【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

来日での発言が注目されるフランシスコ法王の思いと行動

荒木 重雄


 既に新聞やテレビで報じられていることだが、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が11月23日~26日に来日する。
 東京のほか、被爆地の広島、長崎を訪れる予定で、福島第一原発事故の避難者や、死刑廃止を訴える団体、死刑が確定して再審請求中の袴田巌氏などと面談する計画もあがっている。この機会に、「核のない世界」や「死刑廃止」を提唱するフランシスコ法王の人柄、思想、行動の一端を、日本への関心と併せて振り返っておきたい。

◆◇ まず直面したのは法王庁の積弊

 「空飛ぶ聖座」とよばれ、現代社会の諸課題へのカトリック教会の対応を模索して世界中を飛び回った故ヨハネ・パウロ2世、保守的な価値観、歴史認識からリベラルな市民や他宗教者、先住民と軋轢の絶えなかったベネディクト16世の後を継いで、2013年、フランシスコ法王は、その名を「貧者の友・アッシジの聖フランシスコ」に因んだように、貧しき者、弱き者に寄り添う姿勢を標榜して国際舞台に登場した。しかし、待ち受けていたのは、カトリック教会の積弊にもとづく難題であった。

 代表的なひとつは、バチカン銀行の不透明な経営である。極右主義者やマフィアと繋がりの深い人物たちが銀行の中枢に入り込み、CIAとも結んで、南米諸国の軍事独裁政権や国内外の反共政治工作に不正融資したり、マフィア絡みのマネーロンダリングの温床になっていた。
 もうひとつは、カトリック教会に蔓延していた聖職者による児童性的虐待とその組織的な隠蔽である。さらに加えて、法王庁内の権力闘争や、管区長などを務めた故国アルゼンチンでの、反対派市民に数万人もの犠牲者をうんだ1970~80年代の軍事独裁政権との関係にかかわる彼自身の疑惑もあった。

 だがフランシスコ法王は、慣例に囚われぬ柔軟な発想とフットワークの軽さや気さくな物言いで得た教会内外の人気を追い風に、ときには暗殺の恐れや厳しい批判にも耐えながら、これらの難題に取り組み、一定の改善や改革をもたらしてきた。

◆◇ 宗教者として国際社会に訴えたこと

 バチカン改革と併せ、フランシスコ法王が積極的に取り組んできたのが平和や人権にかかわる国際社会への働きかけである。

 就任した年のクリスマス・メッセージではシリアや南スーダンの和平を訴え、翌年5月の法王として最初の外遊ではイスラエルとパレスチナを訪れて和平を訴えた。このときは法王の提案に応えて、翌月、イスラエルのペレス大統領(当時)とパレスチナ自治政府のアッバス議長がバチカンを訪れ、法王とともに中東と世界の平和を祈った。
 和平への訴えや努力について挙げればきりがないが、2015年の米国とキューバの国交回復や翌年のコロンビア革命軍と政府の和平プロセスの進展などにも、舞台裏での法王の仲介や後押しが大きく働いている。

 難民救済では、欧州が難民問題で揺れた17年、難民の寄港地ギリシャのレスポス島を訪れ、国際社会に人道支援の必要を訴えたことが記憶に残る。同年にはミャンマーとバングラデシュを訪れてロヒンギャ問題の解決も訴えている。

 異なる宗教間の和解・融和にも熱心で、17年には、11世紀に東西両教会が分裂して以来初となるロシア正教会総主教との会談が実現し、イラン大統領、エジプトのスンニ派最高権威アズハルの総長との会談も実現させた。問題を孕むとはいえ、1957年以来対立を続けてきた中国政府公認のカトリック教会「中国天主教愛国会」との昨年末の和解もその一環といえよう。

 こうした動きはたゆまず続いていて、今年に入ってからも、2月にはアラブ首長国連邦を訪れてイスラム教徒と交流し、5月には、ブルガリアと北マケドニアを訪れて国際社会に難民受け入れを訴え、その前月には、南スーダンで対立を続けるキール大統領と反政府勢力を率いるマシャル元副大統領をバチカンに招き、両者に和平の実現を呼びかけた。このときは、法王が二人に歩み寄ってその足元にひざまずき、靴に接吻をして熱意を示したパフォーマンスが強い印象を世界に与えた。

 「空飛ぶ聖座」とよばれた故ヨハネ・パウロ2世は、26年の在位中に104回、外国を訪問したが、フランシスコ法王は頻度ではそれを上回り、すでに30回を超えている。訪問国では、首脳に直言したり世界に向けてメッセージを発する一方、病院や刑務所を訪れて患者や受刑者に声をかけ、対話集会では貧困者や性的少数者、先住民と熱心に話し込む。これがまさに、フランシスコ法王の流儀なのである。

◆◇ 訪日に寄せる法王の思いは

 このような思想・信条の持ち主だから、被爆国日本に関心を寄せるのは当然だろう。
 加えて法王に日本を特別な国と感じさせているのが、法王の出身修道会「イエズス会」の足跡である。16世紀中頃、日本に初めてキリスト教をもたらしたのは同会創立者の一人フランシスコ・ザビエルらイエズス会の宣教師たちであった。同世紀末のキリシタン弾圧で処刑された「聖人」の中にも同会の宣教師がいる。そのような背景から、法王自身、若い頃に宣教師として日本に渡ることを希望していたという。

 法王の日本への思いを象徴するエピソードに「焼き場に立つ少年」の写真がある。
 10歳にも満たない裸足の少年が、直立不動で、焼き場で順番を待っている。背負うのは亡くなって首を垂れた幼い弟。少年は前をにらみ、唇をかんで言葉を発しない。
 米国の従軍カメラマン故ジョー・オダネル氏が原爆投下後の長崎で撮った写真だが、法王は、17年の末、この写真を印刷したカードを多くの教会関係者に配った。「戦争の結果」というメッセージと自身のサインを添え、「少年の悲しみは、噛みしめて血のにじんだ唇に表れている」とのスペイン語の説明も加えて。
 法王が年末にカードを配るのは異例のことで、「核なき世界」を訴える法王の強いメッセージと受け止められている。

 顧みれば、今年の広島、長崎での平和記念式典でも、「核兵器禁止条約」に言及することもなく、熱意も誠意もない数年使い回しの「あいさつ」文をおざなりに読み上げて不評を買った安倍首相。それとは対照的に、訪日に向けては、原発事故避難者の少年や、カナダ在住の原爆被爆者で17年のノーベル平和賞授賞式で演説したサーロー節子さんなどと面談したフランシスコ法王。その法王の日本での発言が注目されている。

 (元桜美林大学教授・『オルタ』編集委員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