【コラム】ドクター・いろひらのコラム(21)

中村哲先生と若者たちの群像劇

色平 哲郎

 医療の枠を大きく超え、広く人びとの生命を救った医師、中村哲先生の評伝『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』(山岡淳一郎・集英社)を読了。2019年に凶弾に倒れ急逝された哲先生の生い立ちから死までを描く、圧巻の450ページ。

 医療界で哲先生の名前を知らない向きはいないことだろう。パキスタンでのハンセン病診療を経てアフガニスタンで井戸や用水路を建設し、砂漠を沃野に変えたことが有名だ。2002年には当院佐久病院から哲先生に若月賞をおくった。

 哲先生の名声は全世界に知れ渡っている。しかし哲先生の人となりを、100人以上の関係者にインタビューして、ふかくほりさげて著した本は、ほかになさそうだ。「人間中村哲」の実像に迫る秘話が、詳細まで描かれている。

 たとえば、哲先生が九大医学部の学生だった当時、学生運動が燃えさかっていた。1969年正月、九大のYMCA寮に暮らしていた哲先生は、先輩から頼まれ、ベトナム戦争に背を向けて在日米軍基地を脱走したアメリカ兵を寮にかくまって、彼の相手をする。米兵は、暗記していた化学式を紙片に書きつらねた。

 それをのぞきこんでいた哲先生は、「こいつら米兵のほとんどが薬物中毒患者やなぁ。この化学式は、ぜんぶ薬物ばい。戦闘の怖さは酒で紛らわせられんけん、薬物に走るったい。前線ではそうやって戦ったんやろうねぇ」と洞察したという。

 評伝著者は、この脱走米兵がいったい誰なのか追跡調査し、京都ベ平連(ベトナムに平和を!京都市民連合)が保護した米兵とつきとめた。この米兵は、九州から京都に戻って逮捕され、米国に送還された。帰国後、保護観察つきで病院で働いていたが、仲間と一緒に薬物に手をだして、殺人事件に関与し、収監された、と歴史をほりおこした。なんと、実にこの逸話、戦争が米国社会を深くむしばむことの布石となっている。

 本書の末尾に、アフガニスタンで20年間「対テロ戦争」を展開した米国では、PTSD(心的外傷性ストレス障害)で自殺した軍人が3万177人に上る、とある。軍人戦死者の4倍以上の自殺者数なのだ。こんな“戦争中毒”の超大国と哲先生は「丸腰」でたたかいつづけ、アフガニスタンの砂漠に用水路を造った。ものすごさに脱帽する。

 あるいは徳洲会グループを創設した故徳田虎雄理事長が、1980年代半ばパキスタンのペシャワールでハンセン病診療を始めた哲先生の「パトロン」であったことは、ほとんど知られていない。徳田理事長は、数千万円もの資金を提供しながら「領収書はいらんよ」と独自の会計処理をしたという。

 「動」の徳田理事長と「静」の哲先生とでは、一見正反対のようだが、健康にめぐまれない人々を助けたいという思いで一致していた様子だ。

 このほかにも、哲先生にひかれて灌漑事業に没頭した日本の就職氷河期世代(ロストジェネレーション)の若者たち、またアフガニスタン現地スタッフの命がけの挑戦などの群像劇、読みはじめたらとまらない。ぜひ、ノンフィクションの醍醐味をあじわっていただきたい。

 改めて、戦争の愚かさを痛感しつつ・・・。

合掌。

色平 哲郎(いろひら てつろう)
JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長
大阪保険医雑誌2026年4月号掲載

(2026.4.20)
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