【視点】

日本社会の曲がり角になるか

――権力与党の膨張と少数野党の責務
羽原 清雅

 2022年7月10日の参院選は、自民党と、サポーター的な公明党のみならず、「ゆ」党的野党の日本維新の会、国民民主党、さらにはワン・イシュー型NHK党、参政党が加わり、保守・右寄りの勢力が膨張した。
 一方、立憲民主党、共産党などの対抗的野党は、先の衆院選に続いて後退した。
不安定、ないしは右傾の政治状況が強まる展望となった。

 そうした背景には・・・・
1>  ロシア・ウクライナ戦争、また中台関係をめぐる今後の緊張が、核共有論、他国反撃の容認、軍事力増強路線などの「国防」意識を高めた。併せて、安定した政権の継続に、当面の対応をゆだねて、波乱に巻き込まれまいとする敬遠傾向を強めた。
2>  政府などの政策批判が強まるはずの物価高騰傾向が、ロ・ウ戦争の波紋によるものとして「やむを得ない感」を強め、政府・与党の政策への不満を抑えた。論議さるべき日銀の円安許容政策の影響も、批判の対象から逃れた。
3>  原発不要とする野党的主張が、暑さによる電力不足によって、原発許容論の幅を広げ、批判を抑制した。
4>  突然の安倍晋三元首相のテロによる死が、安倍長期政治への功罪を問うよりも、素朴な追悼の心情を強めることになった。

このように、政局の安定を求め、変化を抱えまいとする環境が守られることで、そのような保守的思考が自民党を軸とする保守勢の議席確保につながったものだろう。政治状況の変革を恐れ、あるいは変革の方向性が見えず、国政全体の巣ごもり状態が選ばれたのかもしれない。

 このような保守的思考は、民意の表明であり、尊重されなければなるまい。
 ただそこには、将来的に大きな曲がり角にもなる、二つの課題に迫られている。この課題をしっかりと討議・検討し、禍根を将来に残さない見識が示されなければならない。

 ひとつは、自民・公明・維新・国民民主の4勢力による改憲機運の醸成である。改憲内容のすり合わせは容易ではないが、国会での「多数」を得たことで、内実よりもスケジュール的運営に走る懸念が出てくるのではないか。ほどほどの協議が適当な妥協を生むことにならないか。
 実際には、当面取り組むべき政治課題は多く、また各種の調査を見ても改憲着手を求める世論は低調なので、容易ではあるまいが、注目される課題である。

 もう1点は、12月の安全保障をめぐる3文書決定の問題。ロ・ウ戦争や中台緊張のもとで、NATOのGDP2%目標に同調する軍事費増大が具体化されよう。予算確保の方針が進み、その財源の扱い、軍事的強化の内容などは不明瞭のままに進められないか。日米同盟の美名のもと、その軍事力増強は周辺諸国の警戒、対抗措置を招き、さらなる緊張を招かないか。
 そのような懸念を抱かせたまま、その方向に路線が敷かれることになれば、日本社会は大きな曲がり角を曲がることにもなるだろう。

 政権党に対抗する野党勢力の弱まりは、政治の流れを長期的に同一の権力にゆだねることになり、長期的政権の政策の欠陥、腐敗、堕落、議会制民主主義の偏向と退廃をも継続させることにもなる。そのような政治の現場での問題ばかりではない。
 本来、民主主義を踏まえる議会は、民意を適正に反映すべきであり、そのための一人1票が対等に政治に生かされるべきだ。だが、1対3といったアンバランスを許容し、また選挙制度の不平等性も政治のありように大きな影を投げかけている。
このような構造的な制度の矛盾も、政治の歪みを拡大している。選挙制度の反省点を具体化すべき時期に、国の基本的な方向を検討することになったことは残念だが、国会は十二分に配慮して取り組むべきである。

 ここでは、そのような課題には触れない。ただ、野党という存在が弱まるとき、政治にもたらすデメリットについて考えておきたい。
 野党自体の成長発展がなければ、現状の政治の改革は望めないし、またチェック機能さえ衰えていくばかりである。野党が現保守政権にとって代わることは当面期待できず、それでも野党としての大きな改革なしには日本の針路の選択肢が示されることも、政治のありようをチェックする力も出てこない。
 優れた「野党」の存在は、政治のありようにとって重要であり、その当事者たちの意識の変革と才覚の拡充を求めたい。

