■【コラム】フォーカス:インド・南アジア(45)

メッカ協定による南・西アジアの安全保障再編ー揺れるインド

福永 正明

はじめに

 2026年8月7日、サウジアラビア、トルコ、パキスタンの三国は、メッカ共同防衛協定(Makkah Joint Defence Agreement、MJDA、以下「協定」)に署名した。協定本文は未公開だが(9月10日現在)、4段落の共同声明では、一国への武力攻撃を「三国すべてに対する攻撃とみなす」とする。
 本稿は、核兵器国パキスタンから西アジアへ広がるイスラーム諸国間の安全保障関係の形成、そしてバングラデシュの参加検討に注目する。パキスタンの核戦力の影響が西アジアへ広がり、今度は南アジアの安全保障を大きく揺さぶる可能性もある。インド外交は、戦略的自律や実利を追求する巧みさが評価されてきたが、いかに対応できるか。また、日本で語られているインド像についても検討を試みる。

第1章 協定の成立と枠組み整備

 サウジアラビアのサルマン国王の招待を受けて訪問したトルコのエルドアン大統領とパキスタンのシャリフ首相は、メッカ(現地語音では「マッカ」、慣用表記に従い「メッカ」とする)で開催されたマッカ・アル・ムカッラマ共同防衛サミットにおいて、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子兼首相とともに協定に署名した。同日、共同声明が三国の政府機関から公表された。
 なぜ首都リヤドではなく、イスラーム最大の聖地メッカでの調印か。共同声明は「兄弟的結びつきとイスラーム的連帯」を掲げており、調印地にも三国の防衛協力をイスラーム世界へ印象づける意味を読み取れる。共同声明が宗教的な結びつきを防衛協力の基盤に据えていることは明確である。三国はそれぞれ異なる脅威に直面し、異なる国々と防衛関係を締結している。イスラーム的連帯が、その違いを越えてどこまで相互防衛を支えるのかが問われる。また、三国以外のイスラーム諸国がこの協定をどう受け止めるかも重要であろう。
 8月7日の共同声明は、三国の歴史的関係、共通する戦略的利益、従来の防衛協力を協定の基盤とする。協定への署名は「collective security(集団安全保障)」強化への共通意思とし、侵略に対する「collective deterrence(共同抑止)」の強化を掲げる。一国への攻撃を三国への攻撃とみなす原則と、全面的な防衛協力強化を明記する一方、「collective defence(集団防衛)」や個別的・集団的自衛などの表現はない。8月31日には、トルコのイスタンブールで、協定に基づく「戦略政治・防衛委員会」の第1回会合が、外相、国防相、軍首脳らの出席のもとに開催され、協力枠組みの整備に合意した。会合共同声明には、新たに「collective deterrence and defence(共同の抑止と防衛)」が記載された。常設事務局をサウジアラビアに置き、パキスタン出身の事務総長が当初3年間を率いる。防衛産業協力、共同技術開発・共同生産を通じ防衛能力と軍の連携を強化する方針も示された。

第2章 三国は協定をどう位置づけるか

 協定の背景には、パキスタンとサウジアラビアの長年の軍事協力、パキスタンとトルコの軍事訓練・防衛産業協力、そして近年のトルコとサウジアラビアの関係強化がある。三国は、これら二国間協力を一つの協定にまとめ、地域の安全保障を自ら担おうとする。パキスタン政府は、既存の関係から生まれた自然な一歩とし、自国が協定成立の「中心的な役割」を果たしたとする。ただし、公開資料から協定発案国や交渉の主導国などは判断できない。
 協定を説明する際の力点は、三国で異なる。パキスタンは<地域安全保障を担う枠組み>、トルコは<既存同盟と両立する防衛協力>、サウジアラビアは<既存の戦略的・防衛関係の拡大>と位置づける。トルコ外相は、一国への攻撃を全加盟国への攻撃とみなすNATO条約第5条との類似性を指摘したが、事態に応じて支援内容は決まり、NATOの代替ではないとも述べた。
 協定は枠組み整備の途上であり、単なる政治的連帯宣言ではない。しかし、一国が攻撃されたとき、いかにそれを認定し、どのような手続きで軍事行動を展開するのか、統合軍事指揮機構や統合軍を創設するのかについては、公表された共同声明に記述がない。相互防衛の約束はあるが、その運用と実施方法には不明な部分が大きい。
 8月31日声明の「regional ownership(地域の主体性)」には、自ら地域の安全保障を担う意思が表れる。イスラーム的連帯を掲げる三国が、危機に直面して、いかに、かつ、どこまで互いを守ることができるか。強い相互防衛原則の表明と、実際の具体的な防衛義務の曖昧さを含む部分に、協定の特徴と今後の課題を読み取ることができる。

