【海峡両岸論】

安倍政権下では難しい日中改善
~習訪日延期と腰定まらぬ対中政策

岡田 充

 新型コロナウイルス肺炎「COVID-19」の感染はイタリア、イラン、米国に一気に広がり、世界保健機関(WHO)=写真=は3月11日、「パンデミック」宣言をした。トランプ米大統領は、英国を除く欧州各国からの入国停止を発表、世界で1987年のブラックマンデー以来の株価大暴落を記録し、世界大恐慌への不安が高まる。

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  テドロス WHO事務局長

 4月初めに予定されていた習近平・中国国家主席の日本国賓訪問も延期された。コロナウイルスの「拡大防止を最優先する」のがその理由。しかし日本での感染拡大が、東京オリンピック・パラリンピックの延期・中止論を誘発。コアな安倍支持層からの訪日反対という不協和音も手伝い、関係改善の好機は失われた。日米同盟に固執し、対中政策の腰が定まらない安倍政権の下で、訪日の再調整など関係改善は可能か。感染拡大と五輪懐疑論が、訪問延期という回答につながった「方程式」を解く。

◆◆ 腰座らない外交

 日本と中国政府が訪問延期を発表したのは3月5日。新型肺炎の感染拡大のスピードは、中国では落ちたが、日本では逆に拡大しており「感染の拡大防止を最優先」を理由にした延期は理に適う。むしろ遅すぎたぐらいだ。訪日延期をめぐる安倍政権の対応をみると、腰の据わらない姿勢が目立った。首脳間の信頼関係が欠如したまま、言葉と上辺だけの「日中友好」に、果たしてどれほどの意味があるのか。
 延期した習訪日について安倍政権は、秋以降の実現を目指し再調整するとされる。しかし感染はアメリカ、ヨーロッパ、中東にも急速に拡大し、米株式市場で過去最大の下げ幅を記録(3月9日)するなど、世界経済にパニックを引き起こしている。日中両国はもちろん、世界中が感染封じ込めと不況対策を最優先せざるを得ず、年内の訪問再調整は簡単ではない。
 安倍はことしの最優先外交のトップに、東京五輪の成功を設定したが、国際オリンピック委員会(IOC)の有力委員が2月末、開催の是非のデッドラインに言及。世界保健機関(WHO)高官も「気温が上がれば収まる」との楽観論を戒め、五輪中止の恐れが現実味を帯びている。トランプまで「観客なしの開催は想像できない。1年間延期すべき」と発言し延期ないし中止の流れはもはや変えられないだろう。

◆◆ 無意味な中韓入国制限の強化

 安倍が訪問延期直後にとった措置には「?」を付けざるを得ない。政府は、中国と韓国からの入国者に対し3月9日から2週間の隔離とビザ(査証)の無効と免除の停止を決めたのである。
 中国政府は1月23日から、内外を問わず渡航と移動の禁止・制限措置をとった。日本政府も、武漢のある湖北省および浙江省からの旅客の入国を制限。韓国に対しても2月26日、大邱市と慶尚北道に滞在歴のある外国人の入国を拒否する措置を発動した。両国からの渡航者は激減しており、「いまさら」感は拭えない。「水際の防疫強化」というより、政治的な意図を感じる。
 参院予算委員会が開いた専門家の公聴会では、医療ガバナンス研究所の上昌広理事長はその有効性は「ほとんど期待できない」と述べ、与党推薦の専門家ですら「限定的」と言う始末。

 「事前協議のない一方的措置」と反発する韓国政府は直ちに、日本からの入国者に対し同様の対応をとる対抗措置を発表した。WHO高官は、「政治的争いは必要ない」と日韓の対応に呆れるコメントを出したほど。
 対中入国制限については、野党だけでなく自民党議員からも「なぜ中国全土に入国制限をかけないのか。来日する習主席への遠慮や忖度からでは」と批判が噴出していた。安倍は「習氏に何か配慮していることは全くない。必要なら躊躇なく実行する」と否定に追われていた。
 しかし習訪日延期直後のタイミングでの入国制限となれば、誰もが来日延期によって「中国に遠慮せずに入国制限を実施できるようになった」と受け止めるはずだ。対中入国制限の強化は、右派支持層に中国に強い姿勢を見せる「アリバイ証明」であろう。この対応変化は、対中関係改善に対する安倍政権の真剣度を疑わせるに十分だ。

