【コラム】八十路の影法師

博士たちの「好きな言葉」を見て

竹本 泰則

 この国の動きがなんとも心地がよくない。偉そうなことを言える身ではないが、本来、土台となるべき理念、信念、志……といったものが等閑視されているように感じることが多い。おおざっぱな感覚で言えば、行く先もおぼつかぬままに、車軸がへたってしまったポンコツ車でデコボコの道を行くよう。夕方のテレビを見て、日本人選手が華やかさと陽気さがあふれる異国の球場で大活躍している姿に、ようやく留飲を下げるという情けない日々が続く。
 そんな中、喝采をあげたくなる朗報が立て続けに飛び出した。坂口 志文氏と北川進氏のノーベル賞の受賞。いかなる功績か内容(なかみ)については理解が及ばないが、それでも喜ばしい気持ちが湧いてくる。

 新聞社の求めに応えたものだろう、お二方がそれぞれ「好きな言葉」をしたためた色紙を持って会見にのぞむニュースを見た。どうやら急ごしらえの演出であったらしく、マジックインクか何かで即席に書いたものという印象ではあったが……。
 坂口さんは「素心」、北川さんは「無用の用」とされていた。
 「素心」という熟語は初めて見る。辞書によると、「純粋で汚れていない人間本来の心。飾らぬ心。」とあり、出典として顔延之(がんえんし)の「陶微士誄(とうちょうしるい)」を挙げている。顔延之は四世紀から五世紀にかけて活躍した中国の高名な詩人だが、「陶微士誄」は何やらわからない。またまた辞書にすがる。陶微士は田園詩人・陶淵明、誄は亡くなった人への深い哀悼をつづる特別の文章をいうらしい。
 老成した陶淵明が住む地方に赴任した顔延之は、どうやらこの微士に心酔していたように想像される。逝去を悼みながら、その人の生前の心の在り様に思いをめぐらせて「素心」という言葉を選んだのだろう。あるいは、坂口さんもそうした心をご自分の理想としていたのかもしれない。
 「無用の用」は老荘思想を語るとき膾炙される。浅学の身にとっては、老荘の論はひねくれた感があって、わかりづらく苦手だ。
 北川さんが開発した新たな多孔性材料は、無数の微小な穴があき、その穴に狙った気体を閉じ込めておいたり必要な時には取り出したりできるという代物らしい(金属有機構造体( MOFモフ )と呼ぶようだ)。眼で見て、どんなはたらきをするのか、何の役に立つのか理解できるようなものではないらしい。
 「ただ、たくさんの穴が開いてるだけじゃないか!」と片付けられそうな危惧を感じて、「形あるものだけに眼がいくでしょうが、この役にも立たないような小さな、ただの穴こそ温暖化などの環境問題を解決するはたらき(無用の用)があるのです」……そんな主張かもしれないと想像するのみだ。

 お二人とも1951年(昭和二十六年)のお生まれだから、小生より七歳ほど若い。しかも専攻はどちらも理科系。漢文には縁が薄いように思われるのだが、期せずして両人とも漢籍に因む語を「好きな言葉」に選んでいる。
 出身校の京都大学は宮崎市貞、吉川幸次郎といった中国文学の泰斗を生んだところ。何かしら結びつくところがあるのだろうか……。

 二つの「好きな言葉」に含まれる漢字の四文字は常用漢字であり、読みも特に難しくはない。ちなみに、すべて小学校の教育課程で習う。しかし「素」の字には、いささか込み入ったところがある。
 常用漢字表では、この字の音(おん)として「ソ」と「ス」の二つが示されている。その使用例として、「ソ」は素材、元素、平素、「ス」は素顔、素手、素性を挙げ、さらに備考欄には「素人(しろうと)」と注書きしている。ついでながら「ソ」の読みは小学校で教わるが、「ス」は中学校に上がってのちに出てくる読みです。
 漢字の音読みが二つ以上あるのは珍しいことではない。起源である中国においても漢字音は時代によって変化しているし、なにせ、あの広さだから、ところ変われば発音も変わる。そのためわが国に伝わった時代などによって漢字音は異なっていた。奈良時代以前からの音(おん)は「呉音」、平安期以降のものは「漢音」と整理されている。さらに鎌倉期以降にも、特に仏教僧の来朝に伴ってその時代のあちらの漢字音が伝来した。そのうちでわが国に普及・定着したものは「唐音」と呼ばれる。一方、日本人が字形などから誤った音読みをしてしまうなどといったこともある。それらが定着したものなどを「慣用音」と呼ぶ。誤った音読みの例としてよく取り上げられるのが「輸」で、この字は常用漢字表でも音読みは「ユ」だけが示されている。しかしこの字の呉音、漢音はいずれも「シュ」だという。愉快の「愉」にしても、説諭の「諭」にしても「ユ」と読むじゃないかといいたくなるが、輸出の「輸」は「シュ」と読むべき漢字であるそうな。
 そんなわけで、「素」の音読みがふたつあることは異とすることはないのだが、どうも「ス」の読みがいまひとつすっきりしない。

 常用漢字表では漢字音について漢音、呉音などの区別は示していない。
 常用している漢和辞典(『漢辞海』・三省堂)では「素」の漢字音は漢音・呉音とも「ソ」とする一方、「ス」と読むのは「日本語用法」としている。さらに別項をたてて「常用漢字表では「ス」を字音とするが、母韻所属字の呉音は、唇音(布、歩など)を除くとおおむねオ列音になり、「素」の呉音を「ス」とする確証は見出しがたい」と主張している。
 ほかの辞書を見ても音読みは「ソ」だけとするものもあれば、「ス」を呉音とするものや慣用音とするものもある。要するに、バラバラなのだ。
 「素」の字が入る熟語、およそ八十語を抜き出して分類してみた。
 まず、読みで分けると「ソ」が断然に多く、全体の7割以上となる。「ス」は2割強、そのほかの読み(素人、素面などのほか、熟語ではないが「味の素」の「もと」も含めた)は4パーセントくらいになる。
 さらに「ス」と読む語群は、素顔、素手、素足、素直などのように和語と複合するものが多いこともわかる(「ス」と読む群れの半分以上だ)。それに加えて、ほとんど全部が語頭につく。語頭以外の「素」を「ス」と読む唯一の例外は「鉤(はり)素(す)」ではなかろうかと思われる。魚釣りに使う糸で、竿についた釣り糸に鉤(コウ;つりばり)をつなぐための糸だそうだ。
 二字熟語で「素」が後ろにくる熟語では、簡素、貧素、元素、酸素、窒素、色素、画素などなど、みな「ソ」と読んで「ス」と読む例はない。

 和語には「す」という接頭語がある。前出の「すがお」、「すあし」や「すかんぴん」、「すっぱだか」などの言い方にもある「す」だ。
 『岩波 古語辞典』の「す」(接頭語)の項の解説を見ると「 ①ただそれだけの、また、生地のまま、②まったくの、の意を表わす」とある。また「後世『素』と当て字」とつけ加えられている。
 漢字「素」の部首は「いと」・「いとへん」。もとは染色されていない、きなりの絹糸をいうようだ。そこから生地のまま、飾らないさまの意味に発展したらしい。これが「素心」の「素」につながるのは当然だが、和語の接頭語「す」に意味が重なることも注意を惹く。
 「素」の音読みに「ス」を立てるとするならば、和語の接頭語「す」の当て字から派生した慣用音と考えていいのではないか。「ス」と読むのは語頭にある場合に限られることとも符合する。
 そう思えてならないのだが、偉い学者先生方の意見がバラバラということは、素人の浅知恵にすぎないか……。

(2025.11.20)
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