【視点】
日本学術会議法案改定をめぐる政府の愚策を見つめよう
――社会の成長に寄与する学術研究に自由を
羽原 清雅
日本学術会議法案が閣議決定されて、この国会で論議される。学術会議には約1000の学会などから反対の声明などが寄せられ、その厳しい反発の声は政府案の問題点を指摘する。学術研究への政治の関与がどこまで許されるものか。慎重な論議と国民全体の関心が求められよう。日本の将来に関わる問題、と言っても大げさではない。
*菅義偉首相時代に問題化 この問題は2020年10月、当時の菅首相が6人の学術会議の会員候補者について理由を示すことなく、任命を拒否したことに端を発している。
6人とは、宇野重規(東大、政治学)、岡田正則(早大、行政法)、加藤陽子(東大、歴史学)、小沢隆一(慈恵医大、憲法学)、芦名定道(京大、キリスト教学)、松宮孝明(立命館大、刑法)。任命拒否の理由は示されていないが、推測されているのは、安保関連法、特定秘密保護法、共謀罪、沖縄基地問題などに反対の言動があったため、と言われる。
治安維持法の時代なら、当時の政府は公然と身柄拘束などの手を打っているだろうが、現行憲法の下ではそうもいかないので、政府として、首相として関与できる措置が学術会議への任命拒否だったのだろう。もちろん、現行憲法のもとでは、任命拒否の理由などは言えるものではあるまい。民主主義が事実上不十分な時代ではあるが、姑息ながら政府としての抵抗・反発の姿勢を示して、学術研究の世界に牽制球を投げたものだろう。憲法に反する一種の言論統制でもある。
それにしても、権力の行使としては、汚い手を使ったものであり、その延長線上での学術会議法の改正案と思われる。説明がつけられないから、「総合的、俯瞰的」などと意味不明の逃げ口上を使う。
単にそれだけではない。本来なら、学術研究は自由であり、権力などが介入すべきではなく、多様多彩な研究成果を生み出し、様々な視点から論議が行われて、国民の多くがその論議に耳を傾けて思考の領域を広げることが望ましい。そうした風潮に歯止めをかけるかの権力的対応が許されるわけがない。政府の措置で、研究者たちがおびえたり、シュリンクしたりすることはあるまいが、学者、研究者たちは一人ひとりが、このような政府の出方に、声を大にして厳しい目を向けなければなるまい。
法案の若干の利点を挙げれば、日ごろから活動費などの財政の苦しい学術会議に、例年の国の予算が10億円ほどから2憶円の増額があったことだろう。政府の疚しさからの、ささやかな償いなのか。
*法案提出の背景 学術会議の改組を検討したのは、政府側が選んだ大学関係者や学者ら12人の有識者懇談会(岸輝雄座長)。この最終報告に対して、前会長である梶田隆章(ノーベル物理学賞受賞、元東大宇宙線研究所長)はじめ歴代会長が2月の記者会見で、その問題性を明らかにしている。
筆者(羽原)はこの会見で、改定の概要を聞いた。2020年11月のこのメールマガジン「オルタ広場」に「菅首相の日本学術会議問題は妥当か――狭く短期の政治権力と広く長期の学術界の攻防」の表題の記事を掲載している。その内容にも触れながら、今度の政府案の問題点に触れていきたい。
学術会議会員の任命権は首相に与えられているが、中曽根康弘首相は1983年の国会答弁で「政府が行うのは形式的な任命に過ぎない」と発言、担当の丹羽兵助総務長官も「ただ形だけの推薦制であって、学界から推薦を頂いた者は拒否しない」と述べた。この長年の当然である方針が破られることになる。
安倍政権時代の2018年、内閣府の同会議事務局は内閣法制局との間で、「首相に推薦の通りに任命すべき義務があるとまでは言えない」との解釈の変更を示唆した。当時の山極寿一学術会議会長はこのことを伝えられたので、首相側と何度も会談を持とうとしたが、応じることはなかった。安倍首相に、何の狙いがあったのだろうか。あるいは、安倍政権の官房長官を務めた菅自身に秘めた狙いがあったのだろうか。
菅首相は任命拒否の当時、「多様性を念頭に判断した」「既得権益、悪しき前例主義を打破する」「学術会議には10億円の国費を投じている」など、任命拒否の理由にはなりえない発言をしている。カネを出す以上口も出すぞ、とでも言いたかったのか。また、菅は官房長官のころから「学術会議の(会員)選考方法に懸念を持っていた」と述べていることからすると、安倍首相とともに政権に物申すこともある学術会議に反発があったようにも思える。
だが、学術会議設立の1949年以来、首相の所轄ながら「政府から独立」する特別の機関として生まれ、政府・社会に対して科学の立場から重要問題を審議し、その実現に努めることになっている。政府に従属することなく、真理の探究、学問の自由の立場に立って意見を述べ、社会を動かすことが大きな使命でもあった。とくに、広範な変化をもたらす地球温暖化や方向の見えにくい原子力の活用、人口問題のありようなどの長期的で、政府だけでは打開できない課題には、学術的な研究、助言がどうしても必要になる。
