる可能性はあっても減額になることは、現在の清渓川の環境を維持するのであればあまり考えられません。
 また川の整備、環境保全のため、かつて川沿いで生活の糧を得ていた露天商など旧来の営業環境が失われた人びとの生活が奪われてしまいました。
 高架道路を含めて生活道路もなくしてしまいましたが、これまでの交通量が減るわけではありませんので、その移動手段の確保が課題となってきていて、どこかにしわ寄せが生まれてしまいます。
 人びとの憩いの場、観光資源としてのメリットなどは大きくなりましたが、それだけに日常空間という印象は弱く、より人工的に創られ、維持されている川とも言われています。
 こうした問題点や課題はすでに指摘されていますが、私がもっとも懸念しているのは、やはり人間のこの再生された清渓川との関わり方です。
 水がきれいだからと行水をしたり、禁煙なのに煙草を吸い、吸い殻を川に投げ入れたり、ピクニック気分で川辺で飲み食いをして食べ残しやゴミをポイ捨てしてしまうなどという一つ一つはちょっとした不注意でも、それが結果的に川の環境を破壊していくことになります。ソウル市はそうした人びとの行為をやめさせるために監視要員を増やしました。それは人件費が増えることに繋がります。そうでなくても、この川の環境維持の費用負担はすでに大きく膨らんでいるのです。
 結局、整備された環境を守るのも人間であり、破壊するのも人間なのです。自然との調和を考える民族性を持つ韓国人ですから、たとえ人工的ではあっても、清渓川がたどってきた歴史的変容を十分に理解し、ようやくここにたどり着いた現在をしっかり守ってくれると信じたいところです。

 大妻女子大学教授

(2026.8.20)
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