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有閑随感録(50)

矢口 英佑

 コロナウイルスが猛威を振るっていた頃、飲食店が営業を自粛したり、営業時間を短縮したりしていても、当然と受け止めていた。でも、コロナウイルス感染状況もだいぶ落ち着いてきて、連休明けからは季節性のインフルエンザなどと同じ「5類」に移行することになっている。患者の外出制限はなくなり、医療費は原則自己負担となるなどこれまでとはこちらの対応も大きく異なってくる。

 街の飲食店なども自粛などはすっかり過去のこととなり、どこも客で賑やかさを取りもどしてきていて、小料理店などに3,4人で予約なしに入ろうとすると断られることも珍しくなくなってきている。ただし、コロナの猛威にさらされ、客足が遠のいて営業不振によって持ちこたえられず撤退し、閉店したままの店も珍しくない。ところが、決して客足が遠のいてしまったままではなく、勢いを取り戻してきていると見ていた飲食店の中に最近、「都合によりしばらくの間、休業します」「都合により当分の間、昼食の提供をお休みします」「当面、夜の営業時間を短縮します」といった張り紙を出している飲食店がちらほら眼につくようになった。
 まるでコロナの猛威が再来してきたかと思わせる事態で、いったい何が起きているというのだろうか。

 これらの店に共通しているのは、店の経営者一人だけ、あるいは夫婦での営業といった小ぢんまりとした店ではないこと。大手飲食企業の傘下に入っておらず、独立独歩の営業をしていること。経験を積んだ料理人(日本料理では板前)が経営者とは別に複数いること。非正規従業員をそれなりに雇用していること等々がある。
 理由は単純だった。「人手不足」である。働き手がいないと聞けば、ここにも
「少子高齢化社会」の影が及んでいると思わずにいられないが、働き手がいないから店の営業ができないというのは経営者からすれば腹立たしいに違いない。

 確かに客が満足する料理が作れる「腕を持った」料理人になるまでには、それなりの学習期間が必要であり、「板前修行十年」などと言われ、雑用全般から始まり、魚や肉の下ごしらえへというように下積みからコツコツ腕を磨いていかなければならない。しかし、今やそうした「腕を持った」料理人は確実に減ってきている。しかも、コロナの3年間で閉店に追い込まれ、年配の料理職人が引退をしていった店も少なくない。この間に同じ店で働いていた未熟な者が腕を持った先輩から学習する機会が奪われてもいっただろうし、その未熟な料理人も職場を去ってしまうということも起きていた。
 「そして誰もいなくなった」状況からの店の再開となれば、コロナ以前と同レベルの料理人を集めるのは、そう簡単ではないだろう。無論、以前の料理人も戻ってくるのだろうが。

 一方、調理を教える料理学校にもコロナの影は及んでいた。食べ物を扱うだけに慎重にならざるを得ず、実習教育はできず、以前のような教育環境が奪われてしまっていた。当然、この間に学びたい者は学べず、飲食店の厨房で働ける予備軍養成は断たれ、現場で腕を振るえる人間が減少していたのである。

 このような状況は留学生に日本語を教える日本語学校も同様であり、この3年間で閉校に追い込まれた日本語学校は少なくない。もっとも、生徒である外国人が入国できなくてもオンラインによる授業で対応して、経営を続けてきた日本語学校も当然あった。ただし、教師にはオンライン授業に対応できるICT等への知識が求められることになった。コロナ禍によって、日本語教師に求められる授業の形態が変化していたのである。
 留学生が激減して一時休職を迫られたり、あるいはオンライン授業に対応できなかったりした教員は職場を去らざるを得なくなっていた。特に年配の教員は教授法などには優れている人が多いにも関わらず、第一線を退いていった人が少なくなかったのである。

 現在の日本を見ると、コロナ禍の前と後で目に見えない分断、断裂が生じていることがわかる。職場での高齢者が去ると、それを補充できる引き継ぎ者が少子化によって過不足なく補充するのがむずかしくなってきていたうえに、コロナの分断が追い打ちをかけたのである。加えて、優れた熟達した技術を持つ人たちはおしなべて年配の人が多いだけに、こうしたベテランの人材がさらに不足するという事態に至ってしまっているのだ。

 街の飲食店での人手不足に話を戻すと、「板前修行十年」の世界で働く人たちの意識にもその変化の大波が押し寄せてきている点も見逃せない。もはや職人意識ではなく従業員意識、つまりサラリーマン意識が強くなっているのである。1日の労働時間は8時間、1週間に40時間を超えない、労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩、毎週1日の休日か、4週間を通じて4日以上の休日を最低の労働条件として勤務することが当たり前になっている。聞くところによると、週休2日、日曜祭日は休みを求めるのが普通だという。
 一時休業や営業時間短縮の張り紙を店頭に出さざるを得なくなっている飲食店のオーナーの観測では、こうした事態が解消される見通しは暗いという。
 どうやらコロナ禍後、人手不足によって「店が潰れる」飲食店が出てくる可能性を否定できなくなっているようである。いや、すでに閉店に追い込まれた飲食店も出ているかもしれない。

 (元大学教員)

(2023.4.20)
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