*法案の問題点 もう一点、学術会議誕生の背景には、戦前の科学者たちが戦争に協力したことの戒めとして、「戦争目的に科学研究には従わない」(1950年)、「軍事目的の科学研究は行わない」(1967年)との方針を打ち出している。こうしたことから、2017年には、防衛装備庁の安全保障技術研究推進制度に強い懸念を示す声明を出している。
こうした点について、自民党内部から反発が出てきたことも事実だろう。民生技術と軍事研究の区分はつきにくく、研究費の乏しさにあえぐ大学や研究機関が政府のカネに魅せられ、軍事研究がらみの研究に深入りしかねない現実が突き付けられていることは忘れるわけにはいかない。とくに、政治の動きの中にこのような反発や制圧などの意図が込められているとすれば、将来的な警戒を忘れてはならない。
学術会議のこれまでの「仕事」を挙げておこう。
原子力基本法の理念である「民主・自主・公開」の3原則の提示、南極観測推進の国立極地研究所の設置、地震研究、宇宙開発などの取り組みを推進。また安倍政権時代にずさんさが問題化した公文書の管理について国立公文書館設立の必要を勧告し、国文学研究資料館設置の答申、東日本大震災のための復興税誕生にも関与した。海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化など海洋生態系への脅威などについてもG20サミット参加国のアカデミーとの共同声明も出している。このような国民総体のメリットへの寄与を忘れてはなるまい。
*問題点はなにか 日本学術会議が問題視している点を、「石破茂首相に対して『日本学術会議法案(仮称)』の撤回を求める声明」(2月18日付)からピックアップしてみよう。
この法案では、現在国の代表機関としての学術会議を、独立した特殊法人に変えることになる。
① 学術会議会員以外の委員からなる「選考助言委員会」が設置され、会員の選考方針や手続きなどについて外部の意見を受け入れる。 ② 「運営助言委員会」が設置され、活動方針や予算の策定などについて関与される 。 ③ 首相が任命する学術会議の「評価委員会」が設置されるほか、首相任命の「監事」が学術会議内に置かれ、学術会議の活動について確認する。
政府としては特殊法人とする以上、このような政府の関与は必要になる、とする。確かに文言からすると、学術会議自体の決定を変えさせる権限を握るものかどうかはわからないが、学術会議としては政府の意向に従わざるを得なくなる可能性を警戒する。
たしかに、従来は首相が会員の任命権を持つ程度だったが、新たに法律化されれば、政府の関与がかなり強まる可能性が出てくる。学術会議が法案の撤回を求める事情には、そのような政府の身構えが読み取れるからだ。
このほか、学術会議内には
① 法案の骨格をまとめた有識者懇談会の報告には、「なぜ法改正が必要か」が示されておらず、法改正の根拠がない ② 法案どおりに国会に提出されれば 、法案にある選考助言委員会、運営助言委員会、評価委員会、それに監事といった多数の外部(会員以外)による干渉組織が、役割分担もあいまいなまま具体化すれば、意見が錯綜し、学術会議が機能不全になる。 ③ 政府が選任する評価委員会、監事が干渉すれば、独立性が失われ、科学を重んじない国として、先進国の科学アカデミーとしての国際評価が損なわれる。 ④ 新法人の会員選考は「多様な関係者から推薦を求め、よりオープンで慎重かつ幅広い方法により行う」とされるが、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(学術会議法第2条)と高い位置づけをしながら、会員による新会員の選出を認めないのはなぜか。 ⑤ 有識者懇談会の最終報告では、そのタイトルを「世界最高のナショナルアカデミーを目指して」とうたいながら、ほかの先進国アカデミーと違い、政府の監督下に置くのはなぜか。 ⑥ これまでも学術会議の声明、提言は内閣府から各省庁に伝えられ、いくつもの政策に反映されていて、学術会議と内閣府との信頼感に基づく強いつながりを十分に検証しないまま「特殊法人化」することに合意できない・・・など多くの指摘がなされている。
学術会議は、これまでの学術会議法の前文に「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と連携して学術の進歩に寄与することを使命とし」とうたうことを、これまでの指針としてきている。この指針が、菅首相の任命拒否に続いて、さらに政府の介入が強まることに危機感が持たれる。これまでは、少なくとも
① 学術会議が学術的に国を代表する地位にあること ② 国の財政支出による安定的に財政基盤を維持すること ③ 活動面で政府から独立した存在であること ④ 会員をはじめ同会議の自主性、独立性を確保すること ⑤ 以上のような存立の基盤のもと、広く世界の科学者と国際的なアカデミーとして認知されること
