【オルタの視点】

天皇陛下〈8・8ビデオメッセージ〉の真実

添田 馨


 〈8・8ビデオメッセージ〉が私たちに示したのは、まぎれもなく、今上天皇が時の政権に対して真っ向から闘いを挑む姿だった。だが、ほとんどの人は、その事実にも、その意味にもまったく気付いてない。その理由は、〈8・8ビデオメッセージ〉について、マスコミ各社が一斉に「生前退位への意向をつよくにじませる内容」だと報じたからである。
 だが、メッセージを隅々まで読んでも、天皇は自身の「生前退位」のことに直接触れてはいない。むしろ、天皇は象徴としての役割を「全身全霊」で全うしなければならないこと、また、そのためには、摂政では駄目なのだと言っているのである。ここには、明らかに〈8・8ビデオメッセージ〉が孕む真実の意図の、マスコミによる隠蔽操作=すり替えが働いているのだ。
 それは、つまり、天皇は現在もこれからも〈象徴〉として存在しなくてはならないという陛下ご自身の強い意思の表明だったものを、高齢化に伴う健康不安から自分がまだ元気なうちに譲位することを図りたいという皇位継承問題に、まんまとすり替えたのである。
 そのことがはっきり分かるメッセージの箇所を、以下に引用する。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 「全身全霊をもって」とは、極めて強い尋常ならざる表現である。私はこの箇所を読んだ時、はじめて今上天皇の存在そのものに触れたとの実感を得た。それまで、雲のうえの人でしかなかった天皇を、自分たちと同じ生身の人間として受け止めることができた、初めての瞬間だった。この体験を経て以降、このメッセージは私にまったく新しい意味を投げかけてくるようになった。
 それは、憲法上に規定こそあるものの、過去に規範も前例もない〈象徴〉としての生き方が、実際にどうあるべきかについて、最も悩み、最も真剣にその答えを模索し、かつ最も果敢にその要請に応えようと努力されてきたのが、他でもない天皇ご自身であったという事実に、改めて思い至らせてくれたのである。

 詩人の谷内修三が、この部分をめぐる報道について興味深い情報を寄せている。2016年8月10日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の記事「象徴天皇 お言葉の背景 上」の情報として、「幸いに健康であるとは申せ」の一文は、ビデオ放送前日に加筆されたものだというのである。そして、この一文から、「首相官邸の関係者」は「摂政は望まない」という今上天皇の強い意志を感じ取り、「これで摂政を前提とした検討はできなくなった」と感じ、退位を前提とした法整備しかないと覚悟を決めたのだという。(ブログ「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」2016年8月16日 「自民党憲法改正草案を読む/番外7(天皇の「お言葉」再読)」より)
 この記事を読んで私の直感は、この部分の意味について、ある畏怖すべき結論に達した。結局これは、今上天皇が天皇ご自身における〝身体の不二性〟を表明した肉声なのではないか、というようにである。「幸いに健康であるとは申せ」とは、この先、自分の健康が損なわれるような事態を当然予想してのことだろう。だが、たとえその場合でも、摂政を設けることで国政上は何の不都合もなくなるはずである。例えば皇太子が摂政につくことで制度上の不都合は解消できるだろう。それを天皇自身が否定したということは、例え血統のつながっている者であっても、自分が天皇として果たしてきた役目は果たせないのだと言っているのに等しい。このことは驚くべきことに、天皇みずからが、血統の連続性とはまた別のところに、自分を天皇ならしめた絶対的根拠を置いていることを暗黙の裡に伝えている。「首相官邸の関係者」が、宮内庁(天皇)側との水面下のやり取りのなかで、どうしても超えられなかった壁が、実はこのことだったと思われる。

