■【コラム】神社の源流を訪ねて(88)
伽耶89 降臨と詐術
◆「葦原の中つ国」の平定
日本書記は天照大神の有名な葦原の中つ国の平定について、こう記している。大神は皇孫に勅(みことのり)しての「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。天照爾(いまし)皇孫、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまのひつぎ)の隆(さかえ)まさむこと、当に天壌と窮り無けむ」とのたまふ―。
日本列島は、王たるべきものの皇孫の地だと宣言したものだとされる。神話の話だが天から見ていて子孫のためにこの地が欲しいと言っている感じだ。
朝鮮半島と記紀神話などとの決定的な違いは、村人たちが天に向かって、自分たちの集団を治めてくれる人を求めて祈るところである。例えば加耶6カ国の神話は、いずれも人々が自分たちを治める指導者を与えて欲しいと、天に向かって祈る。
すると天から卵が降りて来る。村人がその卵を持ち帰ると、赤ん坊が生まれ、やがて凛々しい若者に育っていく。どこか竹取物語に似ている感じもするが、注目点は人々と天神の意思の交流が感じられるところだ。これに対して記紀神話は、後から来た勢力が先にいる勢力に国の明け渡しを迫るというストーリーになっている。それでは後から来た勢力はどこから来たのかということになるがここでは問わない。
記紀の英雄である倭建命(古事記の表記)は、豪胆な性格で人並み外れた行動力を持っていたとされる。ただ武勇譚は多いが、正面から立ち向かうのではなく、詐術を使って相手のスキを突く奇襲戦法が得意だったらしい。争いごとだから、だまされる方が悪いとなるのだろうが、国の指導者ということで考えると、いささか気になる。
熊襲は九州の地で、勢力を広げ大和政権と朝鮮半島との交流を、遮る動きをされていたとされる。景行天皇は並外れた倭建命の手法に畏怖心を感じたらしい。熊襲退治のあとすぐに出雲征伐を指示している。
倭建命が熊襲の地に着いた時は、ちょうど宴席を始めるところだった。倭建命は童女の着物を着て宴会場に潜入し、熊襲建兄弟の近くに座ることに成功する。そして、隙を見て二人を後ろから刺したといわれる。熊襲建は「恐れを知らない男だ。倭から来たのだから倭建命と改めたらどうだ」と言って倒れたという。熊襲建は、なかなか堂々とした対応である。
この後、倭建命には休む間もなく、出雲建を討つ指示が出る。そして倭建命は、出雲の斐伊川で出雲建に会う。二人は知り合いになり、倭建命は抜けない刀を作り、倭建は友情の証にと刀の交換をする。密かに木製の太刀にすり替えてあった。二人は身を清めようと川に入る。倭建は先に川から上がっていて、後から上がってきた出雲建にいきなり切り付け、出雲建は刀を抜くことができずに討たれてしまう。
倭建命は「やつめさす 出雲建が佩ける刀 黒葛(つづら)さは巻き さ身無しにあはれ」という歌を作った。意味は、出雲建が腰に佩いた刀は立派だけれども、中身がないとうたっている。武士道的な思いやり精神は、その頃はまだなかったのかもしれない。
以上
(2026.3.20)
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