【「労働映画」のリアル】

労働映画のスターたち(86)

原 節子
清水 浩之 

《27年間の作品歴から辿る、「戦中派」女性の職業欄》
 
 主人公は自動車会社のセールス・レディ。男性しかいない業界にたった独りで飛び込み、恋と仕事の板挟みに悩みながらも奮闘する……1980年代の「トレンディ・ドラマ」のような筋書きだが、これがなんと、日中戦争勃発から2年後の1939年10月に公開された映画『東京の女性』(監督・伏水修)。主演は当時19歳の原節子さん。モダンなスーツをビシッと着こなし、「わたくし、○○○ですのよ」と優雅に話すキャリアウーマンが、(数年後に焼け野原になるとは、まだ誰も知らない)銀座の街を闊歩する。
 
 タイピストとして働いていた彼女は、実家の苦しい家計を助けるため、恋人の営業部員に「弟子入り」を志願する。整備工場で油まみれになって自動車の知識を身に着け、取引先で揶揄(からか)われたりしながらも着実に営業成績を上げていくが、今度は同僚のセールスマンたちから露骨な妨害を受け、恋人の心も離れていく……。
 
 戦後の東宝サラリーマン映画で司葉子(『その場所に女ありて』1962)や浜美枝(『日本一のゴマすり男』1965)が演じたようなヒロインが、20年以上前の戦時中に登場した理由として、「事変バブル」とも言うべき束の間の好景気に“浮かれて”いた、当時の都市生活の一面が見出せる。つまり、もしも戦争が長引かなかったら、原節子さんが演じる役柄もだいぶ違っていたのでは……という考えが浮かぶ。
 
 原さんは1920年、横浜市に編入される前の保土ヶ谷町の生まれ。教師を志していたが、彼女もまた「家庭の経済的困窮」を理由に高等女学校を中退。姉の夫、映画監督の熊谷久虎の導きで、気の進まないまま女優となる。1936年、ナチス・ドイツとの合作映画『新しき土』(アーノルド・ファンク、伊丹万作)のヒロインに抜擢され、“Die Tochter des Samurai”(侍の娘)が満洲開拓に乗り出すまでの物語を演じた。
 
 「私くらい、大根、大根っていわれた女優は映画史上にないでしょう」
 (「近代映画」1952年1月号)
 
 これは戦後、数々の名作に出演して国民的大スターとなった時点での発言だが、そもそも日本の映画界は、彼女の活かし方を知らなかったとも言えそうだ。大きな瞳、彫りの深い顔立ち、160センチを超える(当時の女性としては)高身長。『東京の女性』は、原作者の丹羽文雄が原節子をイメージしながら執筆したそうで、その後も颯爽たるヒロインが「男女対等」(まだ「平等」ではない)に活躍する映画が続けばよかったのかも知れないが、20代の彼女に与えられた役柄は全然違っていた。
 
 日米開戦後の『ハワイ・マレー沖海戦』(1942/山本嘉次郎)では、少年飛行兵を見守る優しい姉。『望樓の決死隊』(1943/今井正)は、満洲・朝鮮国境地帯で抗日パルチザンと戦う警察官の妻(銃も構える)。『北の三人』(1945/佐伯清)では航空基地の通信士……と、戦況とともに「女性の任務」が変化していった様子がわかる。
 
 ところが敗戦後は、1933年の京大滝川事件を題材に、自由主義者として迫害された女性を泥まみれの体当たりで演じた『わが青春に悔なし』(1946/黒澤明)、“身分違い”だった男女の恋愛コメディ『お嬢さん乾杯!』(1949/木下恵介)、女学校の民主化を志す英語教師に扮した『青い山脈』(1949/今井正)など、「軍国の女神」から一転して「民主主義の女神」に祭り上げられる。これもまた当時の女性に期待された役割だ。
 
 30歳近くになってようやく、『晩春』(1949)で小津安二郎と、『めし』(1951)で成瀬巳喜男と出会い、同世代の女性が人生の喜怒哀楽を経験していく姿を、等身大の佇まいで生き生きと演じるようになった。1962年に引退するまでの27年間、「娘/妻/母/先生/未亡人」という狭い役柄を担いながら、その一つ一つを丁寧に演じきったことが、原節子さんならではの魅力を生み出しだのでは、と思う。彼女のフィルモグラフィは、「戦中派」女性の慎ましくも味わい豊かな人生を映し出した職業欄なのかも知れない。
 