<引きずられる野党のもろさ>
 念のため、参院選による各党の議席を見ておきたい。改選数ではなく、参院各党の議席数は、
     改選前   改選後         改選前    改選後
 自民   111 →  119  <8増>   立憲  45  →  39  <6減> 
 公明   28 →   27  <1減>    共産  13  →  11  <2減>      
 維新   15 →   21  <6増>    社民   1   →   1  < 0 >
 国民   12 →   10  <2減>   れいわ  2   →   5  <3増>
 N党    1 →   2  <1増>      (無所属12を除く)

 与野党とせず、改憲4党と、非改憲4党とすると、前者は76%、後者は24%で、非改憲派は4分の1にとどまる。
 また、2大政党時代は終わり、多様な政党の群立時代に入っている。その可否は別として、社会全体が意見、関心、趣味など、多様化した現実を示していることは事実だ。また共産党を除き、近年ますますイデオロギー的政党は影を潜めている。
 かつて社会、社民党の有力だった時代には、自民党政治に対して、具体性を欠きながらも、社会主義、社会民主主義をベースとした発想が示され、社会の姿をその「幻想」に結びつけ、将来社会のロマン、長期展望を抱かせることで、集票を可能にしてきた。100年を経た共産党のみが、今もそのような姿勢を保つのみだ。いずれにせよ、各政党とも、厳しい現実に直面し、大きな変革を求められている。
 
<野党の「責務」とは何か>
 野党本来の「責務」は、権力を握り、政策を実行する政権与党に対して、民意に沿い、より望ましい政策、針路を示して、既成の政権にとって代わることにある。
 そのためには、日本の進むべき針路を大きく示して、国民の理解と期待を育てるとともに、現行政権に優る具体性ある施策を示さなければならない。5年後、10年後、20年後の経済の歩み、社会構造、生活環境などについて、努力目標としてでも語らなければならない。立憲は中長期の目標として「公平な税制と再分配で格差と貧困の少ない社会」を示したが、作文的で、実感を誘うリアル感がない。岸田首相の中身不明瞭の「新しい資本主義」も、同じように思われる。池田時代の所得倍増計画のようにはいかないまでも、期待感を産み出す工夫が乏しい。
 
 また野党は、現行政権の問題点、弱点などを指摘し、現実を踏まえた方策を提起していかなければならない。つまり、野党としてのもう一つの「責務」は、現状の政治に対する的確な指摘と批判が必要とされる。
 国会論戦で争点を鮮明にし、野党としての姿勢を示して、現状の政治の誤謬を正す機能は極めて重要だ。「政策提案型」の姿勢も必要だが、やはり「批判や攻撃による責任追及」の機能を抑制すれば、現状の非を改め、正道に戻す機運は出てこない。
 安倍政治下での国会答弁の虚偽が100回以上に及ぶ、といった事態が許容されてきたのも、ある点で非力野党の責任だっただろう。そうした追及能力は、政党としての調査の力量、言論戦の才覚などに関わることで、ひいては野党のアピールになり、政権のいかがわしさを国民の前に晒し、反省を促すことにもなる。
 「政策提案」と「批判攻撃」はいずれかではなく、野党である限り、双方ともに重要なプロパガンダの武器として使いこなす必要がある。

 また、枝野時代の立憲は、しきりに「政権奪取」を叫んだが、有権者が<立憲という政党の政権能力を認め、期待していた>と認識していたのだとすれば、大きな誤りだった。泉立憲、玉木国民なども、政権奪取を言いつつ、現行政権にすり寄る姿勢を強めるが、世論がそのような甘い状況にないことを読めていないことが、非力野党への期待感を削いでいる。有権者をなめてかかる基本的な誤りである。
 野党の指導者は、 自党の力量を知り、実力をつける内的努力にエネルギーを投じて、政党としての基盤から培養する努力が必要だろう。口先だけの言動で有権者が支持に回ってくる、とでも考えているとするならば、リーダーとしての資格はない。