◆◆ 信頼欠如、遅れた延期発表

 「桜の咲くころに来日を」と、安倍が習を招いたのは2019年6月。G20サミットが大阪で行われた際の首脳会談でのことである。対中関係の改善は「外交の安倍」にとって、対ロシア、対北朝鮮外交が完全に行き詰まる中で、唯一の成果が見込める外交。しかし今回ほど「ケチ」がついた中国首脳の訪問はなかった。それについては後に詳述する。

 招いた以上、日本側から延期を言い出しづらい事情はあるだろう。だが「日本での感染拡大」を理由にすれば、国賓訪問反対という政治要因による延期の印象を与える心配はない。延期の立派な理由である。中国政府も2月25日、通常は3月5日から開催される予定の全国人民代表大会(全人代=国会)の延期を決めたばかり。
 国権の最高機関の延期を余儀なくされた習が、外遊を「例外」として、国民に納得させるのは簡単だろうか。中国の官製メディアは3月に入ると、習政権が新型肺炎の封じ込めに成功したことを大々的に宣伝するキャンペーンを開始したが、民衆の強い反発を受けてブレーキをかけた。習政権が世論にいかに敏感かを示す例だ。

 習が訪日で、「封じ込め成功」を誇示したところで、内外で政治的効果が上がるとは思えない。日本でも毎日感染者が増えており、もろ手を挙げて訪日を歓迎する状況ではない。安倍と習に信頼関係があれば、もっと早い段階での延期決定は可能だったはずだ。

◆◆ 政治文書も詰まらず

 訪問の準備も整っていなかった。訪日に向けて2月25、26の両日、東京で開く予定だった次官級の「日中経済パートナーシップ協議」は延期。2月下旬に開催を検討していた「第三国市場での民間経済協力」委員会、先端技術協力に関する「日中イノベーション協力対話」、警察定期協議など、一連の行事の開催スケジュールは決まらなかった。何より、訪日の最重要テーマである「第5の政治文書」の内容・文言が詰まっていない。

 安倍にとっては、もう一つ重要なファクターがある。「1か月ルール」である。それは、外国要人の天皇との会見要請は希望日の1カ月前までに出す、宮内庁と外務省の間の慣行。4月初めに訪日するなら、3月初めがデッドライン。
 「1カ月ルール」については、習に「前科」があった。2009年、国家副主席当時の習と天皇(現上皇)との会見を、希望日の1カ月前を切ってから要求し、受け入れさせたのである=写真=。当時の宮内庁長官は、民主党の鳩山政権に対し「二度とこういうことがあってほしくない」と、くぎを刺した。

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  平成天皇(左)と会見する習近平副主席~人民網から

◆◆ 緩い対応は、東京五輪のため

 入国制限の強化に戻る。米国が2月初めから中国全土からの入国禁止措置を採ったのに対し、初期段階で安倍政権がマイルドな対応をした理由は何か。これが方程式を解く一つのカギだ。
 習訪日を控えて、中国全土からの訪日制限に踏み切りづらい事情は確かに否定できない。しかしそれ以上に重要なのは、「武漢封鎖」によって、サプライチェーン(部品供給・生産網)が目詰まりを起こし、中国からの部品供給が滞り、日本の製造業の生産にも悪影響が及んだこと。入国制限を強化すれば、それに輪をかける。
 さらに中韓全土からの入国制限となれば、来日外国人の約半分を占める中韓両国の旅客が途絶える。インバウンド需要に支えられてきた観光・小売業への打撃は計り知れない。視線の先には、東京五輪の成功という至上命題がある。そこには中韓観光客の大量来日の計算もあるだろう。マイルド対応の理由は、対中経済関係への配慮と、五輪成功への安倍の執念があったのではないか。

