【コラム】槿と桜(133)

日本人のノーベル賞に対する韓国の反応

延 恩株                                   

 2025年度のノーベル生理学・医学賞に日本の坂口志文氏とアメリカの研究者二人との共同受賞が10月6日に発表され、ついで9日には北川進氏がノーベル化学賞を、オーストラリアとアメリカの研究者二人との共同受賞が発表されました。
 坂口氏への受賞理由は「免疫の抑制に関する発見」でした。免疫はウイルスや細菌など外敵を排除する役割ですが、自分の細胞と外敵をきちんと区別できなくなると、自分自身を攻撃する自己免疫疾患に陥ることが起きてしまいます。こうした異常な反応を抑える「制御性T細胞」を発見したことで、アレルギーや自己免疫疾患、がんなどの病気に対する新たな治療法の開発につながることが期待されています。
 また北川氏の受賞理由は「金属有機構造体(MOF)の開発」でした。多孔性金属錯体は金属イオンを中心に有機化合物が格子状に並んでいて、微細な穴を持ちジャングルジムのように組み上がって、砂漠の空気から水を採取したり二酸化炭素(CO2)などの気体を分離・貯蔵できるため、化学物質を持ち運びできるようになると期待されています。
 以上はメディアなどに発表された情報をまとめたものですが、まったくの門外漢の私でも人類に非常に有益な、感謝したくなるような研究成果であることがわかりますし、ノーベル賞受賞も当然だと思います。
 
 ところでこうした日本でのノーベル賞のダブル受賞に対する韓国の反応はどうだったのでしょうか。
 『朝鮮日報』2025年10月9日付社説では「韓国医療界に与える示唆」と題しておよそ次のような記事を掲載していましたが、もっぱら韓国の医学界の問題点指摘に終始していました。それだけ韓国では、医学部学生で卒業後、収益性が高い「皮眼成(皮膚科・眼科・形成外科)」医になる人が多いわけで、医事研究者を増やす施策の必要性を説いていました。しかし、医事科学者になろうとする若手は多くなく、その理由は臨床医と比較して研究職者の所得がかなり低く、将来の進路も不安定だからだとしていました。そして結論として、韓国では最高水準の人材が医学部に集中し、病院の医療サービスは世界最高レベルとなったが、新薬・ワクチン・研究開発など、より大きな付加価値を創出できる分野では、質が低下している。有能な医学者が足りないからで、医学部教育と医療制度改革の議論を呼びかけていました。
 韓国では長年にわたって医師不足が問題視されていて、歴代の大統領が大学医学部の定員増を図ろうとしても医学界がそれを拒否し続けるという、日本では考えられない状況が存在しています。その意味で『朝鮮日報』がこのような視点から社説を書いたことは理解できます。
 ただノーベル賞受賞にまで至った今回の日本人研究者を見ますと、単に制度上や医学部教育の改革をしただけではノーベル賞受賞には行き着かなかっただろうと思っています。 
 次のような韓国のネット上の声は医療界だけでない韓国という国の現状を突いているのではないでしょうか。おおよその内容を記しますと、
 ・韓国の基礎科学分野を見れば、研究持続できる環境などない。国が支援する研究は短期課題ばかり、企業支援も同様。大学も財政的に余裕がなく、長期的研究支援ができない。
 ・基礎科学への国家の長期計画がない。
 ・科学界への支援は研究支援金だけでは不十分で、科学、教育、産業を含めた中長期発展計画の連携が必要。
 ・韓国人は自分が損するかもしれないことには手を出さない。
 ・ノーベル賞受賞には数十年の努力と財力が必要だが、研究者にはその期間の研究に必要な財力はないし、支援する人や企業も韓国にはない。
 ・科学技術を軽視し、理系を潰す政治家・検察・裁判所・医者たちが跋扈している。
 ネット上のこれらの意見からは、ノーベル賞に至る道は努力と忍耐と持続的な研究費が必要であり、努力と忍耐は研究者本人だけでなくそれを支える人びとにも求められていることを指摘していることが窺えます。

 興味深いのは二人の日本人受賞者が述べた言葉にこれからの韓国人が学ぶべき研究姿勢が(それこそが韓国からノーベル受賞者が生まれる近道だと思うのですが)示されているように思います。
 坂口氏は「一つ一つ」と自分に言い聞かせてきたと述べていました。焦らず、じっくり、地道に努力を重ねることの大切さを言っているわけで、まさに〝ローマは一日にしてならず〟の研究姿勢を貫いてきたことがわかります。その結果「スポーツでもサイエンスでも、自分の興味を大切にすると、新しいものが見えてきて、やがてどんな分野でも面白いと思うようになる」とも述べていました。
 また北川氏は研究の動機は中国の思想家・荘子の「無用の用」という考え方だったということです。何も役に立たない、価値がないと見捨てられがちなものが有用になる可能性があることを説いたもので、何かとすぐに結果を求め、有益性追求を第一とする傾向が強くある韓国人には最も欠けている考え方かもしれません。
 さらに成功の秘訣は「興味を持って挑戦する姿勢」であり、自分を支えたのは「自分の感性を信じること、チャレンジすること、興味を持つことの融合」だったそうです。
 
 この二人に共通しているのは研究に面白さを感じていたことでしょう。だからこそ、世界の研究者たちから研究成果が認められず、というよりも信じてもらえず、「気体を分離、貯蔵できるなどあり得ない」、「免疫反応を抑える免疫細胞は存在しない」と批判されても研究を持続させていけたのだと思います。
 
 日本の二人のノーベル賞受賞に対する韓国の各新聞の報道では、ノーベル賞を韓国にもたらすためには、長期的な戦略のもとで若手研究者を育て、基礎研究への手厚い支援の必要性や制度上の変革を求める内容がほとんどでした。
 しかし坂口氏、北川氏の研究姿勢や二人の人間としての生き方が窺える受賞に際しての談話などを丁寧に紹介した記事はありませんでした。私はこの欄で何度か触れてきましたが、韓国の教育、なかでも小学校から一流大学、一流企業を目指し、他人よりも少しでも上に立つことを良しとする考え方を知らぬ間に植え付けてしまうような教育のあり方を捨てなければならないと考えています。
 そうでなければ、学習することの楽しさや、失敗して足踏みすることの大切さ、さらにはじっくり物事を考え、結論は急がないといった生き方は育たないように思います。今回の坂口、北川両氏のように「興味を持って挑戦する」精神は決して他者から押しつけられたのでは生まれません。
 学校での学習に楽しさを感じさせ、学校の授業が終わるや塾に直行する毎日がなくならなければ、韓国でのノーベル賞受賞者誕生は近づいてこないでしょう。

大妻女子大学教授

(2025.10.20)
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