第3章 協定とパキスタンの核――「緩い核抑止」

 パキスタンは、核拡散防止条約(NPT)非加盟ながら1998年に核実験を実施した三国唯一の核兵器国であり、特別の役割と地位にある。同国政府は、協定を外部の侵略に対する共同抑止強化策とし、それが国連憲章第51条の個別的・集団的自衛権に沿うと説明する。相互防衛原則が核兵器国にも適用される以上、パキスタンの核戦力が他二国の防衛に作用する可能性は論理上排除されない。だが声明には、核兵器による安全保障を保証する明示的規定はない。
 それでも、サウジアラビアかトルコへの攻撃を企図する国は、パキスタンの対応まで考慮せざるを得ない。核使用の保証はなくとも、破滅的被害をもたらす核兵器の存在と、核兵器国との相互防衛関係そのものが第三国の戦略計算に入る。
 本稿では、これらの働きを一般にいう核の傘と区別し、「緩い核抑止(loose nuclear deterrence)」とする。相互防衛を約束しながらも核使用は保証せず、相手国に核使用の可能性を考慮させる。具体的な防衛義務が公表資料から明らかでない協定の曖昧さが、ここでは抑止に働く余地を持つ。
 協定での「緩い核抑止」拡大は他二国で異なり、トルコは既にNATOの集団防衛体制と米国を主体とする核抑止の枠内にあり、NATOとは別に核兵器国パキスタンとの相互防衛関係を持つ。それにより、西アジアから南アジアへ延びる強い安全保障結合となり、その背景のパキスタンの核戦力のもつ意味は大きい。
 サウジアラビアは2026年7月22日、米国と民生用原子力協力協定に署名した。これは米国・UAE原子力協定のように、ウラン濃縮と使用済み核燃料再処理の全面放棄を求めていない。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子も2023年9月、イランが核兵器を保有すれば自国も保有する必要があると述べ、条件付きながら核保有への意思を示した。だが、自前の核抑止力の実現には長年月を要し、その空白期間に協定での相互防衛関係は、第三国への抑止として作用する可能性がある。サウジアラビア自身が核兵器を持たなくとも、攻撃を企図する国はパキスタンの核戦力を考慮せざるを得ない。仮にサウジアラビアが自前の核抑止力を追求する場合、その実現までの空白を補い得る点に、戦略的曖昧さの波及という意味がある。
 ここには、パキスタン再浮上の意味もある。2026年、米国とイランの戦争をめぐる仲介行動は、パキスタンの再登場として受け止められた。そして協定締結により、南アジアの安全保障の主舞台に再び躍り出たといえる。2010年代以降のパキスタンは、「忘れられた国」にも似ていた。政治的混乱、軍部の影響、武装組織との対立、財政危機やIMF依存が続き、脆弱国家という見方が定着していた。だが核戦力を持ち、中国と戦略的関係を結び、サウジアラビアやトルコとも軍事協力を続けるパキスタンは、政治や経済の脆弱さだけでは捉えられず、安全保障上の影響力、特に核戦力を侮れない。パキスタンの核戦力は、潜在的には西アジアの安全保障にも作用する外交資産となる。協定が印パの核戦力の均衡を変えたのではなく、パキスタンが戦略的後背地を拡大させるといえる。パキスタンは経済的脆弱性を抱えながら軍事力と核戦力を外交に利用しており、既存の軍事関係を三国間の協定にまとめた意味は大きい。
 インドは経済大国化するが、その核戦力は、主に中国とパキスタンに対する自国の防衛力強化のための、すなわち自らを守るだけの抑止力であり、先制不使用と非核兵器国への不使用を原則とする。ただし、インドまたは国外のインド軍が生物・化学兵器による大規模な攻撃を受けた場合には、核兵器で報復する選択肢を留保している。インドの核戦力には、今回のパキスタンのように、相互防衛関係を通じて他国の安全保障を支える役割は示されていない。すると、経済規模だけから論じているならば、激動する南アジアの安全保障動向を的確に読み取ることはできない。

