【アフリカ大湖地域の雑草たち】(53)

仕事より人間関係がつらいとき

大賀 敏子

 I 親米エリート
 
 同窓生
 
 故ワンガリ・マータイ博士(元ケニア環境天然資源副大臣・2004年ノーベル平和賞受賞者)、故ハーゲ・グアンゴブ閣下(元ナミビア大統領)、ナンゴロ・ムブンバ閣下(元ナミビア大統領)、シリル・ラマポーザ閣下(南アフリカ大統領)、アラッサーヌ・ワタラ閣下(コートジボワール大統領)、プムジレ・ムランボ=ングクカ(元南アフリカ副大統領・元国連事務次長・UN Women事務局長)、カンデ・ユムケラ(元シエラレオネ貿易・産業・国家企業大臣・元UNIDO事務局長)。
 アフリカの様々な国の要人たち(故人を含む)の名を挙げたが、彼らには共通点がある。それはAfrica-America Institute (AAI)のalumni(同窓生)であることだ。
 
 (註1)故ハーゲ・グアンゴブ(ナミビア大統領)については、オルタ広場2024年2月号の拙稿参照。
 
 熱心にアフリカ人を育てた
 
 AAIは1953年に設立されたアメリカの非営利団体(本部はニューヨーク)で、奨学金や研修を通じ、アフリカ人の高等教育を支援してきた。これまでの同窓生は23000人余り、その多くが各界で輝くエリートに成長した。それも、まぎれもなく、親米の。
 2025年8月23日に95歳で亡くなったアメリカ人実業家、モーリス・テンペルスマンは、AAI理事会メンバーであり、かつ、熱心で有力な支援者だった。
 先稿(オルタ広場2025年9月号)でふれたとおり、テンペレスマンは1929年ベルギー生まれのユダヤ人で、1940年ナチスドイツによるベルギー占領のとき、家族とともに11歳でアメリカに渡った。アフリカ産の鉱物資源、とくにダイヤモンドを、アメリカに届けるビジネスで活躍した(写真、The New York Timesから転写)。
画像の説明
 
 II モブツと親交
 
 ウラン備蓄を進言
 
 1961年10月19日、32歳の若きテンペレスマンが、ケネディ米大統領にあてた書簡がある。ソ連の核実験を受け、ウラン精鉱備蓄の重要性が高まっているところ、それにはキャッシュより農産物とのバーター取引がいいと進言している。
 明確な言及はないものの、コンゴのシンコロブェ鉱山が念頭にあることが行間からうかがえる。同鉱山は、良質ウランの世界唯一の産地として、第二次大戦中マンハッタン計画を支えた。この書簡が書かれた1961年のコンゴは、年頭に殺害されたルムンバ初代首相に代わり、モブツ参謀長(写真、ウィキペディアから転写)が実権を掌握したばかりだが、テンペレスマンはすでにモブツとゆるぎない親交を築いていた。でなければ、米大統領にここまで踏み込んだ進言はできなかったはずだ。
画像の説明

 天下り
 
 テンペレスマンとアメリカ・コンゴ両政府との密接な関係を示すもう一つの事例は、ローレンス・デブリンの雇用だ。デブリンは、1960年、動乱に揺れるコンゴの首都レオポードビル(今のキンシャサ)のCIA支局長だった。彼は1974年のCIA退職後、民間人として、いわゆる「天下り」で、改めてコンゴに赴き、CIAとの協力を続けたと言われている。この天下りを可能にしたのがテンペルスマンだった。社員としてデブリンを雇用し、キンシャサに置いた。
 さらにテンペレスマンは、在ニューヨークのザイール名誉総領事だったことがある(1977年3月3日から一時期)。任命したのはモブツ大統領だ。
 
 国連職員より詳しい
 
 国連コンゴミッション(ONUC)(1960-1964年)の内部電報にも彼の名が出てくる。バクワンガ(今のムブジ・マイ)に配置されたONUC軍についてで、もし撤退しようものなら、ヨーロッパ人技術者が大量に流出し、その結果、経済混乱が生じる可能性が非常に高いと、釘を刺している。バクワンガはダイヤモンド産地だ。
 この進言は、ただちにニューヨークのハマーショルド国連事務総長に送られた。派遣されてきたばかりのONUCメンバーより、現地でビジネスをする実業家の方が、正確でアップデートされた事情を把握していると考えられていたのだろう。
 