 今回の生前退位騒動をめぐる数々の謎の核心部分が、おそらくここに隠されている。以下、時系列に沿ってその報道の流れを追い、私なりに整理してみる。
 天皇の生前退位の意向のニュースは、参院選後の7月13日午後6時55分にNHKがTVでまずテロップを流し、続いて午後7時からのニュース番組で報道したのが最初だった。きわめて唐突だったという印象が否めない。
 しかし、その一方で、宮内庁は即日、この報道内容を完全に否定したのである。さらに、総理をはじめ政府要人は、この件についてのコメントは一切差し控えるという態度を見せた。間違いなく、裏があってのスクープだと感じさせて余りある情報の出し方だった。一体、裏では何があったのか。

 今上天皇が以前から生前退位の意向を周囲に話されていたという情報はすでにあった。一部報道では、参院選以前にこうした表明を公表する画策が、宮内庁と政府のあいだで為されたらしい。しかし、それは実現せずに終わった。
 事態が動いたのは7月も終盤に至って、天皇が翌月8月8日にも「生前退位」に向けた自身の気持ちを国民に向けて直接語りかけるとの情報が流れた時である。終戦時の「玉音放送」を除けば、天皇がみずからのメッセージを直接国民に伝えたケースは2011年3月11日の東日本大震災の時以外になく、そうした事実を顧みれば、今回の〈8・8ビデオメッセージ〉がいかに異例中の異例な出来事だったかが分かるだろう。
 このニュースが流れた後、安倍総理が天皇のお言葉を受けて、コメントを発表する旨の報道がなされた。これまで、一連の報道に対して沈黙を守ってきた政府側が、公式に対応を迫られた結果であった。

 一部報道によると、当初、「お気持ち」の表明はビデオメッセージではなく、生放送もしくは記者会見形式にすることが検討されたとのことだった。しかしその後、何らかの理由で、録画済のビデオメッセージによる表明へと変更になった。
 〈8・8ビデオメッセージ〉は、ざっと概観しただけでも、たくさんの紆余曲折を経て公表された様が窺える。そして、ここに今回の〈8・8ビデオメッセージ〉に関する最も重要な問題が浮上してくる。すなわち、天皇がこのビデオメッセージのなかで読み上げたあの「お言葉」は、一体誰が書いた誰の言葉なのか、という問題である。
 一部の報道では、8月8日に公表される予定の文案については、事前に宮内庁と官邸との間で何らかの調整がなされたことが言及されている。言い換えるなら、〈8・8ビデオメッセージ〉で天皇が読み上げた「お言葉」は、政権側によってすでに検閲されているということである。
 だとするならば、あの「お言葉」は政権側が勝手に都合よくつくりあげた作文だったのかというと、私はそうは思わないのである。もしそうだったら、そもそも宮内庁と官邸とのあいだで文面の調整を行う必要などないだろう。
 このことに関して確実に言えるのは、宮内庁(天皇)サイドも官邸サイドも、その内容が憲法に規定されている天皇の政治関与に抵触しないよう、最大限の注意を払ったであろうことである。そして、「お言葉」の内容を読むかぎり、この文章作成にあたって主導的だったのは宮内庁(天皇)サイドであって、決して官邸サイドではなかっただろうことである。
 「お言葉」は、全文の構成が基本的に、「私は」という主語で始まる一人称でできている。冒頭で天皇ご自身が、次のように述べていることを想起しよう。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 「私」とは、この場合、当然ながら天皇その人のことにほかならない。しかも驚くべきことに、天皇が「天皇」としてではなく、わざわざ「個人」として公式に話すと断っているのである。こんなことは、歴史始まって以来、前代未聞の事態ではないだろうか。したがって、官邸側がこうした主語をもつ文章を、天皇ご本人を差し置いて作文するなどということは、まず絶対にあり得ないと考えていい。
 これらのことを踏まえ、「お言葉」を読み解くうえでの重要な留意点をふたつほど挙げる。
 まずひとつは、ある多義的な言葉が、文脈上で唐突に現れるにもかかわらず、実はそれが具体的に何を指しているのか言及されていない箇所。そこは、問題化することを避けるために、政治的な配慮から真実の意図を一般的な用語に置き換えた部分と推量される。さらにもうひとつは、言い回しが周到な否定形として逆に強調されている箇所。じつは、この部分にこそ、天皇が本当に伝えたかった内容が直接的に籠められていると考えなければならないことである。