第4章 バングラデシュ――インドを東西から挟む新たな構図

 8月24日、バングラデシュのコビル外務担当国務相は協定への関心を表明し、参加を前向きに検討していると述べた。27日にはハリルル・ラーマン外相も「招請があれば必ず前向きに検討する」と国会で表明し、協定が拡大すれば<世界のイスラーム共同体の自衛機構>になり得ると述べた。30日、コビル国務相は、バングラデシュの参加は他国との関係を制約せず、サウジアラビア、トルコとの協議が前向きに進むと説明した。9月1日、シャマ・オバイド・イスラム外務担当国務相は正式招請はないとし、国益を最優先する方針に基づき判断すると述べた。9月10日現在、正式招請や参加決定の公表はないが、政府内で公然と協定参加が安全保障上の選択肢と論じられている。もちろん、インドはこの状況を見過ごすことはできない。
 バングラデシュ参加となれば、西アジアから南アジア西部へ延びるイスラーム諸国間の安全保障枠組みが南アジア東部にまで広がり、インドの東西隣国が同じ相互防衛原則の枠組みに入ることとなる。ただし、「インド包囲網」や「軍事的挟撃」との評価は、既述の通り発動条件や軍事的義務が不明のためできない。
 1971年の第三次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)以前、インドの東西にはパキスタンが構えていた。インドの戦争介入は独立に決定的役割を果たし、1947年分離独立以来の国家配置を変え、インドに重大な戦略的利益をもたらした。そのバングラデシュが、半世紀以上を経てパキスタンを含む枠組みへの参加を検討することの政治的・地政学的・象徴的な意味は大きい。
 インド外務省のジャイスワル報道官も8月28日、バングラデシュの協定参加問題について、「安全保障に関係するすべての動向を注視する」と述べた。約4000キロの国境を接する隣国の選択が、インド自身の安全保障に直接関係する問題であることは明らかである。
 さらに将来、この安全保障枠組みが、東南アジアのイスラーム諸国へ広がる可能性も考えられる。マレーシアやインドネシアが、イスラーム的連帯を掲げる協定をどう受け止めるのか。仮に両国などとの協力へ発展すれば、バングラデシュが南アジアと東南アジアを結ぶ役割を担うことも考えられる。その意味でも、同国の参加問題は注目される。
 インドは戦略的自律外交により、国益に従い自ら協力相手国を選択するとの立場だが、バングラデシュも同じである。協定への参加が、インドに好ましくないという理由だけで、その選択を否定することはできない。すると、インド外交についても、その国力の拡大という面だけでなく、周辺国が巨大化するインドをどのように評価し、外交関係のパートナーとしてインドを選択するかが重要となる。