 III 大陸を股にかけ
 
 ガーナのクーデター
 
 サブ・サハラでいち早く独立を果たしたガーナ(1957年)の歴史にも、彼の名が出てくる。エンクルマ初代首相(後に初代大統領)は、反植民地主義を旗印に世界でもっとも影響力ある指導者の一人となったが、その失脚につながった1966年2月のクーデターは、「CIA工作による」と言われている。
 テンペレスマンが関与したかどうかの論証はさておき、明白なことがある。それは、ガーナも世界有数のダイヤモンド産地であり、彼のビジネスの場であったことだ。
 
 半世紀以上・大陸全域
 
 そのほかにもある。シエラレオネのスティーブンス大統領(1971-1985年)時代のダイヤモンド契約の策定、アンゴラ内戦中の反政府勢力UNITAとのダイヤモンド取引計画、ナミビア独立(1990年)前後のダイヤモンド貿易促進、ジンバブエ(1980年独立)政府とのダイヤモンド産業支援での協業、ジェノサイド(1994年)後のルワンダ政府への政策的助言、など。
 「デビアス(De Beers)との仲介」「市場交渉」「契約取り付け」など、売り手と買い手をつなぐファシリテーターとして、彼のビジネスは半世紀以上、ほぼ大陸全体に及んだ。
 
 (註2)デビアスはダイヤモンドの採鉱・流通・加工・卸売会社(本社はロンドン)。世界のダイアモンド・カルテルを展開した。
 
 悪徳商人
 
 2025年8月の訃報は、彼のことをこう伝えた。「鉱業と政治的利益の間で、クーデターなど外からの策謀と重なることもあり、テンペルスマン氏は好奇心と陰謀論の対象となってきた」(The New York Times)
 ただし、この表現はあっさりした方で、もっと踏み込んで言えば、彼は「1950年代初頭以降、アフリカでの事実上あらゆる主だった秘密工作づくりに力を貸」し、米国の機密解除されたメモや電報を見れば、「テンペレス氏は、コンゴ、シエラレオネ、アンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、ルワンダ、ガーナの政情をゆさぶることに直接インプットした人物として名が挙がっている」(The Corpwatch)。
 もしこのとおりなら、アフリカ大陸を股にかけ、アメリカの地政学的国益をごり押ししながら、富を築いた悪徳商人といったイメージが浮かんでくる。
 
 20,30年も待てば
 
 しかし実際はどうだっただろう。彼の関心はビジネスだ。商品があるところならどこへでも赴き、販売して利潤を上げるのが目的だ。アフリカ人有力者と協業し、かつ、アメリカ人有力者に喜んでもらう必要があり、そのためには、陰謀、策謀、秘密工作と無関係ではいられず、結果的に、関与することもあったのではないか。利益を共にする人をサポートし、相反する人を警戒するのは、ある意味であたりまえのことだ。
 ならばいっそ、息のかかった「お仲間」を世界のあちこちに作っておけばいい、奨学金や研修で。即効性はないが、そう長く待つ必要もない。20,30年もあれば十分、必ず使える人材になるからだ。しかも、納得せざるを得ない価値観―解放的教育、地球規模の修復と再建、経済の主権、コミュニティ構築がAAIの理念だ―を身に着けた人材に。
 
 IV 人づきあいの達人
 
 武器は必要ない
 
 冷戦時代親ソ的だった国には、「英語は得意ではないけれど、ロシア語なら」というモスクワ大学卒のエリートが少なくなかった。ちかごろは中国留学組、東南アジアの大卒者などが、アフリカの実社会で活躍している。エリート層ばかりではない。ケネディ大統領時代1961年に創設されたアメリカの平和部隊(ピース・コー)は、草の根レベルで人と人の交流を深めた。ポジティブな貢献も多々あるが、いずれもソフトパワーの競争であることには変わりない。
 機会に恵まれない若者に、機会を与えて育てる。策謀・陰謀どころか、そのこと自体は誰にも反論できない。しかも、高価な武器は必要ない。ただ必要なのは、柔軟な発想と長期的なビジョンだ。
 