 ひとつめのケースであるが、「伝統」という言葉こそが、私はこうした深慮の結果、最終的に選択された用語に当たると考えている。具体的には、以下の箇所である。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 「象徴」と並んで「伝統」がここでは言及されている。「象徴」は憲法にも明記してある理念だが、「伝統」のほうは憲法にも皇室典範にもその記載はない。何を指して今上天皇はこの「伝統」という言葉をお出しになったのか。
 皇室の歴史的な継承について述べられた箇所で、唐突に「伝統」という言葉が使われている。この場合、「伝統」とは天皇家にのみ伝承される皇位継承儀礼を指しているとしか考えられない。
 「お言葉」の文面で、天皇は、終焉の際の「殯(もがり)の行事」については言及しているものの、次の新しい天皇の即位儀礼についてはまったく触れていないように見える。だが、ここで「伝統」という言葉を使って、言外にそのことにも触れていたのである。
 具体的に言えば、今上天皇は、大嘗祭に関係する重要な何かを念頭において、この言葉をお使いになったものと考える。

 大嘗祭については、古来より、その内容は秘儀とされ、いまなお詳細は不明のままである。
 折口信夫は昭和3年に「大嘗祭の本義」を著わし、はじめて「真床襲衾(まとこおふすま)」の神事と「天皇霊」の関わりについて言及した。ここで重要なのは、天皇が代替わりする時、「天皇霊」なるものが次に天皇となる者の身体に降りてくるという、この不可逆的な構造である。
 「天皇霊」は、日本書紀「敏達紀」に記載があるものの、その実体については皇祖の神霊であるとするものや、外来魂であるとするものなど、諸説あっていまだ定見はないようだ。
 注目すべきは、この「天皇霊」が身体に憑かない限り、正統な皇位継承者といえども真の「天皇」にはなれないとする根深い観念が存在することである。このことは、必ずしも血統の連続をもって皇位継承の最終条件とするものではないことをも暗示している。
 大嘗祭がもし、折口が述べたような祭儀構造を現在もまだ保持しているとすれば、このような観念は今上天皇の意識において間違いなく継承されていた共同幻想だったと考えられる。

 そこで私は、ふと立ち止まらざるを得ない。
 もしも、もしも万が一、今上天皇がこうした観念世界を皇室の「伝統」として明確に自覚しながらも、同時に、開かれた公的空間でみずからを憲法に定める「象徴天皇」に相応しい存在へとその身を厳しく律してきたとするなら、「天皇霊」にあたるような何らかの実体を持った霊性がそこに必ず介在していなければおかしい。一体、それは何だろう?
 ビデオメッセージが公表されてから1週間後の8月15日、「全国戦没者追悼式」で述べられた陛下の「お言葉」を聴いて、意外なことに、私はそれが先の大戦における膨大な数の戦没者の霊であったことを、まさに確信したのである。以下にその一部を引用する。

 終戦以来既に71年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

 いうまでもなく、日本国憲法は第2次世界大戦の敗北とその惨禍への深い反省に立って、国民主権や基本的人権の尊重に加え、戦争放棄(平和主義)の強固な思想によって貫かれたものであり、同時にまた、現在の「象徴」としての天皇の地位を保証した唯一の法的根拠でもある。
 今上天皇は、日本国憲法が発布されて以降、最初に即位された天皇だった。つまり、象徴天皇制移行後に天皇になられた初めての天皇であり、その自覚は先のビデオメッセージのなかでも繰り返し述べられていた。
 すなわち、その思いとは、「国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚」を自らの内に育てることだと明確にされており、それら一切の象徴行為は日本国憲法第一条の記述に依拠したものであった。
 さらに、自らの務めが、「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」を考えていくことだと言うに及んで、「国民の安寧と幸せを祈る」というその行為が、同時に皇室の「伝統」にも支えられてあるという、きわめて透徹した認識がここで示されたのである。
 「今日の我が国の平和と繁栄」が、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」によって支えられているという認識とともに、全身全霊をもって「世界の平和と我が国の一層の発展」を祈るための資格を自らに賦与するもの――それが、先の大戦の戦没者の霊であり、その慰霊行為にほかならないとの認識は、憲法の条文にはどこにも記載はないものの、天皇を天皇ならしめるあの「天皇霊」の伝統に沿った霊性の次元で、今上天皇がその生涯をかけて育み、かつ守り通してきたエートスであったように、私には思えてならないのである。

