【コラム】
有閑随感録(73)
日本学術会議法人化
矢口 英佑
2025年5月9日に「日本学術会議」を国から独立させ、法人化する法案が衆議院内閣委員会で採決され、自民・公明両党と日本維新の会の賛成で可決された。この後、衆議院本会議、参議院での審議はあるが、事実上、この法案は成立したと言えるだろう。
法案によれば、法人化はするが財政支援は行うとされ、会員は総理大臣の任命から学術会議が選任する。運営の評価を行う委員や監査を行う監事は会員以外から総理大臣によって任命される。
上記のことだけが報道として伝えられると(単純に表面的な事実だけを伝えるニュースでは概ねそうだが)、多くの日本人には当の「日本学術会議」がなぜ反対しているのか理解できないのではないだろうか。なぜなら国から独立し、しかも財政支援が受けられ、会員も総理大臣の任命から学術会議みずからが選ぶことになるとの内容だからである。運営の評価や監査業務は会員以外の者が行うのはむしろ当然とも多くの人びとは捉えるに違いない。
だが、かつて国立大学が国から分離して法人化されたが、その後の経緯を知る者にとっては、国がまたゾロ同じ手を使ってきていると思わざるを得ない。
当時、各国立大学の自主性が尊重され、自律度が高まると説明され、運営費交付金も支払われる。学長の権限も強化されると聞いて大学の自主性が強まると楽観的に見る教員も少なくなかった。しかし、残念ながら実際には外部からの人間を介入させることで大学運営をコントロールし、運営費交付金も国の裁量次第で、次第に削られてきている大学がほとんどという状況になっている。競争的研究資金を増やし、特定の研究領域に特化して手を挙げた大学から選択して多くの研究資金をばらまく方式は結局、旧帝国大学残しで、かつて大宅壮一が〝駅弁大学〟として揶揄した地方国立大学潰しに繋がっているように思えて仕方ない。今や一部の地方国立大学では募集定員数を確保できず、再募集している所も出てきているのである。また自分の研究も研究費減でままならず、できれば私立大学へ移籍したいと考える教員も少なくない。
日本学術会議は、1948年7月に日本学術会議法が公布され、翌1949年1月に設立された。「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学会と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と日本学術会議法の前文に記されている。
現在、読み直すと「文化国家」「平和的復興」「人類社会の福祉」といささか肩肘張った観はあるが、日本の敗戦から1年半後に生まれた学術会議には戦争の時代に突き進み、結果的に科学者たちがその戦争に協力したという強い反省があった。それだけに当時は敗戦による国家消滅の危機に瀕していただけに、平和と安寧な社会を生み出すために貢献するという強い覚悟が読み取れる。加えて学術が政治的、功利的に利用されず、自主独立性を守ろうとする決意も表明されている。
この原点に立ち戻って現在を見れば、残念ながら日本学術会議の役割だったはずのものが国によってつぎつぎにもぎ取られてしまい、その影響力が弱まっているのは明瞭である。たとえば、1950年代半ばに国は原子力利用の研究に動き出したが、学術会議会長の茅誠司、国立大学協会会長の矢内原忠雄らは反対し、一定の歯止めの役割を果たし、大学では原子力利用に関する経費は使わないことを国に了承させていたのである。それだけ学術会議の意見が無視できなかった頃はあの中曽根康弘が首相であった時でも、国会で学術会議の会員について、政府は形式的任命をするに過ぎないと答弁していたのである。
今回の日本学術会議法人化のきっかけは、2020年に菅義偉首相(当時)が会員候補6人の任命拒否に対して日本学術会議だけではなく、学術界の人びとが広く一斉に抗議と反対の声を上げたことに始まっている。政府による会員の人事介入は安倍政権時代の2016年頃からすでに始まっていた。政府は2020年の任命拒否の理由をまったく説明していないが、任命拒否された学術会議会員候補6名は「安保法制」「特定秘密保護法」「共謀罪」などに反対していたとの報道もある。おそらく間違いのないところだろう。
要するに国はナショナルアカデミー的なものがないのは国の体面として困るが、国の方向性に何かと異見を出されるのは迷惑で、常に国のコントロール下に置くつもりでいるのだ。そのために目障りな日本学術会議を廃止し、国から独立した特殊法人の「日本学術会議」を新たに設けることにしたのである。
したがって新たに法人化される「日本学術会議」はもはや独立して独自の職務を行うことはできなくなる。なぜなら外部の介入を積極的に取り入れ、首相に学術会議を監督する大きな権力を与え、国に都合の良い学術組織を設けることになるからである。
たとえば会員選任では「会員、大学、研究機関、学会、経済団体その他の民間の団体等の多様な関係者から推薦を求めることその他の幅広い候補者を得るために必要な措置を講じなければならない」のはまだ理解できるが、現在の日本学術会議の推薦に基づいて首相が会員予定者を指名するが、その前段で、会員予定者を選考する委員会の委員を会長が任命する場合、首相が指名する有識者と協議しなければならないことになっているのである。
しかも国が徹底して現行の日本学術会議を潰そうとしているのは、法人化された時点で任期を残している現会員は新法人の会員となれるが、3年後の再任はなく、新たに定められた選任方法が実施されることからも見てとれる。
憲法の第23条にある「学問の自由」は、学術研究の独立性、自律性が伴ってこそ補償されるものだろう。しかし国は金を出す以上、関与は当然であり、金も出すが口も出すという姿勢が見え見えであり、それを確実に実践するために今回の日本学術会議の法人化は進められたのである。
1949年に生まれた日本学術会議はこれまで長い間にわたって正当な見解や意見を出し続けてきたが、国からは徐々に疎んじられ、ついには消滅させられるところまで来てしまったのである。国から見れば扱いにくいからである。
このままでは学術が政治に従属した1945年以前に逆戻りする恐れなしとは言えない状況になってきている。だとすれば再度、1948年に定められた日本学術会議法の前文に立ち戻り、みずからの手で日本学術会議の解体を宣言し、紐付きでない新たな独立性、自立性を保持し、学術的な面から国に物申す集団の結成を目指すべきときに至っているのではないだろうか。
元大学教員
(2025.5.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ/掲載号トップ/直前のページへ戻る/ページのトップ/バックナンバー/ 執筆者一覧