■【北から南から】

ノボシビリスク便り(浅呼吸のすすめ?)     徳田 由佳子

───────────────────────────────────

  悪性新生物、心疾患、脳血管疾患は日本の3大疾病であり、日本人の死亡原因
の6割以上を占めるとも言われています。日本人だけではなく、世界中の人々が
これらの疾患に苦しんでいます。男性の平均寿命が60歳を切ってしまったロシア
ももちろん例外ではありません。筆者はロシア科学アカデミーシベリア支部ノボ
シビルスクにある学術都市を何度も出張で訪れており、その関係もあってこの町
で働く研究者との交流機会に恵まれています。

彼らは、心筋梗塞や脳卒中で倒れた体験談、これらの疾患に関する豆知識な
ど、事ある毎に情報交換することで病気の予防や再発防止に役立てようとして
います。我々の場合、成人病予防というと運動、食品、サプリでの対応をまず
頭に浮かべるのではないかと思いますが、彼らが頻繁に話題にするのは呼吸法
です。健康器具を使う方法や使わない方法など色々とあるようですが、いずれ
の場合も体内の炭酸ガスの量を調整することで体質改善を図る、という点で共
通しています。

 器具を使わない方法の代表は"Buteyko呼吸法"です。日本では"ブテイコウ""ビ
ューテイコ"などと言われていて、特に喘息の治療法として知られているようで
、ロシアの生理学者コンスタンチン・パヴロヴィチ・ブテイコ(1923-2003)に
よって考案されたものです。「様々な疾患の主な原因は慢性過剰換気を引き起こ
す間違った呼吸法にある」というのがその理論概念で、ブテイコ氏はこの間違っ
た呼吸法を"深呼吸病"と呼んでいたそうです。間違った呼吸によって過剰換気が
進んでいくとpHバランスの崩れ、新陳代謝の乱れ、免疫の低下、その他諸々の症
状が出てくるのだそうです。

普通、深呼吸は身体に良いと考えられる傾向にありますので、この話だけを聞
いていると何かの新興団体による新手の治療法ではないかと疑ってしまいそう
ですが、ブテイコの呼吸治療法は長年の臨床実験の結果を踏まえ1985年4月30
日にはソ連邦保健省から気管支喘息の治療に採用することを許可された正式な
治療法なのだそうです。この種の話題が上がると、会話の途中に見せる表情や
反応から想像するに、皆が皆この治療法を疑いなく支持しているわけでもなさ
そうですが、端から疑ってかかることもなさそです。

 実は、ある事件に遭遇するまで考案者のブテイコ自身も幼少から教わってきた
ように、深呼吸は身体によい行いであると信じていたようです。ある事件とは、
彼が大学3回生の時、初めて実習で任された患者が深呼吸を何度か繰り返すうち
に突然失神してしまったという悲劇です。幸いその患者は間もなく意識を取り戻
したようですが、それ以来ブテイコ氏は「深呼吸は身体に悪いのではないか」と
いう考えを持つようになったのだそうです。1972年、モスクワ大学において行っ
た講義の中で同氏は「深い呼吸をすることの悪影響を裏付けるような生理学的法
則が20~30年前に発見されている」ということを語っています。もともと生物は
酸素のない状態から発生したわけで、現在も酸素よりはCO2の方が人間の生命に
大きな影響を与える。人間の細胞はCO2が増えた状態よりも不足した状態の方が
よほど危険であるという考えも披露しています。
 
ブテイコの理論を支持するロシア人から分かりやすく説明してもらいましたが
、大体次のようになります:身体に届けられる酸素は、どれだけ肺に酸素が取り
込まれたかではなくて、体内の二酸化炭素の量に関係する。二酸化炭素が少なけ
ればいくら酸素を取り込んでも、体内での酸素の受け渡しは行われずに酸素はそ
のまま素通りしてしまう。組織や細胞に酸素の受け渡しが上手くできなければ酸
欠状態は続くので、脳は呼吸を促す。そして呼吸によって更にCO2が排出されて
しまうと、身体は気管支痙攣や血管痙攣を起こしてCO2がすっかり奪われてしま
わないように抵抗する。