◆◆ 荒療治への転換の理由

 次の疑問は、安倍政権が2月末に、当初決定を自ら覆して小中高の一斉休校などの「荒療治」に出た理由である。この疑問への答えが、先に紹介したIOC最古参委員の発言だ。ディック・パウンド氏が五輪開催是非の判断についてAP通信に「引き延ばせて5月下旬」との見方を示したのは2月25日、これが日本に伝わったのが26日だった。
 政府対策会議は25日、「(イベントなどについて)全国一律の自粛要請を行うものではない」と決定した。ところが安倍は26日になって、決定を自ら覆し「イベントの一斉自粛」を求め、27日には記者会見で小中高の一斉休校を発表した。安倍はそれを官房長官や厚労相、文科相など関係閣僚との協議によってではなく、経産省出身の今井直哉・首相補佐官の2人だけの話し合いで決めた。

 このように、IOC委員発言から突然の政策変更までの経緯を振り返ると、五輪を予定通り開催するには、5月下旬までに感染を沈静化させねばならない新たな事情が生まれたことがわかる。それが「荒療治」に転換した背景であろう。
 突然の政策転換は、トイレットペーパーやティッシュペーパーが品不足になるという「デマ」を生み、まるで石油危機当時のような長い行列が日本中で再現された。では安倍政権にとって、東京五輪はいったいどれほど重要なのか。今年1月20日の施政方針演説を見よう。

◆◆ 五輪をプライオリティに

 彼は「五輪・パラリンピックが開催される本年、わが国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる1年」と大見得を切り、五輪成功を「外交・安保政策」の最重要課題とするのである。演説では、五輪・パラリンピックの単語だけで計19回も使ったほどだった。
 仮に五輪が中止となれば、日本経済どころか世界経済への打撃は計り知れない。SMBC日興証券の試算(3月6日)によれば、中止は、日本の国内総生産(GDP)を1.4%程度押し下げ、日本経済への損失は7.8兆円にも上る。
 安倍と今井は、2月末のIOC委員発言を受け、「五輪成功」を優先させる政策を確認したのだろう。もはや習訪日どころではない。28日に来日した中国外交トップの楊潔篪・政治局員と会談した際、安倍は日本の延期意向が明確に伝わるよう発言したはずだ。

 繰り返すが、訪日延期の直後に発表された中韓への入国制限強化のタイミングを見れば、誰もが「中国に遠慮せずに入国制限を実施できるようになった」と受け止める。だがそれは違う。そう受け止めるよう誘導したのだ。通産省OBでチャイナウォッチャーの津上俊哉は、「これで『オリパラを忖度したせいで初動が遅れた』と疑う人間はいなくなる。そういうタイミングを選んだ」と、SNSに書き込んだ。これは「深読み」ではない。

 今井について言えば、安倍政権が17年5月、中国の「一帯一路」への条件付き協力方針を打ち出し、対中関係改善に乗り出したのも、対ロ、対北朝鮮政策も、外務省主導ではない。すべて今井イニシアチブによることを付け加えておく。「安倍外交」というが、実際は「今井外交」と言ってもいいぐらいだ。

◆◆ 中国を「敵対国」と呼ぶ外務副大臣

 習訪日ほど「ケチ」がついた中国首脳の訪問もないと書いた。訪日問題では招待した日本側から次々に反対論が噴出した。鄧小平(1978年)、江沢民(98年)胡錦涛(2008年)の前3代のトップ来日の時にはなかったことだ。自民党右派の「日本の尊厳と国益を護る会」のメンバーは2019年11月13日、①北大教授の拘束 ②尖閣諸島周辺への中国公船の侵入 ③香港での自由・権利の抑圧―を理由に、国賓来日に反対する決議文を首相に提出した。
 右派勢力の反対は中国にとって「織り込み済み」だったかもしれない。だが日本共産党が慎重論を唱え始めたことまでは予想しなかっただろう。同党は20年1月の党大会で、中国とロシアを「覇権主義」「大国主義」と批判する綱領改定案を採択した。志位和夫委員長は習訪日について「国賓訪問ありきで言うべきことを言っていない」とTV番組で述べ、消極姿勢を表した。