第5章 戦略的自律外交と実利主義は、それだけで卓越した外交なのか

 インドは米国との協力、ロシアとの関係、イスラエルとの防衛協力、イランとの関係、日本との「特別戦略的グローバル・パートナーシップ」に基づく協力を並行させ、国境紛争が続く中国とも経済的には緊密な関係を保ち、時に対話を重ね、米日豪印のクアッドに参加しても軍事同盟には加わらない。2014年からのモディー首相によるインド人民党(BJP)主導連立政権の外交は、自ら選択肢を確保する戦略的自律外交として、その巧みさが強調されてきた。インド政府自身も外交を「実利的かつ成果志向(pragmatic and outcome-oriented)」と説明し、国益追求の重視を表明する。
 だが、国益の最大実現のためにさまざまな選択肢と裁量を残すことは、インド固有の外交原理ではない。戦略的自律という言葉も、インド国民会議派のマンモハン・シン政権期に既に明示され、フランスやEUも政策概念として用いる。時代や各国の歴史、政策の違いを踏まえても、インドだけの、ましてモディー政権だけの外交原理ではない。
 ここで重要なのは、自国が相手を選んでも、相手が自国を選ぶとは限らないことである。例えばサウジアラビアはインドとの政治・経済・防衛関係を深める一方、インドの敵対国パキスタンを含む共同防衛枠組みを選んだ。インドの経済力と軍事力が増し大国化しても、それに応じて周辺国や友好国からの信頼も厚くなるとは限らない。巨大な人口を背景とする市場としての存在感も、その国の政治的重要性の一部でしかない。
 南アジア地域において大国とされるインドは、パキスタンだけでなく、ネパール、スリランカ、モルディブ、さらにハシナ元首相の身柄引き渡し問題を抱えるバングラデシュとも摩擦を繰り返し、地域統合を十分に進めることもできていない。各国との事情は多様だが、まさに「大国になること」と「信頼され、選ばれる大国になること」は違う。
 国益を追求する外交において、相手や協力の度合いを変えることだけで、インド外交を高く評価できるのであろうか。インド政府が自国の外交を実利的かつ成果志向と説明し、宣伝することは理解できる。だが、それを受けて日本あるいは他国でインド固有の卓越した外交と評価されるには、実際に何を成し遂げ、それをなぜ成功と評価できるのかを示す必要がある。
 この実利性を、カウティリヤ(古代インドの政治家)や『アルタシャーストラ(実利論)』(カウティリヤ著とされる)に結びつけ、古代以来の歴史的・文明的伝統として説明する場合にも、実証が必要である。『実利論』が高度な政治思想を示す古典であることに異論はない。
 だが、現代の外交を古代の政治思想から説明するならば、その間をつなぐ歴史的事実の確認が出発点となる。イスラーム諸王朝、ムガル帝国、英国植民地支配、独立運動、ネルー外交と非同盟、冷戦、1991年以降の経済自由化など、さまざまな変化と断絶を越えて、古代以来の実利主義が現代外交に生きているならば、その連続性こそ実証が必要である。カウティリヤをインドの戦略文化と関連づける議論も、実証を欠いたまま現代外交を説明するのであれば、インド外交への視点を誤らせる。
 敵味方を固定せず、国際環境に応じて協力相手や協力の度合いを変える外交は、ほかの主権国家も行う。政策に実利的な判断があることのみから、古典からの源泉や連続性とするなら、それはこじつけでしかない。では、なぜ現代の外交を、わざわざ二千年以上前のカウティリヤや『アルタシャーストラ』へ結びつけるのだろうか。
 この問いを考えるうえで、BJP政権下で進むヒンドゥトヴァ(ヒンドゥー教至上主義)に基づく国家像の再構築にも目を向ける必要がある。古代インドの偉大さやヒンドゥー教文明との連続性を重視する政治のなかで、カウティリヤや『実利論』を現代外交の源泉とする説明は、どのような役割を果たすのか。古典を参照すること自体に問題があるのではない。しかし、それが自国の外交の優秀さや文明の偉大さを示す根拠として用いられるなら、歴史の説明と、現代の国家像や政権を正当化する言説との関係を問う必要がある。
 思想上の類似があるとしても、それで二千年以上に及ぶ外交思想の連続性を証明したことにはならない。歴史的に実証できる連続性なのか、それとも現代政治のなかで再構成された自己ナラティヴ(物語)なのか。インド外交を語るならば、この区別を曖昧にすべきではない。もちろん、カウティリヤへの言及をすべてヒンドゥトヴァへの賛同とみなすことはできず、BJP政権以前の戦略文化論もある。厳しく問うべきは、古代と現代をつなぐ根拠が示されているか、そして古典を引用する論説が現在の政治で何を支えているかである。
 戦略的自律や実利主義という名前だけで、外交の巧拙は決まらない。自ら選択肢を確保することは合理的でも、評価すべきは、その選択の果実として、何が実現し、何が実現せず終わりを迎えたかである。関係国はどう受け止め、重要な局面でインドは選ばれたか。そこを確かめず、現政権の言説を評価し追認するだけなら、賞賛でしかない。
 メッカ協定に戻ろう。インドに対する新たな「包囲網」への警戒を唱え、その対応に協力するだけなら、サウジアラビアがこの防衛関係を選び、バングラデシュが参加を考える理由を見失う。両国には、それぞれの国益と安全保障上の懸念がある。自国の戦略的自律を重んじるインドも、その選択を認めるほかない。インドに相手を選ぶ自由があるように、周辺国にもインドを選ぶ自由と、選ばない自由がある。その自由を認めたうえで、自国が選ばれるだけの関係を築かなければ、インドの周辺外交は立ちゆかない。
 周辺国から「選ばれる国」になるには、まず相手が何を不安に思い、何を求めているかを認めることだろう。古代以来の戦略思想や文明の偉大さを語るだけでは、信頼と安心は得られない。自国への賛否を測る前に、相手も独自の歴史と国益を持つ対等な主体として見る。経済力や軍事力を増すインドに、いま必要なのは、そうした謙虚さではないか。メッカ協定を前にして、周辺国から自国がどう見えるかを考える外交への転換がインドには求められる。

