【コラム】宗教・民族から見た同時代世界
ミャンマーの長い軍政と民主化の流れを振り返る
荒木 重雄
4月、軍主導の選挙で親軍政権が発足したミャンマーでは、6月に入ると、クーデターの主謀者で前国軍総司令官のミンアウンフライン大統領が、インド、中国を相次いで訪問し、モディ首相や習近平国家主席とそれぞれ会談するなど、国際社会への復帰に意欲を燃やしている。しかし、欧米から科された制裁は解けず、ASEANとの修復も進捗せず、まして、国内の状況は凍りついたままで、「民政移管」がもたらす期待からはほど遠い。
このあたりで、ミャンマーで続く軍政支配とそれに対抗する民主化運動の過程を俯瞰しておくのも、無駄ではなかろう。
◆長い軍政がこうして始まった
ミャンマーでは、人口の約7割の仏教徒ビルマ族が国の中央の平野を占め、周りを囲む山地には、精霊崇拝に生きる、多様な少数民族が居住している。
19世紀末、この地を植民地支配した英国は、お家芸の「分断支配」で、カレン族、カチン族など有力少数民族をキリスト教化し、彼らをもって多数派の仏教徒ビルマ族を抑える政策を採った。これは当然、仏教徒ビルマ族の反発をうむ。第2次大戦中、日本軍は、この、仏教徒ビルマ族側の反英感情を利用して有利に侵攻を進めた。
こうした経緯によるトラウマもあって、独立後のビルマ(1989年にミャンマーに国名変更)では、多数派仏教徒ビルマ族による政府と少数民族との間で、対立が深刻となった。
20を数える主要な少数民族が武装組織を備えて、政府軍と内戦となり、一時は、中央政府は首都ラングーン(現ヤンゴン)を死守するのみにまで追い詰められた。
こうした混乱に乗じて、62年、ネーウィン国軍総司令官がクーデターを起こし、全権を握った。これが、以後、長く続くミャンマー軍事独裁のはじまりである。
と、ここまで書いてきて、若い世代の読者にはもはや知ることが少ないであろう事実に触れておくべきかと気づいた。
1941年、日本の旧軍部は、反英独立運動を志すビルマ族活動家30人を国から脱出させて、中国南部の海南島で軍事訓練を施し、亡命ビルマ人によるビルマ独立義勇軍を編成して、太平洋戦争開戦と同時にビルマに送り込んだ。この計画のビルマ側のリーダーが、アウンサンスーチー氏の父、アウンサン将軍である。当時、アウンサンは面田紋次の名で活動した。ネーウィンも海南島訓練組の一人で、日本名は高杉晋であった。
彼らの働きで日本軍は労せずしてビルマを占領するが、やがてアウンサンらは独立に向けて日本軍と対立し、ついには戦火を交えることとなる。
アウンサンは独立を目前に反対派に暗殺されるが、ビルマ国軍の誕生に旧日本軍の影響は欠かせない。ネーウィンは酔うと軍人勅諭を暗誦し、ミャンマー国軍の軍歌のメロディーは旧日本軍のそれであった。
◆民主化運動に若い僧たちが登場
では、ネーウィン以来の軍事独裁に対する民主化運動の方に目を転じよう。
1988年8月、ラングーン工科大学の学生たちから始まった反軍政運動は、広範な市民を巻き込んだゼネストに発展し、首都ヤンゴンの路上は数十万人のデモ隊で溢れた。その中で人目を惹いたのが若い僧侶の隊列であった。僧に篤い尊敬を寄せる社会で、その登場は人々を大いに勇気づけるものであった。
運動の盛り上がりの中で、62年以来、軍事政権を率いてきたネーウィンは引退を表明するが、軍部が再度のクーデターで軍政を引き継ぐと、民主化運動に仮借ない弾圧を加えた。矢面に立った学生と僧侶を中心に犠牲は数千人に及んだ。
軍政は公約とした総選挙を90年5月に実施したが、アウンサンスーチー氏ら民主化勢力が圧勝すると、議会招集を拒否して再び弾圧を強化。当選者の一部は海外に逃れたり、少数民族地域の闘争に合流したりした。
若手僧侶たちは、その後も、軍人やその家族には読経したり布施や托鉢を受けることを拒否する戦術で抵抗を続けた。
次の運動の波は、2007年8月の燃料価格高騰をきっかけに始まった。過酷な弾圧を知る学生や市民の立ち上がりが鈍い中で、再び登場してきたのが若い僧侶たちであった。そのデモに軍が発砲し、殴打、拘束した事件が起きると、誇りを傷つけられた全国の僧侶に反軍政の大きなうねりが起こり、僧たちの奮起に促された市民がさらに大きなうねりをつくって、数万人のデモがヤンゴンで繰り広げられる日が続いた。日本人ジャーナリストの長井健司氏が軍の銃撃で死亡したのはこの中であったが、この運動は、僧衣の色に因んで「サフラン革命」と呼ばれている。
◆僧たちの姿はいまどこに
軍主導ながら、2011年に、23年ぶりの民政移管で誕生したテインセイン政権の下で、一定程度の民主化が進み、15年の総選挙でアウンサンスーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝した。さらに20年11月の総選挙ではNLDが前回を上回る議席を獲得し、いよいよ民主化が定着するかと期待された矢先の21年2月、ミンアウンフライン国軍総司令官がクーデターを起こし、軍政に逆戻りさせた。
その後は、記憶にいまだ新しい、市民への過去の事例を上回る激烈な弾圧と、民主化勢力の武装化、少数民族武装勢力との共闘、内戦化と、事態は急速にエスカレートしたが、筆者にとって、その過程での最大の謎は、何故、これまで民主化運動の主役であり続けた若い僧侶の組織的な動きが、一切見えなかったかである。
事態の展開が苛烈に過ぎたのか、仏教界になんらかの変化が起ったのか。
(2026.7.20)
*編集事務局注(グレーが「軍政確立・体制の節目」、コーラ(赤系)が「民主化運動・弾圧の局面」を表している。(AI.Claudeによる作成)

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