 さらに、政権を獲得するには政策や長期展望の多面的な研究が必要になる。それは、若干の議員らに任せる程度で構築できるほど甘くはない。党内外から専門的な人士を集め、多彩なブレーン機能を抱え、継続的な論議を交わして練り上げることが必要だ。
 だが、実際の政党の政策調査部門に配置された要員は極めて少なく、当面の作業に追われ、長期戦略を打ち出す力などは備えていない。財政難の党運営では、望みえないのだろう。
 ただ、政党への交付金は国民一人250円分が交付されている。この多くは選挙資金や各議
員の活動にまわされているが、この交付金は本来、政策構築などのためのブレーン確保や調査研究集団の活動に費やされるべきだろう。「目先」優先の取り組みが現政党の実態だが、将来の政権構想の構築に向けて使わずして、政権が転がり込むことなどはあり得ない。
 こうした決断ができる政党のリーダーが枯渇していることは、党首選挙に臨む候補者たちの魅力の欠如、長期展望の乏しさなどに示されている。政治家は本来、政治リーダーたる素養を内包しつつ、経験を積んで時の要請に臨むものだが、ドングリ型がそろい踏みの現状にとどまることなく、人材の育成を可能にする努力の基盤を作らなければなるまい。

<社会・社民党壊滅の事実になにを学ぶか>
 今さら社会党や社民党でもあるまい。その通りである。しかし、この党の衰退の歴史には学ぶべきものがある。立憲・国民のせめぎ合いは社会・民社の抗争に相当し、また立憲はその大胆な「脱皮」に失敗すれば、社会党の末路と同様のものを感じさせさえする。
 自民党が、民主党政権を許し、長期政権の座から滑り落ちたとき、この党が身につけたのは<党を割れば、権力の座を失う>という危機意識だった。だから、非自民や社会党政権から権力を取り戻した橋本龍太郎政権以降は、派閥抗争や選挙時の確執などを抑制して、党内基盤の温存を重視し、権力抗争を招く事態だけは避ける、という作法を身につけた。

 2大政党時代の社会党は、そうした党内抗争の抑制能力を欠き、党の財政確立、組織の基盤整備を次第に衰えさせ、さらにリーダーたりうる政治家の育成、あるいは政策部門の人材確保などの配慮を弱めて、自滅の方向をたどっていった。組織の足場固めや心を引く政策などの改革よりも、選挙時の「風待ち」「敵失待ち」体質を強めていった。
 この事実は、一野党の存亡にとどまらなかった。非力野党の内部的失調は結果的に、日本の政治のありようにチェック機能を欠くなど、多大なマイナスを及ぼした。
 現代政治学のメスが、まだ入り切っていないジャンルでさえある。その意味で、脇道にはそれるが、触れておきたい。

 社会党の成田知巳委員長・石橋政嗣書記長の時代は、1970-77年までの7年間に及んだ。書記長時代の成田は64年、党体質の欠陥として①労組機関への依存、②日常活動の不足、③議員党体質、をあげて、この改革を訴えた。
 委員長になった石橋は85年の結党40年を機に、4点の党改革を掲げた。①派閥抗争の解消と、党内論争における寛容と相互尊重の体質、一致点を見い出す作業の習熟、②イデオロギーで政策を決めず、生活現場からの政策形成能力、③党の組織力量の不足、日常活動の不足の改善、④青年、女性の影響力強化、である。
 表現は異なるように見えるが、両者のアピールは党の抱える問題としては多分に共通している。また、この2人が力を入れた点でも共通していた。言い換えれば、その20年ものあいだ、党改革は進まず、同じ課題、同じ悩みを抱え続けたことになる。筆者(羽原)はこのふたりの時代の党改革の取り組みを取材するなかで、野党のありようを見続けてきた。
 
 理念や展望の明示、派閥抗争の鎮静化などは言うまでもないが、政党の生命線である地方組織の活動について触れておこう。
 若い活動家を育成して、政治家向きはいずれ地方議員や国会議員に、サポート型は地方活動家として地元や、書記として党に定着し、あるいは政策畑で力を蓄える。機関紙の刊行を拡充することで、その収益を党員の生活保障と活動資金に充てる。各地で活動力を増すことで、党の存在感を高め、地域での交流を深め、人々の声を汲み上げようとした。選挙時ばかりにカオを見せる現役議員に代わって、日常活動に取り組む、との狙いがあった。
 地域によって、そうした新しい動きはある程度軌道に乗り始めたものの、若い活動家たちは実力をつける以前に先を急いで、現役議員やキャリア党員らのありようと衝突、あるいは党組織内や党大会で数の力で先輩たちを押しのけるといった摩擦が生じがちとなる。いわゆる社会主義協会派と反協会派との激しい抗争である。SNS時代に反するようだが、自民、公明、共産各党の基本は、直接に有権者に出会うことが魅力につながり、長い信頼関係を築いていることからすれば、この活動を軽んじて政党基盤の成長はあるまい。政党定着のイロハでもある。

