【コラム】あなたの近くの外国人(裏話)(78)
バングラデシュ暫定政権になってから発覚してきたこと②
0.日本に人材を送りたい…ちょっと違うんだが…
シェイク・ハシナがインドに逃亡し、暫定政権になってから現地や日本在留の知り合いから頻繁に連絡がくるようになった。用事は似たり寄ったりである。今まで人材の送り出しはハシナに近い筋の決まった会社にのみができたことだったのだが、解禁というか、人材紹介は自由にできるようになったと勘違いした人たちが「日本の会社を紹介してほしい」と言ってきたのである。
1)「技能実習生6名ほど希望しているので受け入れ機関に話してほしい」
2)「特定技能の試験を受けさせるので人材紹介の会社をさがしてほしい」
3)「ITの勉強していた大学生に日本語を教えるので派遣会社に繋いでほしい」
1)は、いずれ日本側の制度が変わることにはなっているのだが、まだ現在も政府認定2国間取り決めの「送り出し機関」でなければ送り出しはできない※1
日本側も組合登録が必須である。おそらく制度が変わっても自由に送り出せるとは思えない。日本側の事情があるからだ。現行の制度で問題になっていたのは「使い捨て人材」、ピンハネ、ブローカー、こき使い長時間労働、妊娠女性への非人道的な扱い。この制度は海外では「現代の奴隷制度」と批判されているのだ。そして結果、逃亡者の不法滞在、最悪の場合、犯罪の引き金にさえなっているのだ。なんにせよ、現地日本語学校が系列会社を作るなりどこかの会社と合同で送り出し機関としての登録と認定が必要なのだ。そして「送り出し機関の適正化」ということで日本側の責任ではなく現地への責任のなすりつけのような制度に変わりつつあるのだ。
※1 外国人技能実習機構 https://www.otit.go.jp/soushutsu/
2)は、バングラデシュでは特定技能試験の日本語・実技の試験会場が増えている。また送り出し機関も組合も必要としないので合格者個人で就労先を探すことができる。日本国内で学生や技能実習生が在留資格変更するのであれば自力で就労先をみつけたり、現在就労している職場で在留資格を変更し、さらに長期にわたって在留が可能になるのだ。
現地で試験合格してビザを出してもらうには、本人の言語のみならずコミュニケーション能力がものを言うだろう。それは農家・漁業・船舶といった日本語教科書では学んだことがない方言や業界の言葉、宿泊・飲食といったビジネスマナーを含んだ物腰柔らかな態度、介護での福祉のありかた(これは日本人より能力が高い)、高齢者の外国人畏怖の緩和など課題が多い。蛇足だが高齢者介護は心が通じれば大家族経験がある外国人のほうが日本人より優れているのではないかと考えている。とはいえ、逆に心が通じすぎて仕事ではなく孫になってしまって給与外のお小遣いを貰っていたことが発覚した技能実習生の女の子(インド・ビハール州出身)がいてビジネス意識も教育しなければならないようだ。チップの習慣がない日本であることを教えて現場に立たせなければ、こういった問題は水面下で増えるだろうと思う。
3)は、もしも高度人材を送りたいと考えているバングラデシュ出身・永住者たちが納得すれば、人材紹介・派遣の形ではなく、こちら側でトレーニングコースのパッケージを作って個人的な紹介をするという形を提案したい学校経営者とミーティングするつもりだが、その後連絡がこない。
いずれにしても、前政権で一部の企業・人たちに握られていたビジネスが解禁になったことを意味しているのだが、希望的観測が噂・デマとなって勇み足を踏んでしまっているのだろうと感じる。前政権時代にも日本の首脳が訪問して会談があると、公式発表を待たずに噂だけが先走って私にビジネスの話しを持ち掛けられたこともあった。政府よりも噂を信じるのは、どこの国でもあることだ。が、いきなり言論統制がなくなったし、逆にハシナ政権擁護派は黙らざるを得なくなった状況だ。実は、この解禁はバングラデシュ人だけでなく、この国でビジネスもさることながら、何か活動したい人権団体や衛生、教育などの諸外国支援団体からも期待されているのだ。「これもできる、あれもできる」…かもしれない。
1.日替わりで新しい話しが出てくる② 1975年バングラデシュのクーデターの生き証人たち
バングラデシュは1975年に二度のクーデターがあった。8月15日の軍隊によるクーデター。「建国の父」と呼ばれていたシェイク・ハシナ氏の実父シェイク・ムジブル・レーマンはこの時殺害されている。11月7日もまた軍事クーデターである。そそくさと作った新政権に対抗したい勢力によるものだ。どちらも外国主導ではないかという疑いがあるが、ほぼその通りであろう。このどちらか、または両側に関わった軍部の実行者に、拘束・幽閉、および表で活動できない何らかの制限や監視が続いていた。彼らは、今回のハシナ氏逃亡によって、本人たちからすれば、拘束が解かれ、自由に語れる機会を得たのだ。またマスメディアや彼らの話しを自由に聞きたいネット投稿者にとっては拘束を解かれた生き証人の話しは真剣に流したい重要なトピックなのである。そして生き証人たちは70代80代である。中将などの将校だった若くて熱かった頃から歳月が経ちすぎている。クーデターを実行したほとんどの将校たちは故人であるが、生き残った人たちは当時の様子を強く語っていて、1975年当時の「おかしいでしょ」を、はっきりと述べている。これが日々、誰かから伝えられてくる。ああ、そう言えば、日本で「難民認定ではない形」で定住や永住を貰った若者が「おじいさんが軍人だった(どちらかのクーデター関係)。難民申請でない形で永住権貰った」と言っていた。本来、難民であってもおかしくない。
(2025.2.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ/掲載号トップ/直前のページへ戻る/ページのトップ/バックナンバー/ 執筆者一覧