 さらに、この「お言葉」を読み解くための、ふたつめの留意点について考察する。すなわち、言い回しが周到な否定形になっている箇所である。具体的には、以下の箇所がそれに当たる。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 「お言葉」の冒頭近くでの「個人として」発言によって、天皇は自分のメッセージが政治的発言ではない旨をそこで担保していた。そして、「お言葉」の終盤において、「憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません」と、再度、このことを念押ししているのである。尋常ならざる文章構成とはまさにこのことだ。なぜ、これほどまでに、今上天皇は自分の発言が「個人として」の思いであり、政治的なそれではないと重ねてみずから釘を刺しているのだろう。
 理由はただひとつ、この一連の「お言葉」が、実はその深層の発意において、ある明確な政治的意図をもった正真正銘の政治的発言に他ならないからである。天皇は、間違いなくそのことを強く自覚している。ただ、これが世間一般に政治的発言として受け止められることのないように、しかしながら、これが企図する政治目標だけは必ず達成できるように、万端の狡知と配慮とをその文章の至るところに張り巡らせたのである。

 最後に残る疑問は、「お言葉」の中に託された今上天皇の政治的意図とは一体何だったのかということである。
 それは、安倍自民党政権が目論む憲法改正にむけての具体的な審議プロセスを、中止させるか、あるいは大幅に遅らせるか、いずれにせよ改正に向けた手続きの一切を、何とか食い止めるための皇室としての影響力の発揮にあるとしか考えられない。
 その理由も明白である。今上天皇は、安倍自民党政権が主導する現行憲法の改正に対して、反対の強いご意志を持っているからである。それは「お言葉」のなかで何度も自らを「象徴」として位置づけていることからも窺い知れる。自民党改憲案では、天皇は明確に「元首」と書かれているのである。
 2016年8月11日の日本経済新聞朝刊(14版)は、「改憲論議に影響も 生前退位 短期間で結論難しく」との見出しで、じつに以下のように記している。

 だが生前退位は本来、象徴天皇制のあり方や皇位継承などを定めた憲法とも深く関わる問題だ。世論の幅広い支持を得る必要があるため、いったん着手すれば膨大な政治的エネルギーを費やすことになりかねない。
 政府内には迅速に解決するため、多くの論点を抱える皇室典範の改正ではなく、今の天皇に限って生前退位を認める特例法で対応すべきとの意見もある。ただ天皇の退位後の身分の検討や皇室関係の法改正など「大がかりな作業になるのは変わらない」(政府関係者)との見方もある。
 首相は7月の参院選で改憲に前向きな勢力で衆参両院の3分の2超を確保。9月召集の臨時国会から国会の憲法審査会で改憲論議を始める考えだったが、生前退位の検討が進めば、スケジュールに狂いが生じそうだ。

 私は、今上天皇が安倍晋三率いる無法売国奴政権に対し、ついに自ら立ち上がった姿をそこに透視する。訥々と「お言葉」を読み上げる天皇のその表情は、まことに穏やかながら、まさに闘う者の姿そのものでもあったのだ。
 政治的な発言が表立ってはできない身分を十分承知のうえで、象徴天皇制の堅持、言い換えれば九条をも含めた現行憲法の堅持という自らの主張を、生前退位の問題へと変形して、広く国民に問いかける――これは、間接的にではあれ、天皇が憲法改正論議に異を唱えるための、現在取りうるぎりぎりの非政治的=政治行動だったに違いないのである。(2016年8月21日)

 (古代研究『奪回』幻想史学の会会員、小野十三郎賞受賞者)


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