 成田・石橋体制が幕を閉じる直前の、76、77年のころである。このころの挑戦は、両派の抗争後に途絶えがちになり、右寄りを中心に民主党、のちの立憲などに流れた。左派系の一部は社民党維持に努め、あるいは新社会党などに残留したが、消滅の日も近づいている。戦前の無産党、労組組織が常に分裂し、看板を付け替え、弾圧に消えていったことが思い起こされよう。
 石橋は委員長として再起を期して、社会民主主義の「新宣言」を打ち出すが、時すでに遅く、その後総評が連合にとって代わり、党内の分裂も激化して、一時的には村山富市政権を生んだものの、消滅の道を突き進むという歴史だった。

 長々と歴史を振り返ったのは、立憲や国民といった野党勢力が、地域に強い組織を育てきれず、議員らの日常的な「顔」が見られず、資金の道もなく、その政党活動が有権者の中に入って行けず、それでも「政権」ばかりを言う虚しさが、相も変わらず続いているためだ。
 野党がその「責務」を果たさず、理屈上の対立を認め、許容度を狭めて他党共闘もできず、みずからの具体的な政策も不十分のまま、現行政権の路線ににじり寄る実態が続く。
 そうした長期的に政党の足場を作り、ブレーン集団を擁しての長期や当面の取り組みや政策を示し、有権者の思いを先取りするほどの構想を示さない限り、長期化する自民党政治を超える社会像は出てこない。

 ちなみに、自民党の参院選での得票率は、選挙区38.74%、比例区34.43%にとどまり、3年前より後退している。また政治離れを示す投票率は、僅かに50%を超す程度で、有権者の半分は政治に参加していない。若返えるほどに有権者の政治離れが進む。政治家は深刻度を増すこうした傾向を自覚し、党派を超えて対応策を考えるべきなのだ。重い数字である。

<労働者を捨てて「連合」はどこへ行く?>
 成田が、政党としての社会党が労働組合に依存せず自立を呼びかけて50年余。
 しかし、立憲、国民の両党とも、労組への依存を変えていない。ここでは、「連合」の姿勢について疑問を述べておきたい。
 連合を率いる芳野友子会長は選挙結果について「予想以上に厳しかった」と反省する。大手労組の候補者立憲5人、国民4人を当選させたものの、両党の亀裂状態をまとめきれず、選挙区では1人区を中心に大敗、両党合わせて改選前より8議席を減らした。
 選挙前に、日頃「反共」を掲げる芳野は麻生副総裁に会い、自民党の会合に出席するなど、自民接近の風評をつくり、接近ぶりを印象付けた。自民党は当然、野党の分断を誘う一方で、連合取り込みのイメージを活用した。これといった理由も示すことなく、自立性を欠いて、対立すべき自民に選挙直前にすり寄ったのだ。この事態は、リーダーとしての政治センスの欠如を鮮明にした。
 しかも、労働環境改善の使命を負う連合は近年、組織率を低め続けているうえ、非正規労働者、中小企業労働者に対する支援活動も不十分のまま。労働者の実態に理解が乏しい。しかも、恵まれた上部クラスの労働層支援に片寄り、芳野の言動には連合幹部からも強い批判の声が上がるほどだ。

 労組団体は、勤労層を守り、代弁すべき立場にある。労働者を捨てて、労使の「使」側に就くことは「労」への裏切りにもなりかねない。労使関係は、常に緊張のもとでの協議にあり、最初からの癒着的関係は許されない。労働運動がゆがむとき、社会が揺らいできた歴史を忘れてはならない。
 このような状況で、政党側も連合の思惑にのって動くこと自体、誤解を招く。労組と政党は上下関係になく、相互介入をせず、たがいに一定の距離を置きつつ、その主体性を保持した協同の関係が望ましい。
 政党は「連合」の資金、支援と労組候補者の提供を狙い、依存する。連合は法制度の改定などで政党の利用を図り、共産系労組に反目する。このような相互の馴れ合い、もたれ合いが政党の自立を妨げ、自前の態勢作りに努めず、さらには連合の顔色を窺うようになる。このままでいいのか。
 