――などの指針が担保されていたが、その危機に瀕しかかっているように受け止められている。
*重要な国際的地位 各国のアカデミーはどうなっているのか。米国の科学アカデミー(1863年設立)は2000人以上の会員を擁し、8割までが公的資金によっている。英国の王立協会(1660年設立)も1500人近い会員を持ち、慈善団体として100億円近い予算の7割近くを公的資金による。フランスの科学アカデミー(1666年設立)は独立した機関として活動、予算規模は7億円と少ないが、その6割は公的資金によっている。ドイツの科学アカデミー(1652年設立)は会員1500人を擁して、非営利組織の活動を続ける。いずれも、政治との関係を持たず、政府の介入を避けている。
日本の学術会議は第2次世界大戦後の発足ながら、それなりの社会的、国際的に評価を勝ち得ており、その点でも政府と深い関わりを持つような仕組みを避けたい気持ちが強い。科学者が政治に振り回されて戦争に加担した経験を反省して生まれた組織として、政治に距離を置こうとする姿勢は当然でもあるだろう。政治に距離を置き、科学者としての良心において物事を判断しよう、との姿勢はどうしても必要なのだ。
また、権力に巻きこまれないといっても、学術会議は先に述べたように、地球温暖化や南極観測といった国際的な課題などに取り組み、政府が後れを取ることのないよう提言などをする機能を発揮している。冷静な科学的な視点は、政治にとって重要な示唆であり、これを政治の短期的、利害的な恣意のままに動いてはならず、重要な機能なのだ。
*政治はこれでいいのか 安倍首相、菅首相の時代から、学術会議内からの政治批判は許しがたい、との思いから今度の立法化が図られた、と思われる。安倍時代の首相官邸による官僚人事の掌握強化策が徹底し、官僚群が冷静・公平な判断を下し難くなったこともあるだろう。だが、もとはといえば、政治権力の思考が極めて視野狭窄になり、結果的に日本の学術研究への将来像を描けなくなってきていることが大きな問題だろう。
近年の政府による大学運営への関与による混乱、学術研究費の削減や低迷、その多様な対応を狭める実利優先的な選別、基礎的研究や若手の研究者育成への軽視など、さらにその影響とも思われる学術論文の提出数の減少、海外留学を目指す学生の減少の傾向など、日本の学術関係が低迷する姿を見逃すわけにはいかない。
こうした政府の姿勢が、学術会議管理化の一環にもなっているのではないか。目先の国益・実利ばかりを優先すべきではあるまい。
明治新時代の日本の成功のひとつは、教育立国を目指して学校教育を徹底し、また優れた人材を数多く海外に派遣して欧米の先進的な学術文化を吸収したことにある。昨今の政府の姿勢は、こうした先進的な歴史を忘れ、教育、学術などの重要性を軽視し、将来の発展への希望を失念しているのではあるまいか。短期的、独断的な判断から、時の政治に迎合するような学術の展開を求めるかの法制化は思いとどまるべきだろう。
日本の叡智でもある科学者たちの「自由」と「自治」を認めて、極力財政的支援を高め、大きな視野で将来の展開を見守る判断力や見識が持てないものか。自然科学の世界では、時間をかけながらもひとつの客観的な結論にたどり着くことが多いが、見通しの立ちにくい分野も少なくなく、そうした学術的努力を外部から軽視、度外視すれば、時代を超えるような発見は生まれてこない。知的好奇心に枠をはめるような政治であってはならない。
とくに社会科学の分野では、さまざまで多様な見解があって、統一的なひとつの結論に至ることなどはなく、その他さ愛な論議の中に政府や権力への批判が出ることは当然であって、それを許容しない狭隘な姿勢があってはならない。
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この法案審議は国会で間もなく始められる。一見、学術研究は一般の生活には関係が薄いようにみえるが、じつは将来の日本がどのように計画され、具体化されていくのか、を決めることにもなる基礎部分でもある。学術会議が政府管理のままに進むとするなら、迎合的な方向が生まれかねず、その提言などが時の政治勢力の恣意的方向付けや、あるいは視野狭窄の中で進められれば、いつか禍根を残すことにもなりかねない。その点に気づくことのないままに社会が容認するとすれば、将来社会を誤った方向に向かわせ、歴史の歩みをゆがめることにもなろう。
ぜひ、しっかり論議に耳を傾けて、判断していきたい。与党、野党の枠ではなく、未来社会にとっていいことか、をよく見定めていきたい。
(3月10日現在/元朝日新聞政治部長)
(2025.3.20)
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