まとめ ~インドを論じることから、日本自身の外交を問い直す~

 いま協定を、反インド同盟や新たな軍事ブロックとみなすのは早計である。三国の利害は必ずしも一致せず、紛争時の機能も不明で、参加国拡大も未確定である。完成した同盟ではなく、西アジアと南アジアの安全保障関係が変化する過程として捉えるべきだろう。
 サウジアラビアは米国との関係を維持しながら別の安全保障回路を模索し、トルコもNATO加盟国として独自の関係を広げる。バングラデシュの参加検討も、その国自身の利益から見る必要がある。「緩い核抑止」は、バングラデシュが参加すれば南アジア東部へ、さらに枠組みが東南アジア諸国へ広がれば、その地域へも拡大する可能性がある。核兵器廃絶へ向けた動きを強めるとともに、こうした核に頼る外交には、国際世論を通じて対抗しなくてはならない。
 印パの対立が軍事衝突へ発展すれば、他の参加国がパキスタンへの攻撃を自国への攻撃とみなす可能性は否定できず、インドの政策選択に重大な負担となる。ただし、協定上の義務と現実の参戦は別であり、枠組みの存在が直ちに戦争拡大を意味するわけではない。最悪の可能性だけを強調することは、協定の実態を見誤ることにもなろう。
 インド包囲という見方にとどまれば、各国の国益や国内事情が見えなくなる。友好的な外交関係でも安全保障上の選択が一致するとは限らない。インド外交の評価や研究にも、その選択をする側からの視線が欠かせない。
 日本も、この問題の外にはいない。日米同盟を基軸に多数の米軍基地を置き、核抑止を米国の拡大抑止に依存する日本は、自らどこまで選択しているのか。基地と核だけの話ではない。日本は国連、多国間協調、法の支配に基づく国際秩序を外交原則として掲げてきた。米政権が国連や多国間主義を軽視し、その政策が日本の掲げる原則と食い違うとき、日本はいかに対応するか。同盟を維持しながらも異なる立場を示し、多国間の協力を支える行動を取れるか。同盟国であることは、自ら判断せず、沈黙する理由にはならない。インドの戦略的自律外交を高く評価するなら、日本自身の外交・安全保障上の選択も同じ基準で見なければならない。
 また、インドの自律を尊重するという以上、米国や日本とは異なる選択にも向き合うことになる。そのときにも、日本はインドの判断を受け入れる度量を持てるだろうか。「重要な戦略的パートナー」という結論に都合のよいインド像だけを当てはめていては、変化する南アジアを捉えられない。
 協定の実効性や今後の展開には不確定な要素が多く、現段階では今後の動向を見通すことは難しい。だが、各国が何を求め、いかなる意図で防衛協力を選択し、その相手を選択していくかを注視する必要がある。そして日本自身もまた、将来を見据えた外交姿勢と独自の方針を選択できるかが問われている。

(ふくなが まさあき 大学教員)

(2026.9.20)
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