<安倍元首相の死とその解明>
 安倍晋三元首相に対する殺戮は、政治の安定を犯し、国民生活を脅かしかねない行為であり、戦前の暗殺行為の及ぼした社会的影響を想起せざるを得ない。再発の傾向だけは押さえていかなければならない。
 そうした前提のもとで、警備の不備が問題視されているが、これはしばらく捜査の行方を見守るしかない。
 通常のテロの場合、その背景には為政者の政治姿勢や政策決定への不満、局面変更の火種とする狙い、あるいは政治的意図を孕む政治団体や軍部による挑発などがあった。
 今度の場合は、今のところそうした事情は見えず、個人的な事情による怨念のようでもある。安倍氏とすれば政治家として、政治的目的でもない、単なる個人的事情による殺害は許すに許せず、悔しさの持って行き場もない事態であるに違いない。

 旧統一教会、勝共連合などの一連の組織が、疑惑の消えない存在だったことは広く、長く知られていた。安倍氏はそのような団体の会合に、なぜビデオ・メッセージを送ったのか。こうした団体に、一国の首相がお祝いを述べるなどは異例で、警察を含めた組織を擁する立場にあれば当然、距離を置いているはずではなかったか。依頼した人物はだれか。政治家は、多くの人たちと会い、交流を持つものだが、怪しげなものは除外されよう。この組織による多数の被害者の存在は周知の事実のはずで、なぜ長きにわたる交流が続いていたのか。今後の解明を待つほかはない。

 「国葬」となれば、このような疑問をきちんと明らかにした方がいい。長期政権、各種の新規政策、多国歴訪、対米接近などが評価される一方で、サクラ・モリ・カケ・統計偽造・国会での100回以上の虚偽答弁・北方領土2島返還方針・旧統一教会関係などの疑惑や失政、政治姿勢への批判も少なくない。岸田首相とすれば、政治的重石であった安倍氏の消滅は願ってもないことだろうが、ここは世論も見極めておかなければなるまい。国民は権力に従う、との発想は間違いで、より広い受け止め方が必要である。 安倍氏の名誉のためでもある。

<自民党の今後>
 参院選に勝った自民党の岸田政権は、衆院解散が前倒しされることがなければ「黄金の3年」を迎えるはずだった。だが、安倍氏亡くなった今、状況は大変わりした。
 基本的には、岸田首相が「聞くだけ」「見出しだけ」と言われてきた政治の取り組みを、参院選勝利後にどのような姿勢で臨むか、が注目されていた。事実、近年の首相としては、国民の関心事や悩み、要望を聞く風情を見せるのだが、その「回答」が示されない。
 岸田氏に中身があるのか、といった見えない政治への批判をかわせるのか、安倍氏の圧力をどこまで跳ね返そうとするのか・・・といった対応が待たれていた。空気に流されるな、と言いたい。
 まずは、この動向を見届ける必要がある。8月の内閣・党人事がひとつのカギだろう。さらには、冒頭に触れた12月の安保関係3文書の方向付け、改憲論議の裁きぶり、が注目される。

 つぎに、安倍氏不在の自民党内の動きである。
 まず、最大派閥の安倍派がどうなるか。安倍氏の存在が、活気づく党内右派の跳ね返りを抑えていたといわれる派内だが、この派閥をまとめていくのはだれか。まとめきれる人物は、将来の総裁候補になりうる。力量は別として、なりたい人物としては下村博文(68)、西村康捻(59)、萩生田光一(58)、参院の世耕弘成(59)らの名が挙がる。集団指導制を敷くなかで、見えにくい内部抗争が展開されよう。右派色の強い集団であり、突出するグループもあって、自民党の今後にどのような波紋を投じるかもひとつのカギになろう。
 他派閥でも、麻生派の河野太郎、旧田中派の茂木派の茂木敏充、岸田派の林芳正らがいる。また安倍氏をバックとした高市早苗、稲田朋美らの影は薄くなろう。
 また、安倍氏と親しい麻生太郎副総裁の引退も取り沙汰され、そうなれば党内の派閥再編の事態も想定されよう。安倍氏のそれなりのタガがはずれれば、混乱や部分的突出など従来にない波乱も想定される。
 岸田総裁・首相の党内操縦力も問われ、総裁の座を狙う他派からの動きを絡ませながら、意外な展開が始まってもおかしくはない。その意味からすると、安倍氏の党内統治力はかなりの力が働いていたことがわかる。「黄金の3年」と言われた政治環境は、「抗争波乱の3年」になる可能性も高いだろう。

 そうした状況だからこそ、野党各党は時間をかけた根本的な党改革と政権対応策を講じなければなるまい。そうした意識があるのか。人材の発掘、育成は可能なのか。盛衰のかかる、政党としての基本を問われるところだ。

                          <元朝日新聞政治部長>

(2022.7.20)
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