■≪コラム≫【中国単信】(148)
中国茶文化紀行 「茶禅一味」(85)
第八意識
趙 慶春
「武勇伝」という言葉は日本語で、中国語にはない。「武勇伝」はおしなべて誇張される傾向があるが、中国語での言葉を探せば、「吹嘘」あるいは「吹牛」だろうか。しかし、この2語は〝法螺を吹く〟という意味で、「武勇伝」にみられる〝信じられない〟というマイナス面からの表現になっている。ちなみに、日本語の「自慢話」も中国語では、やはり「吹嘘」あるいは「吹牛」が一番近い。
ただし「武勇伝」が誇張なしの「事実」である場合も少なくないのだが、学校で自分の成績や秀でた学習能力を自慢すれば、「事実」でも「ほら吹き」と思われてしまう。実は筆者もこのような「武勇伝」をよく言っていた。中国の名門大学北京大学の出身者たちが同窓会などで「テキストを一度読んだらもう覚えてしまっていた」の類の話はよく出てくるが、決して「自慢話」ではなく「普通の事」と思っていた。しかし、ある時、同窓会に出席した家内が「皆すごいね。私なんか全然覚えられなかったわ」と呟いたことから学習能力は天性の素質ではないか」と思うようになった。
そうだとすれば、人間はそれぞれが何らかの素質があり、その中から羽生善治、藤井聡太両氏のように、その素質を十二分に発揮できる天才が生まれてくるのではないだろうか。
菅原道真は学問の天神の降臨(生まれ変わり)とよく言われているが、天才たちはどのようにして現れるのだろうか。生まれながらに音楽才能を持つ人、文才に長けた人、美術的才能に優れた人たちの出現は、単なる偶然なのだろうか。
ここにこそ「輪廻」と「因果」が関わってきていると考えざるを得ない。つまり、「輪廻」がどのように関与しているかであり、紛れもなくまさに「生死」の問題である。
「生」については誰もがそれなりの知識を持っている。男と女は性の営みで男性の精子の一つが数億の「ライバル」に勝ち、女性の卵子に辿り着き、受精卵となり、女性の子宮の中で凡そ10か月育てられて誕生する。たとえ試験管ベビーであっても、基本的に人間はこの流れで生まれる。——これが人間の「生」である。
しかし、この認識は正しいのか? 同じ父母から誕生した子供たちでも異なる身長、面相、性格であるのは珍しくない。それは後天的教育、環境、経験、そして遺伝子の差と解釈されるが、それだけだろうか。ある子供は両親の「特技」「天賦」と関係なく、音楽、絵画、運動その他で、並外れた才能を持つことがある。これも遺伝子による、と解釈してよいのか。なぜ兄弟でも同じ才能を持たないのか? 遺伝子の特殊変異と解釈するのが簡単そうだが、遺伝子はどのように変異したのか?
そのほかにも自分以外の他人の「記憶」や「自分」の生まれる前の記憶を持つ人が全世界で数千例もある。これらの現象は「遺伝子」だけでは説明できない。
ここには人間の「生」に関する認識で、これまで触れてきた「輪廻」が関わってくる。
「輪廻」、つまり生まれ変わると、新しい肉体、顔になり、新しい眼・耳・鼻・舌・身など諸識によって新しい「意識」が形成され、新しい「我」の我執に基づいて生きていく。もはや今までの「自分」ではなく、新しい「人間」になる。ただし、輪廻において前世から継承し、来世にまで伝えていく要素が一つだけある:(自分の)業の因果である。これを「第八阿頼耶識」と言う。
「第八阿頼耶識」はなかなか説明しにくい。「第八阿頼耶識」は事件簿のような一件、一件の記録ではなく、データのような情報の集合体でもない。人生の凝縮されたものであり、「人間」の全作為、「起心動念」という心、意識の動きも含めて個別識別子として記録されている。「善行」も「悪行」も「不善不悪行」もあらゆることが記録されている。個別識別子は「人生」の堆積であり、纏めであり、「人生」を評価する定義でもある。そして、「輪廻転生」の時、「第八阿頼耶識」(個別識別子)が継承され、輪廻の行先(六道の上下のランク)、行先での位置(例えば、人間に転生する場合の良い環境、良い天賦かどうか)、そして新しい人生の基本性質(例えば、人間性等)などが決められる。
輪廻転生して誕生した「新しい生命」も年を重ねて死に、その「死」からまた転生していく。勿論、「前前世」から継承してきた「第八阿頼耶識」は継承されていく。ただし、終えたばかりの人生評価が新たに加えられ、新たに書き換えられる。このような「現象」が繰り返され、「輪」(円)を廻るように終焉なく「永遠」に続いていく。「輪廻」と名付けられた由縁である。この無休止の、「宿命的」な輪廻から脱出するのは仏教の目指す「目標」、つまり成仏であるが、これについては後述する。
「輪廻」について説明してきたが、この人間界の言葉では十分に「輪廻」を説明しきれないことをお断りしておく。仏教経典によれば、人間は死の直前に、脳内に超ハイモーションスライドのようにして「自分」の一生が映り出される。この点は死者には確認できないことであるため、仏の教えと言っても半信半疑の人が多いだろう。しかし、カナダのある研究チームは2016年、87歳のてんかん患者の男性の脳波測定を試みた。ところが測定中、患者が心臓発作に見舞われ死亡。予期せず、人が死ぬときの脳の状態が記録された。その記録には、死の前後の30秒間に、男性の脳波に夢を見ている時や、記憶を呼び起こしている時と同じパターンの波動が確認されたという。 この研究チームは人は、最期の瞬間に「走馬灯」を見ることを示唆しているという論文を2022年2月22日に発表している。また、2013年に健康なネズミを使って行われた実験が、ヒントを与えてくれるかもしれない。アメリカで行われたこの実験では、ゼマール博士のてんかん症患者と同じく、ネズミの心臓が止まってから30秒間、強い脳波が観測された。この類似性は「驚くべきものだ」とゼマール博士は述べている。
この最期の瞬間に見られる強い脳波は「第八阿頼耶識」が新しく書き換えられることを示していると考えられる。近い将来、「第八阿頼耶識」とその継承の動きが科学によって証明されるかもしれない。
「第八阿頼耶識」は「種子識」とも言う。それはこの世でいう「魂」になる。
人間の「生」は精子、卵子、そして魂によって誕生するのだ。
大学教員
(2026.02.20)
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