【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

既視感ある印パ紛争だが、「火遊び」を超える危機が内在

荒木 重雄

 毎度お騒がせといったら不謹慎だろうか。今年もインドとパキスタンの衝突が国際社会の耳目を集めた。4月末、北インドのカシミール地方で観光客ら26人が武装勢力に殺害され、この事件をきっかけに、核保有国同士が戦闘を開始したのだ。国際社会がなだめに入って、2週間余りで停戦に漕ぎつけたが、いつまた再発するのか・・。

 ことの推移が、筆者には既視感がある。2001年から2年にかけて筆者がインド中央部のプネー大学に在籍していたときの経験と、そっくりなのだ。
 インド社会の変わらぬ空気感を読者と共有するのも意義あろうかと、当時の状況を振り返っておきたい。

◆それは9・11に始まった

 着任して間もない9月、米ニューヨーク同時多発テロが起こり、ブッシュ政権による「対テロ戦争」宣言と米英軍のアフガニスタン侵攻へと続いた。この「対テロ戦争」がイスラム過激派を対象としたことから、インドは時流に乗って、カシミールの領有権を中心に長年敵対関係にあるパキスタンへの攻勢を強めた。こうした動きは、国内に多くのイスラム教徒を抱えるインド社会に、険悪な風を吹き込んだ。
 そこに12月、インド国会議事堂へのテロ事件が起こり、インド政府は襲撃した5人の犯人がパキスタン国籍であったとして、外交官の召還や、国境を越える交通路線の停止、パキスタン航空機の領空飛行禁止などの措置を打ち出し、対立は決定的となった。

 年を越えた3月から4月、インドではグジャラート州で激しい宗教暴動が続き、800人とも2000人とも推定されるイスラム教徒が虐殺された。因みに、このときのグジャラート州知事がヒンドゥー至上主義団体出身の現インド首相モディ氏である。

 宗教暴動の余波も収まらぬ5月、カシミールのカルチャックでインド陸軍駐屯地が3人の武装テロリストに襲われ、軍人の家族を中心に34人が殺される事件が起こった。

◆一触即発に国際社会が介入

 この事件をパキスタンからの侵入者によるものとして、インド政府が軍事行動の選択肢を示唆するに及んで、印パ対立は一触即発の状況に発展した。インドのバジパイ首相が「ほんとは国会議事堂事件のときやるべきだった。今度こそやる」と挑発すれば、パキスタンのムシャラフ大統領は「われわれは戦争を恐れない。通常兵器で劣るわれわれは核兵器を先に使う権利がある」と返す、応酬をエスカレートさせながら、両国合わせて100万を超す軍隊が国境を挟んで対峙する態勢となり、パキスタンがミサイルの発射実験を行なうなど、核戦争の悪夢を孕んだ緊張が一気に、国際社会を巻き込んで高まっていった。

 印パが交戦状態になればアフガニスタンなどでの「対テロ戦争」に支障をきたす米国の主導で、国際社会が仲裁に入り、アーミテージ国務副長官やラムズフェルド国防長官を両国に派遣したり、ブッシュ大統領自身が両国首脳に電話をしたりと、危機回避に努めたが、そうしたなかで米国防総省が、「印パが核戦争に突入すれば、両国で900万人から1200万人が即死し、200万人から700万人が負傷する」と、脅しにかかったのが記憶に残る。

 欧米諸国は逸早く自国民の出国を促し、6月には日本政府も退避勧告を出して、出国用のチャーター機を飛ばした。当時、約1800人いた在印邦人は200人弱を残して出国していった。

◆印パ対立の歴史が語るもの

 本格的な戦闘がはじまるのか? 核の危険さえあるのか?
 一斉に外国人の姿が消えた街は異様な光景であり、筆者にも戦時中の幼心での不安感が甦ってきたりしたが、周りのインドの人たちの暮らしぶりには、ほとんどなんのとりたてた不安も緊張感もみられない。日々の目先のことごとの方が切実なのか、あるいは、それまでに50年を超えた印パ対立はインドの人たちにとっては慣れっこのことなのか、あるいはまた、核戦争の脅威を実感としてはほとんど理解していないゆえなのだろうか。おそらく、そのすべてであろう。それは、庶民のみならず、大学の同僚たちにも同様であった。

 この危機は、7月以降しだいに鎮静化したが、思えば長い、インドとパキスタンの対立の歴史である。ヒンドゥー教徒が多いインドとイスラム教徒が多いパキスタンが1947年、英植民地から分離独立して以来、48年、65年、71年の3次に亙る印パ戦争や、99年のカルギール紛争を戦い、ここに述べた2001~2年の紛争ののちも、小規模な衝突やテロ事件は跡を絶たず、16年にも、カシミールでインド軍駐屯地が攻撃され、インド軍がパキスタン側カシミールの武装勢力の拠点を空爆するなどの紛争が起きている。

 じつは、両国の政権にとって、適度な緊張や紛争は求心力維持に必要とのふしもある。インドの、とくに1996年以降の政権は、中断を挟みながらも、多数派ヒンドゥー教徒の優越志向におもねるポピュリズム政党であり、対するパキスタンの政権も、かつてアフガニスタンでのタリバーン育成にみられたように、イスラム過激派勢力とは切ってもきれない関係にある。

 だが、今年5月の紛争には、新たな危機が萌芽していることも注目せねばなるまい。それは、第3次印パ戦争以降の紛争は、カシミール地方に限定された小競り合いや挑発の応酬であったが、今回は両国が、4日間とはいえ、相手の領空にまで及んで、戦闘機やドローンを繰り出した「実戦」であったことだ。
 現在の世界情勢を鑑みると、この「火遊び」が火遊びを超えて、中印戦争や米中全面衝突にまで発展しかねない危うさをもつ。

(2025.7.20)
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