つまりCO2が十分でない状態では酸素をいくら取り込んでも無駄で、しかもCO2
不足だけでなく酸素不足にも陥ってしまうのです。酸素不足になると身体は血
管を収縮させ、何とか血液を流して細胞を救おうとします。高血圧も結局はCO
2不足からくる深呼吸病の一種で、言うなれば身体の自然な反応であるという
ことです。より分かりやすい自然な反応と言えば、慢性鼻炎です。

身体は呼吸(酸素)を減らす目的で蓋をするために鼻を詰まらせるのですが
、人間は苦しいので口呼吸で凌いでしまいます。これではCO2の放出は防げませ
んので更に鼻が詰まるという悪循環なのだそうです。鼻に蓋をすることで呼吸を
抑えようとした身体の意を酌んであげる、つまり苦しいかも知れませんが少し呼
吸を減らして体内のCO2を増やすだけで鼻づまりの症状は収まるそうです。我慢し
て呼吸を減らして十数秒後には効果が出はじめ、数分後には治まってしまうそう
です。

 神経細胞のCO2が減少すれば神経系機能のバランスが崩れます。交感神経が優
位になり、身体の緊張状態が続き血圧上昇、不眠などの症状も出てきます。pHの
バランスも崩れます。そうなると酵素やビタミンも通常に作用することができな
くなり、新陳代謝に影響が出ます。体内の炭酸ガスが極端に減少すると新陳代謝
機能が麻痺して細胞が死んでしまうのです。極端な不足でない場合にも血液の粘
性が増すことで血流が遅くなって血栓もできやすくなったり、免疫に悪影響が出
て抵抗力がなくなり感染症にかかりやすくなったり。その他、歯が弱くなる、爪
が割れる、乾燥肌になる、髪が抜ける、慢性鼻炎など。腫瘍形成も同じく物質代
謝異常の現れで、深呼吸の習慣を止めたら腫瘍が消えたという報告もあるそうで
す。

ガン細胞は健康な人の体内でも毎日生まれていますが、免疫がきちんと働い
ているためにガン細胞を増殖させずに済んでいると言われています。ですから深
呼吸によって免疫力の低下した人がガンにかかるのは不思議なことではないとい
うのがブテイコ氏の考えです。安易に結論づけることは危険とも思えますが、気
管支喘息も高血圧も狭心症もコレステロールが高いのも、現代人が悩まされてい
る多くの病気は"深呼吸病"だと考えられるのだそうです。

深呼吸が原因である病気にもかかわらず気管支喘息、狭心症、高血圧症、てん
かん、硬化症、肺硬化症、血管硬化症、心筋梗塞、卒中、アレルギーなどと1
つ1つ個別の名称を付け、まるで不治の病のように扱われているというので
す。西洋医学では既に原因究明を諦め、より効果があるかのように思える薬剤
を探すことでその場しのぎをしているが、東洋医学、特にチベット医学ではき
ちんと病気の原因を究明する試みがなされている。ヨガを正しく学ぶこともこ
れらの病から解放される手段の1つになるかも知れないとのことです。

 すっかりこの考えにのめり込んでしまった知人がいます。ブテイコの理論に沿
って作られたような健康器具に夢中で、どんな話をしていても結局その器具の話
に持って行ってしまうのです。どうやら以前よりも健康になったと感じているら
しく、会う人会う人に宣伝しているので今ではすっかり生産者の回し者扱いされ
る始末です。それ自体は非常に単純な作りで、容器に筒が刺さったような形です
。使い方は、筒をくわえて20分程度呼吸するだけです。密閉されている容器に繋
がっている筒から息を吸ったり吐いたりするので、酸素の摂りすぎは避けられま
す。容器の中では二酸化炭素の濃度が一定になるようになっているらしく、何も
考えずに理想の呼吸ができるという仕組みです。
 
実際に効果があるのか、他人に薦めるという生き甲斐がみつかったためなのか
分かりませんが、確かに数年前より随分とツヤのある健康的な顔になりました。
  素人の思いこみで勝手な治療をすることは危険なことですので、決して浅い呼
吸を推奨するわけではありませんが、ロシアでよく聞くちょっとした世間話のご
紹介でした。

(筆者は東北大学東北アジア研究センター助手)

                                                    目次へ