【コラム】神社の源流を訪ねて(85)

伽耶86  日韓神話の諸相

栗原 猛

◆日韓に通じ合う神話

 古事記、日本書紀と、韓国の建国神話には驚くほど似ている場面があるかと思うと異なる場面もある。両国の祭祀施設を訪ねてきた経緯から、共通点や違いがあっても不思議なことではないが、気になるところが少なくない。                    
 まず国内での解釈の違いから見ると、例えば日本書紀に「此の地は韓国に向かひ、笠沙の御前にまき通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此の地はいと吉き地」という有名な箇所がある。    
 邇邇芸命が天降りしたところは、筑紫の日向の高千穂の峰だとされるが、この日向が筑紫七カ国の日向の国だとするのは疑問とされる。律令制の日向国は新しいので、断定は難しい。また高千穂の峰の伝承地は九州に4か所もあるので、高千穂の峰論争はまだ熱っぽい。                      
 ただ記紀の文面に「韓国に向かひ」とあることから、鹿児島、宮崎両県ではなく、北九州の日本海側がふさわしいと見方が有力のようだ。          
 また神話には日韓で同じ名前の地名がることもややこしい。高千穂の峰について「古事記」は、「久志布留多気(くしふるたけ)」と書き、一方「日本書紀」の第一の一書は、「槵触峯」(くしふるたけ)と記録する。また第六の一書になると、「添山峯」(そほりのやまのたけ)となる。さらに三国史記にも同じ名前が出てくる。九州の地名なのに朝鮮語の名前があるというのは、いったいどういうことなのか。 
 「三国遺事」を収録している「駕洛国記」によると、加羅(伽耶)の始祖である首露王の降臨の地は「亀旨峰」である。「日本書紀」の第六の一書は「添山、此れをば曾褒里能耶麻(そほりのやま)と云う」とする。また百済の最後の都、泗沘(しび)は、所夫利(そふり)と書く。「日本書紀」では、素戔嗚尊が新羅に降った地は「曾尸茂利(そしもり)である。                  
 日韓の神話の名前に同じものがあることについては、記紀の編纂者に、渡来の学者が参加していたとの指摘もあるくらいだ。          
 一方大きな違いもある。象徴的なのは加耶などの神話は、住民が自分たちを治めてくれる人を欲しいと天に向かって熱心に祈る。それに応えて金の卵が降臨する。この卵から王子が生まれて、村人に育てられやがて王になる。加耶6カ国の神話はほぼ同じで、住民と降臨の神との間に親しみが感じられる。             
 倭国と加耶の交流は、「日本書紀」には日本側で一番古い資料として崇神紀65年で、任那国が蘇那曷叱知(ソナカシチ)という者を派遣して来たことを記している。これが倭国と加耶が接した最初の記録で、4世紀前半ごろとされる。
 このあと「日本書紀」は、「神功皇后の新羅征伐」の話になる。それは別として、加耶といえば、かつて江上波夫氏の騎馬民族渡来説が、話題になった。第十代の崇神は、和名はミマキイリヒコ(御間城入彦)である。「ミマの城のイリヒコ」が倭国に来て「ハツクニをシラス天皇」になったと説明された。ミマは任那のことではないかといわれる。その後、否定されているが、任那から崇神らしき王の集団がやってきたとの指摘は、専門家の間で否定されていないとされる。                      
 金官加耶の拠点は洛東江の西側の金海で、半島の東南端、いまの釜山付近にあり、海港集落だから海上交易が盛んで、日本列島に一番近い。注目すべきはこの地域に有力な産鉄部族がいたことである。                
 そこでかつて務めていた会社の同僚の話で恐縮だが、実家が昔から続く古社寺で、「実家にはその昔、崇神一行と朝鮮半島から渡って来たという伝承がありますよ」と言っていた。神話や伝承にはまだ解明されていない謎が多い。

◆以上

(2025.12.20)
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