【コラム】宗教・民族から見た同時代世界
タイとカンボジアの世界遺産をめぐる紛争が示す聖と俗
敬虔な仏教国のタイとカンボジアが、この7月、世界遺産寺院の領有権を巡って戦火を交えた。いったい何故? 仏教に平和のイメージを重ねる人たちには衝撃であったろう。
ことのしだいは、こうである。
カンボジアとタイの国境地帯を巡る領有権争いは、もう長い。1863年、フランスがカンボジアを植民地にした時代にまで遡る。その係争の象徴が、ダンレック山の崖の上に立つプレアビヒア寺院である。
寺院といっても、仏教寺院ではなく、ヴィシュヌ神を主神とするヒンドゥー教寺院(神殿)である。カンボジアといえば必ず思い浮かぶアンコール・ワットより300年も古い、9世紀末の創建とされる。
カンボジアでプレアビヒア寺院とよばれるこの寺院が、タイではカオプラヴィハーン寺院とよばれるように、かつては両地域の人々に等しく信奉される寺院であった。
1904年、カンボジアを保護国にしていたフランスがタイと結んだ国境条約で、この寺院遺跡は仏領カンボジアに帰属するとされたが、第2次大戦の日本軍仏印進駐とともにタイが占領。1953年、フランスが撤退しカンボジアは独立するが、タイとの国境は曖昧なままに残された。
以来、両国間の係争地となり、53年にカンボジア軍とタイ軍が衝突。58年には国交断絶にまで至ってハーグの国際司法裁判所に提訴し、62年、同裁判所はカンボジアの領有権を認める裁定を下した。
こうして一旦は決着した領有問題だが、2008年に寺院が世界遺産に登録されると、タイが反発。紛争が再燃し、11年には両国軍の銃撃戦で9人が死亡。その後も小競り合いが繰り返されてきたが、今年5月、カンボジア兵1人が死亡する銃撃戦が起きると、両国が互いに禁輸や国境検問所の閉鎖などの措置をとる事態となった。
そこに起きたのが、7月24日に始まった、本格的な軍事衝突であった。タイ側では国境近くのコンビニや病院がカンボジア軍のロケット弾攻撃を受け、カンボジア側では、タイ軍が空爆で非人道的兵器とされるクラスター弾を使用し、プレアビヒア寺院にも損傷を与えたとされる。
29日の停戦までに、双方の死者は32人を数え、避難者は17万人に及んだ。
◆ともに仏教国でありながら
皮肉なのは、停戦への経緯である。仏教国どうしでは始末がつけられず、イスラム国マレーシアのアンワル首相の仲介を受けて、キリスト教福音派を大きな支持基盤とするトランプ米大統領から関税交渉をからめた圧力で脅されて、ようやく結んだ停戦合意であった。
停戦維持には、両国が、停戦時点から部隊の増強や移動を行なわないことや、ASEAN加盟国武官で構成する停戦監視団が監視することなどが定められているが、双方の敵意は容易には収まりそうもなく、両国民衆のナショナリズムの高まりも加わって、先行きは楽観できない。
しばし横道を許していただけるなら、じつは、「殺す勿れ」を第一原則に掲げる宗教を信奉するはずの仏教徒や仏教国といえども、現実社会や現実政治において、必ずしも、平和的に行動するとは限らないのである。それは、たとえば、スリランカで、多数派仏教徒シンハラ人を主とする政府および仏教徒大衆が、1950年代半ば以降、とりわけ80年代初めから2009年までの間に、7万人を超えるヒンドゥー教徒タミル人を殺戮してその存在主張を抹殺したことや、ミャンマーで独立以来、多数派仏教徒ビルマ人主体の政府および大衆が、イスラム教徒のロヒンギャをはじめ他宗教の各少数民族を迫害し、多数の犠牲者を生んできた歴史からも見ても、明らかであろう。いまミャンマーで戦火を交えている国軍と民主派勢力も、もとより、敬虔な仏教徒どうしである。
これは、どの宗教にもいえることで、宗教はえてして、大衆扇動の具にされやすく、権力者がその政治的・経済的利益のために大衆を動員しようとする際に利用される側面が強いことを、想起しておきたい。
◆始まりも終わりも国内政治
寺院遺跡の領有権を巡るタイとカンボジアの紛争には、もう一つのトピックが付随する。それは、両国の国内政治である。
5月の銃撃戦ののち、タイのペートンタン首相(タクシン元首相の次女)は、事態の収拾に向けて、父と親交が深く家族ぐるみのつきあいをしていたカンボジアのフン・セン前首相に電話で相談をかけた。その際、フン・セン氏を「おじさん」と親しげに呼びかけ、自国軍幹部を批判する言葉も交えたのだが、こともあろうにこの音声を、カンボジア側が流出させたのである。タイ国内では猛反発が起き、ペートンタン氏は窮地に陥った。
カンボジアでは、長年、実権を握ってきたフン・セン氏が、一昨年、長男のフン・マネット氏に首相職を譲ったが、いまだ心許ない権力基盤固めに、紛争によって高まるナショナリズムを奇貨とし、件の音声も、その一環に利用されたと目されている。
タイ側でも事情は同様であって、タイでは、タクシン元首相を中心とする「タクシン派」(タイ貢献党)と同国で支配層を形成してきた親軍保守派など「反タクシン派」(タイ名誉党など)の確執は長く、一昨年来、改革派(前進党)阻止で連立政権を組んできた両党だったが、ペートンタン氏の発言を理由にタイ名誉党は連立を離脱して、ペートンタン氏の首相解任を憲法裁判所に提訴した。
タイでは1932年の立憲革命以来、未遂も含め19回のクーデターを繰り返して軍が権力を握ってきたが、さすがに近年はその手が使えず、代わりに、親軍保守派の影響下にある憲法裁が「司法クーデター」とよばれる手法で、政党の解党(新未来党や前進党)や首相の解任(タイ貢献党セター前首相など)を繰り返し、影響力を維持してきた。このたびも、期待に背かず、憲法審は、8月29日、ペートンタン氏に解任の裁定を下し、今月5日には、タイ名誉党々首アヌティン氏が、4カ月以内の総選挙実施を条件に、2年前、解党に追い込んだ改革派・前進党の後継・国民党などとさえ手を結んで、新政権を樹立した。かくしてタイ政局はまたしても混乱期を迎えることとなったのである。
(2025.9.20)
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