【投稿】

有閑随感録(39)

矢口 英佑

 神田神保町の三省堂本店ビルの壁面に「いったんしおりを挟みます」という大きな広告がかかっているのを最初に眼にしたときは、「うん?」と思ったが、すぐに三省堂ビルを建て替えるという話が思い出され、「うまい表現をするものだ」と感心したのはついこの前だったような気がしていた。
 そして、2022年5月7日の『朝日新聞』夕刊の一面に「本の街に141年 いったんさよなら」という記事が出て、「ついにその時が来たか」と、神田神保町を代表する書店がいよいよ消える寂しさを覚えた。

 私がこの街をほぼ毎日のように歩くようになって、まる4年が過ぎようとしている。三省堂の前もよく通っているが、表通りではなく横道のときが多く、それだけ三省堂ビルもかなり疲れてきていることには気がついていた。それにしても三省堂は141年の歴史があったとは知らなかった。朝日新聞の件の記事によれば、建て替え後に三省堂がそっくりそのまま戻ってくる可能性は低いらしい。

 本が売れないのは今に始まったことではないが、学生らしい姿が、コロナの襲来という理由だけでなく神保町界隈から確実に少なくなっているのは間違いない。欧米の書籍を専門に扱っていたある書店の1階も、幼児・子ども向けの本が置かれて様変わりしてしまった。そしてお茶が飲めて、小さい子どもも一緒に読めるスペースもあり、親子連れの姿もよく見かける。学生がダメなら小さい子どもへというわけなのだろうか。

 本が売れない書店の苦肉の策か、起死回生の奇策か、判断つかないが、1階の書籍の並んだスペースの奥に足を踏み入れる(外からは見えにくい)と、書棚はなく、もちろん書籍らしきものは置かれていない。そこはビールなども飲める、大人の隠れ家的なスペース。さらに驚かされたのは、ちょっと気がつかないのだが、さらに奥には間仕切りされた横の部屋がある。そこは確実にバーと言っていい一室。表の入り口が閉店時間で閉まってもその部屋から外に通じる裏からの出入り口があるのだ。夜、忍び込むようにこの秘密めいたドアから店内に入れば、知る人ぞ知る客たち(たいていは出版関係の人たち)がアルコールを楽しんでいる。

 「隠れ家」とか「秘密の部屋」などと言ったのは、コロナ感染状況が危機的で、飲食店が厳しく規制され、20時閉店でアルコールの提供は認めない期間が長く続いていたときは、ここも確かに閉店していた。表の入口はシャッターが下ろされ裏の路地もひっそりと暗さの中に沈んでいた。そこへ時たま鉄の扉を静かにノックし、そろりと入り込む(忍び込むがふさわしい)人間がいても、帰宅したところと思われるにちがいない。
 一日の仕事を終えて、ちょっと一杯がかなわなかった勤め人にとって、当時、この〝政策あれば対策あり〟は大いに歓迎されていたのは言うまでもない。だが、そう宣伝するわけにもいかず、おのずと「俺だけの隠れ家」となり、あまり教えられない「秘密の部屋」となっていたのだ。

 このような神保町界隈だが、コロナウイルスとの生活をして3年目となり、大学も感染対策を取りながら、今年の4月の新学期からは対面授業を増やし始めている。いくつもの大学が集まる神保町にも学生の姿が目立つようになった。なんとなく活気が戻ってきているように感じる。
 英語関係の教科書制作・販売を専門とする私の知り合いの出版社社長の顔も多少、明るさを取り戻してきている。多くの大学が対面授業を再開し、教科書が売れ始めたからである。

 また、ある出版社から教科書を出している私のことで言えば、この2年間は増刷の連絡がなかった。それどころか私の教科書をオンライン授業で使うことの許諾願いが出版社から届いていたものだった。つまり「紙媒体の教科書は使いませんが、ネット上で公開して使う先生がいます。お許しいただけますか」というわけである。
 私の教科書を使うけれど、印税は無しという意味である。それが今年は4月に向けて嬉しいことに増刷の連絡が出版社から入ってきた。どうやら書き手としての私にも対面授業に転換する大学が増えたご利益がありそうである。

 本の街が本の街として生き続ける条件の一つと思われる学生たちが戻りつつある神田神保町。次は学生たち、若者たちに読書の楽しさ、大切さをいかに伝え、いかに本に回帰させるのか、その術策を地道に、辛抱強く考えるときに来ている。
 しかも現在、他国を侵略し、領土拡張を正当化したり、覇権主義を増幅させる国々が人類を脅かし、再び20世紀半ばまでの戦争の時代に逆戻りするかの様相である。
 出版社もうかうかしていられないはずである。ピンチをチャンスに!

 (元大学教員)

(2022.5.20)
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