 在京の中国外交筋によると、中国が感染対策本腰をいれはじめたころ、習訪日が日本で歓迎されるかどうかについて、様々なルートで見極めるよう北京から指示が出たという。とりわけ神経質になったのは、新型肺炎が対中感情に与える影響についてだった。
 中国官製メディアが、訪日に向けて日本側の対応を絶賛する記事を配信しているころ、鈴木馨祐・外務副大臣=写真=がブログ(2月24日)で、自民党の二階幹事長が議員に募った中国への支援金について「外務副大臣として、支援には賛同しない」と書いた。理由は「敵対的な行動を行っている国そのものに支援を行うことになる」。

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鈴木馨祐・外務副大臣~ Facebookから

 招待側の所管部門高官が、訪問直前に中国を敵視する発言を公表するのは、異例どころか異常である。中国側は無視を決め込んだが、日本の武漢支援を礼賛するキャンペーンとは裏腹に、政府・自民党内にある訪問への冷たい視線を感じ取ったはずだ。
 民間非営利団体「言論NPO」の19年10月の両国共同世論調査では、中国に「良くない」印象を持つ日本人は、前年比では1.6ポイント減少したものの、84.7%と高止まりしたまま。そんな折に発生した新型肺炎禍は、中国イメージを決して好転させていない。鈴木副大臣発言は、そんな空気を北京に伝えたはずだ。

◆◆ 釣り合わない日米基軸との整合性

 対中政策で安倍の腰が据わらない最大の理由は、日米同盟基軸との整合性が取れないことにある。安倍は、中国を軍事的に封じ込めるための「インド太平洋戦略(構想)」(FOIP)を日米共同戦略(17年11月)とすることでトランプと合意した。
 だが、中国を敵視したままでは、関係改善は望めない。そこで安保と経済の「政経分離」を図りながら、改善の道を探ってきたのがこの間の対中姿勢だった。詳細は海峡両岸論第94号[注]を参照してほしい。

 しかし「改善の軌道に乗った」日中関係を「次の高みに引き上げる」(安倍)ために必要な習来日は延期され、年内の仕切り直しは容易ではない。安倍が日中改善を進める理由の第一は、両国の相互依存関係が深まる経済の要因。そして第二に、日中関係を悪化したまま放置すれば、衰退が進む日本の影響力と発言力が弱まる一方で、いっそう孤立を深める恐れがあるためである。「日米同盟基軸」だけでは、日本の生存空間を維持し拡大するのは不可能な時代である。

 トランプ政権は、対中貿易戦争とともに華為技術(ファーウェイ)の排除を同盟・友好国に求め、世界経済をデカップリング(分断)しようとしている。だがデカップリングなど不可能。コロナウイルスの感染拡大で、サプライチェーンの重要性が改めて確認されたことを見ても明らかだ。
 中国との経済関係に利益を見出す多くの国にとって、「米国か中国か」の二者択一を迫られるのは何としても避けたい。米国の伝統的な同盟国である英国とドイツが、次世代移動通信規格「5G」構築で、ファーウェイを完全排除しない決定をしたのは、「同盟」の性格と内容が大きく変化していることを世界に示した。

◆◆ 同盟見直し生存空間拡大を

 「同盟国」だからといって、「すべて米国の言いなりになる必要はない」、「自己利益を優先し、場合によっては米国との対立も辞さない」。そんな同盟・友好国が増えている。韓国やASEANの多くの国がそうだし、フィリピンは米軍との合同演習を可能にする地位協定の破棄を通告したほどだ。戦後、米国が世界で築いてきた同盟構造のタガは確実に緩んでいる。

 日中関係の改善にはまず、この10年で経済力の差が三倍近く広がった事実を、我々が受け入れること。その上で、工業社会から情報社会へと移行する世界的構造変化の中で、双方の利益になる分野での協力を進め、「衰退ニッポン」の生存空間を模索し、拡大することにある。

 「米国かそれとも中国か」の二択論の落とし穴にはまってはならない。対中政策での「政経分離」という小手先の戦術転換は、身内の造反というハレーションを引き起こし、関係改善の機運は失速した。安倍政権下での関係改善はやはり難しいのだろうか。

[注]矛盾だらけの「インド太平洋戦略」行き詰まる日米機軸と中国包囲
 http://21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_96.html

 (共同通信客員論説委員)

※この記事は著者の許諾を得て「海峡両岸論」112号(2020/3/20発行)から転載したものですが文責は『オルタ広場』編集部にあります。

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