【コラム】中国単信(136)

中国茶文化紀行(73)

「茶禅一味」・お寺に行こう
趙 慶春

 「茶禅一味」の本質を究明するために、寺院行きを思いつくのは自然の理だろう。
 以前から寺院によく足を運んでいたが、これまでは一人の参観者に過ぎなかったが、今回は僧侶に会うために出かけた。
 
 ここでは禅宗・臨済宗・建長寺派の大本山の(鎌倉)建長寺の紹介から始めることにする。
 建長寺は日本の代表的な禅寺だが、まず建長寺と筆者の「縁」について触れておきたい。
「お寺での喫茶や茶と禅の関係について話を聞きたい」ということから、息子に高校、大学時代の同級生の父親が僧侶であることを教えられ、東京都国立市の南養寺を訪ね、さらに昭島市広福寺の白川宗昭・宗源父子を紹介され、白川父子の口利きで建長寺訪問が実現したというわけである。
 このようなツテを頼ってという話が中国の寺院で起きたら大騒ぎになるかもしれない。中国仏教では基本的に僧侶の結婚、妻帯を認めないため子供はいない(出家前の場合を除く)からで、男女の性交渉、異性との交際や恋愛等はすべて禁止されている(密宗の個別流派に稀に例外がある)。この「(男女の)性」は出家僧侶と俗人との一番分かりやすい「区別」で、世間の目も厳しい。
 こうした日中両国の相違は「戒律」のあり方、時代ごとの政治勢力とのバランスの取り方、寺院運営のための資金獲得手法など様々な要素から生じたと思われる。詳細は省略するが、日本の寺院は庶民信仰につながる墓の管理も担っている。これは寺院の大きな収入源であり、「妻帯・子持ち」は寺院の経営と存続には必要不可欠の要素である。
 一方、中国は古くから「血縁・孝」を重視する儒家社会であり、墓の管理は氏族(血がつながり、代々同じ地域で生活する家族集合体)が担った。現在は政府認可の「霊園」が管理するケースが主流になりつつあり、仏像も霊塔なども霊園の所有物である。ちなみに、中国の葬式も基本的に葬式会社が担い、信仰心の厚い地域では僧侶を呼ぶが、筆者の故郷である東北地域では僧侶の出番がまったくない場合もある。また、中国語で結婚を「成家」(家が成り立つ)とも言うが、結婚も、子供を持つことも禁じられている僧侶になることを中国語では「出家」「出世」と言う。ここには儒教が「血縁・家」の継続を重視してきたことと関わっている。したがって中国では仏前結婚式は基本的には行わない。
 そもそも「家」という概念には日中両国では大きな「差異」がある。日本では「家を買った」と言うが、中国では「房子(部屋)を買った」と言う。「家」は買えるものではないのである。また、寮や借家(アパート等)に住む独身者はそこに「帰る」ことを「家に帰る(回家)」とは言わない。なぜなら、中国の「家」概念は「人」に重きが置かれ、家族が居て成り立つと認識されている。つまり、中国の「出家」(僧侶になる)とは「社会」と決別するという意味が非常に強く、一般庶民とは「無縁」の世界になっている。
 さらに余談だが、中国のドラマなどでは戒律を守らない僧侶の描写では「喫肉」(肉を食べるの意。特に「犬肉」がよく登場する。犬肉は「香肉」とも呼ばれ、特に誘惑が強いようだ)と「飲酒」が常套手段で使われる。日本の寺院の山門前に「不許葷酒入山門」と刻まれた石碑を見かけることがあるが、この「葷酒」の「葷」は本来は香辛料など刺激の強い食べ物の意味だが、後世に「肉」と置き換えられた。僧侶にとって「女遊び」は戒律破り以上の「僧侶資格」にかかわる重大な問題であったのである。
 
 少々横道のそれてしまったが、建長寺についての話に戻ろう。建長寺は三つの部分から構成されている。

 その一 建長寺本山。
 ここは寺院運営、法要など仏事を担う「部門」である。一般観光客に公開しているのもこの「部門」である。
 本山の最高位は「管長」で、中国では一般的に「方丈」、「住持」と呼ぶ。「管長」の下に「宗務本所」が設けられ、各種の寺院事務を担当する。「宗務本所」は「財務、総務、教学、法務」など諸部署からなる。ここの「教学」部署は僧侶の教育ではなく、一般人への仏学普及のための部署である。
画像の説明
(建長寺山門)

 その二 専門道場。
 修行専用の場所、僧侶を育てる僧堂である。
 建長寺に限らず、日本では修行専門道場で一定期間の修行を積まないと住職の資格が得られず、家族所有の寺であっても住職になれない。専門道場は僧侶の「質」を保つ必要不可欠の存在と言える。ただし、専門道場を持つ寺は少数で、建長寺派の寺院総数は四百以上に上るが、専門道場を持つ寺は二十余りである。
 専門道場の最高位は「老師」で、修行僧の指導に当たる。老師の元で修行しないと住職になれない。また、住職になれても老師になれると限らない。老師と修行については後述する。
 専門道場は僧侶にとって「聖なる」場所であり、基本的に一般公開しない。専門道場及び修行については後述する。
画像の説明
(建長寺専門道場の中庭)

 その三 末寺。
 江戸時代に幕府は全国の寺を管理するために「本山」と「末寺」の制度を定めた。「末寺」は粗末な寺、あるいは寺の信仰レベルや知名度が低いということではない。「末寺」とは本山を源流として本山の流派に属し、各地域に点在している独立の寺を言う。したがって「末寺」は仏教組織の重要な一翼を担い、庶民との結びつきが強く、より庶民生活に近い存在である。ちなみに先述した南養寺、広福寺も建長寺派の末寺である。

 建長寺を一例として寺院について簡単に紹介してきたが、では、専門道場と末寺の役割は?
 両者の「仏法」に優劣があるのか。両者が目指す「ところ」、つまり両者の着地点に相違があるのか。特に両者は仏教基本教義をどのような形で「具現化」しているか。これらについてはより詳しく吟味する必要がある。
 たとえば、臨済宗建長寺派の大本山である建長寺だけではなく、末寺の宗禅寺なども一般民衆向けの座禅会を定期的に開催している。円覚寺などは対面座禅会だけではなく、オンライン座禅会まで催している。いずれも参会者には好評である。これらの座禅会に筆者はすべて参加したことがある。また、後述するが筆者は建長寺の専門道場に入り、体験修行したこともある。そこで気付いたのは修行僧(雲水)と一般座禅会参加者の「目的」(目指すところ)が異なっていたことである。一般座禅会参加者の目的は多種多様、多岐にわたっているものの、「悟り」ないし「成仏」を目指す人はいないと言っていいだろう。
 これは「禅」の多面性の表れだろうか? それとも「禅」に対する理解の違いなのだろうか? 「心」が違えば、見える人生風景も異なってくるのだろうか?
 いずれにせよ、表面的な相違点、理屈、そしてロジックなどは捨てて、仏教基本教義に従って「禅」の中身を考えていく必要がありそうである。

 大学教員

(2025.2.20)
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