 話題豊富な生涯
 
 テンペレスマンの死因は、転倒による合併症というけっして珍しくないものだったが、その生涯は話題豊富だった。ケネディ・クリントン両大統領と家族ぐるみでバケーションを過ごしたり、ジャクリーン・ケネディ・オナシス(ケネディ大統領夫人)の恋人として知られたり。国連アーカイブには、コフィ・アナン事務総長の二期目就任(2001年)を祝した自筆のメッセージ・カードや、同氏のノーベル平和賞受賞(2001年)への祝辞が残っている。コンゴのジョセフ・カビラ大統領(在任2001-2019年)の初訪米では、歓迎レセプションを開いたようだ。
 休暇、お祝い状、レセプションなど、それ自体はばかばかしいほど簡単で、誰にでもできることだ。だが、誰にでもできることでは、けっしてない。つまり、これらの要人と親しい「お仲間」でないかぎり。
 人づきあいの達人―このような資質を、彼はどう身に着けたのだろう。11歳で祖国を逃れたという生い立ちは関係しているのだろうか。旧約聖書の時代から、奴隷にされ、捕囚にあい、国を失い、迫害されても、けっして失われることがなかったユダヤ民族のアイデンティティは関係しているのだろうか。
 
 フェアな競争とは
 
 懸命に働いても、なぜか、うまくいかないときがある。あずかり知らぬところにインナー・サークル(お仲間)があって、彼らが事実上職場を動かしているためかもしれない。仕事がきつい理由は、仕事そのものより、人間関係のためだというのはよくあることだ。
 1975年1月、テンペレスマンがキンシャサで、モブツ大統領と朝食をはさんで会合したという、アメリカ国務省の記録がある。パンと果物とコーヒーの定番メニュー(卵も付いたかも)ではあっただろうが、「結局、自由競争とはこう戦うものなのだ」と再確認できる、格別な味がしたのではないだろうか。
 
 ナイロビ在住

(註3)本稿は、コンゴ動乱をテーマにした先の17稿(『アフリカ大湖地域の雑草たち(17)-(19)、(21)-(29)、(31)、(40)、(41)、(43)、(52)』(それぞれオルタ広場2022年5-7月号、9-11月号、2023年1-2月号、4-5月号、7-8月号、11月号、2024年9-10月号、12月号、2025年9月号)の続きである。先稿のリンクはつぎのとおり。

オルタ広場89号(2025.9.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(52)平和ボケ⑰
オルタ広場80号(2024.12.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(43)やわらかな微笑のうら⑯
オルタ広場78号(2024.10.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(41)なかなか気づかないこと⑮オルタ広場77号(2024.9.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(40)規格にはまらない⑭
オルタ広場67号(2023.11.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(31)用済みにされた英雄⑬
オルタ広場64号(2023.8.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(29)いちばんこわいこと⑫
オルタ広場63号(2023.7.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(28)思いやりは無用の長物⑪
オルタ広場61号(2023.5.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(27)国連をダメにしたくない⑩
オルタ広場60号(2023.4.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(26)武力をつかって平和を追求する}⑨
オルタ広場58号(2023.2.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(25)誰が問われているのか⑧
オルタ広場57号(2023.1.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(24)国連のきれいごと⑦
オルタ広場55号(2022.11.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(23)生涯感謝している―アフリカ大湖地域の雑草たち(23)⑥
オルタ広場54号(2022.10.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(22)お兄さんと弟―アフリカ大湖地域の雑草たち(22)⑤
オルタ広場53号(2022.9.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(21)相手の実力―アフリカ大湖地域の雑草たち(21)④]
オルタ広場51号(2022.7.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(19)国連職員のクライアント③
オルタ広場50号(2022.6.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】ベルギー統治時代のコンゴ②
オルタ広場49号(2022.5.20)【アフリカ大湖地域の雑草たち】(17)1960年の国連安保理①

参考文献
Corpwatch, 25 April 2001, “Africa: U.S. Covert Action Exposed”, by Eric Ture Muhammad
CovertAction Magazine, 27 February 2024, “Diamond Magnate With Deep Ties to U.S. Intelligence, Who Was Behind Imperial Machinations in Central Africa, is Left Out of the History Books”, Jeremy Kuzmarov
John F. Kennedy Presidential Library and Museum, 1961: TA-TO, p.31, memorandum dated 19 October 1961, from Maurice Tempelsman to the President
United Nations Digital Archives, Cable dated 20 May 1961, from Linner, ONUC Leopordville, to the Secretary-General of the United Nations (A-1271)
Susan Williams, 2016, “Spies in the Congo: America’s Atomic Mission in World War II”
U.S. Department of State, Archive, information released online from January 20, 2001 to January 20, 2009
The New York Times, Maurice Tempelsman, Diamond Magnate and Jackie Onassis’s Companion, Dies at 95”, 25 August 2025
The New York Times, “Former Intelligence Aides Profiting from Old Ties”, 6 December 1981
A.J.A. (Bram) Janse, “A History of Diamond Sources in Africa: Part II”, Gema & Gemology, Spring 1996

(2025.10.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