【コラム】八十路の影法師

春寒料峭

竹本 泰則

 NHKテレビの朝のニュース(「おはよう日本」)は、ほぼ毎日見ている。
 二月のある日、天気情報を伝える時間帯でのこと。屋外からの中継に気象予報士の近藤奈央さんが「春寒料峭」と書かれたボードを持って登場し、スタジオの中山果奈アナウンサーにどう読むかを尋ねた。中山さんは「しゅんかん、りょう……、しょう……ですかね」と応える。近藤さんは「さすが、中山さん」と前置きをしたあと、語の意味は? ときく。中山さんは笑って降参する…という場面があった。
 画面に釣られてこちらも一緒に考えてみたが、読みも意味も中山アナウンサーに同じ。
 春寒はほぼ反射的に「シュンカン」とひらめく。「春の寒さ」、「春、寒し」……そんな意味合いの熟語だろう。一方、料峭は初めて見る言葉で、ひらめくものはない。
 「料」の読みはリョウしか浮かんでこない。「峭」は字の右半分(旁;つくり)を手掛かりにすると、肖像のショウであり、消化や硝酸などが連想されて、ショウでは……と思いつく。(「峭」と後続の熟語にある漢字とは旁の形が違うが、「肖」、「消」、「硝」は常用漢字であることから、その印刷文字のデザインによるため)。
 しかし、熟語の意味は見当がつかなかった。

 近藤予報士の説明によって意味がわかった後も、初めて目にしたこの成句の素性に興味が惹かれた。
 まずは「料峭」をはっきりさせることが肝要と辞書を繰ると、熟語として収録されている。読みが「リョウショウ」、意味は春の風が肌寒いさまをいうとある。唐や宋の時代の漢詩に見られる語らしい。
 「春寒料峭」とは、春にはなったがなお寒く、風は肌につめたい……そのような意と了解できた。もちろん、近藤予報士の説明もそのような内容だった。
 早い話、唱歌「早春賦」の歌い出し「春は名のみの 風の寒さや」の漢語版に思える。もちろん漢語の方が先ではあるが。
 これで幕を引いてもいいのだが、「料峭」の二文字がどうしてそのような意味になるのか、なんともひっかかる。

 まず「料」、この字が入る言葉は「料理」、「料金」、「原料」、「資料」……と色々浮かんでくるが、「春寒」に結び付くようなとっかかりがない。
 辞書(『漢辞海』三省堂)は、この漢字の部首は「こめへん」ではなく、斗(「と」、あるいは、「とます」)としている。斗は「ひしゃく」の象形として、「汲む」とか「はかる」(数量はかる)などの意味があるとも解説している。この部首の漢字では斜面の「斜」や斡旋の「斡」といった字が出てくるが、そこにあるいくつかの熟語を眺めても「汲む」とか「はかる」といった意味合いを感じにくい。「料」という漢字自体、もともと字義がぼやっとしてわかりにくいように感じられる。

 一方の「峭」。八十年以上も生きてはいるが、この字には一度もお目にかかったことがない。常用漢字でもない。
 辞書によれば、山が高く険しいさまをいうのが原義で、これが人の気性、性質などの形容に拡がり、「はげしい」、「凛としたさま」などといった意味合いにも使われる字だそうだ。
 「峭」が風の冷たさ、痛さの意味にまで発展することに不自然さを感じない。しかし、「料」はなんだ? 

 別の辞書を開いてみた。
 『新漢語林』(三省堂)では「料峭」の意味の説明文に継いで、「料はなでふれる、峭はきびしい。」とかっこ書きの注をつけてくれている。
 「料」に「撫でる」というような意味があったとは……! 
 あらためてよく見てみると、「料」の見出しに並ぶいくつかの字義の末の方に「なでる」があるではないか。そこには、今から二千二~三百年くらい昔の中国の思想家・荘子の書に見える句が使用例として引用されている。「料虎頭」を「トラの頭をなでさする」と読むらしい。
 若い近藤予報士が、漢和辞典でも注書きが要るほどに特殊な言葉を持ち出してきたということにあらためて驚く。

 「峭」は「生きている漢字」とはいえないのではないか……、そんな気がした。そこで、この字が含まれる熟語を調べてみた。
 料峭のほかに、「奇峭」・「峻峭(シュンショウ)」、「峭峻」「峭絶」、「峭寒」「峭刻」などがあるとは分かったが、いずれもなじみはない。『明鏡国語辞典』、『新明解国語辞典』にもこれらは収録されていない。だが『広辞苑』にはみな収められているのだ。さらに歳時記のたぐいを流し読みすると、早春の候の寒さをいう季語として料峭を採用している。
 ひょっとすると「峭」は口語にあまり使われなかったにしても、文語(書き言葉)としては近代までは生きていたのではないか、そう気がついて探してみると、いくつかの用例を見つけることができた。

 夏目漱石はみずからの往時を語った談話(『昔の僕』)の中で正岡子規のことを「孤峭(こしょう)なおもしろい男だった」と言っている。また森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』では、東京英学校に入った「僕」の寄宿舎生活で最初の同室者であった鰐口という人について評する言葉にもある。「彼の cynic な言語挙動は始終僕に不愉快を感ぜしめるが、とにかく彼も一種の奇峭(きしょう)な性格である」と。そのほか、有島武郎『星座』には「稜峭」、佐藤春夫の『芥川龍之介を憶ふ』に鴎外と同じ「奇峭」、中島敦(『山月記』)に峭刻……といった具合。さらに尾崎紅葉の『金色夜叉』では「峭然(ぴん)と外眥(めじり)の昂(あが)った」とルビが付す用例があり、泉鏡花も「峭く」と使って「けわしく」と読ませている。

 ずいぶんと遠回りした挙句、ぼんやりと素性らしきものが見えてきた。当たっているかどうかわからないが……。
 かつて、「料」はもちろん、「峭」もそこそこ使われていた漢字であったようだし、「料峭」は季語としても使われる。これらを考え合わせると「春寒料峭」は気象に関係する世界などでは今でも「生きた言葉」である可能性もある。そうだとすれば、若き近藤予報士が持ち出すのも不釣り合いではない……と、そんな気がした。

(2026.4.20)
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