 参考文献:『原節子 あるがままに生きて』 『原節子 わたしを語る』 貴田庄 朝日文庫 2010/2013年 ほか
 
 (しみず ひろゆき、映像ディレクター・映画祭コーディネーター)
 
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 ●労働映画短信
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 働く文化ネットでは、毎月「労働映画鑑賞会」を開催しています。お気軽にご参加ください(参加費無料・事前申込不要)。
 第111回労働映画鑑賞会~仕事、暮らし、そして家族・・・~
 11月13日(木)18時から上映(17時45分開場)
 上映作品:『こんにちは、母さん』 2023年/111分/監督:山田洋次
 山田洋次監督が吉永小百合を主演に迎え、現代の東京・下町に生きる家族が織りなす人間模様を描いた人情ドラマ。同じく山田監督と吉永主演の「母べえ」「母と暮らせば」に続く「母」3部作の3作目にあたり、劇作家・永井愛の戯曲「こんにちは、母さん」を映画化した。
 大会社の人事部長である神崎昭夫は、職場では常に神経をすり減らし、家では妻との離婚問題や大学生の娘との関係に頭を抱える日々を送っていた。そんなある日、母・福江が暮らす下町の実家を久々に訪れた彼は、母の様子が変化していることに気づく。いつも割烹着を着ていた母は艶やかなファッションに身を包み、恋愛までしている様子。実家にも自分の居場所がなく戸惑う昭夫だったが、下町の住民たちの温かさや今までとは違う母との出会いを通し、自分が見失っていたものに気づいていく。
 会場:連合会館 2階 203会議室(地下鉄千代田線 新御茶ノ水駅 B3出口)
 働く文化ネット公式ブログ http://hatarakubunka-net.hateblo.jp/
 
 ◎【上映情報】労働映画列島!10月~11月
 ※《労働映画列島》で検索! https://shimizu4310.hateblo.jp/
 
 ◇新作ロードショー
 女性の休日 《10月25日(土)から 東京 渋谷 シアター・イメージフォーラムほかで公開》 1975年10月24日、アイスランド全女性の90%が仕事や家事を一斉に休んだ。「男女平等先進国」のきっかけとなった運命の1日を、当事者の証言やアーカイブ映像で振り返る。(2024年 アイスランド=アメリカ 監督/パメラ・ホーガン)
 
 ぼくらの居場所 《11月7日(金)から 東京 新宿シネマカリテほかで公開》 カナダ・トロント郊外の街、スカボロー。過酷な環境下で生きる3人の子どもが、地域の教育センターを居場所にして成長していく。(2021年 カナダ 監督/シャシャ・ナカイ、リッチ・ウィリアムソン)
 
 石炭の値打ち 第一部:炭鉱の人々 第二部:現実との直面 《11月14日(金)から 東京 Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほかで公開》 英国社会の象徴でもあった炭鉱という労働現場。南ヨークシャーの炭鉱における人々の暮らしや人生を二部作で描くドラマ。(1977年 イギリス 監督/ケン・ローチ)
 
 金髪 《11月21日(金)から 東京 新宿バルト9ほかで公開》 公立中学校の校則に抗議する生徒たちが、一斉に髪を金色に染めて登校。たちまち社会現象化し、翻弄される担任教師。(2025年 日本 監督/坂下雄一郎)
 
 ◎日本の労働映画百選
 働く文化ネット労働映画百選選考委員会は、2014年10月以来、1年半をかけて、映画は日本の仕事と暮らし、働く人たちの悩みと希望、働くことの意義と喜びをどのように描いてきたのかについて検討を重ねてきました。その成果をふまえて、このたび働くことの今とこれからについて考えるために、一世紀余の映画史の中から百本の作品を選びました。
 
 『日本の労働映画百選』電子書籍版(2021.04更新)
 https://drive.google.com/file/d/1WUUYiMwhdncuwcskohSdrRnMxvIujMrm/view

(2025.10.20)
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