【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

歴史を顧みぬ選挙目当てのトランプ中東政策


荒木 重雄

 トランプ米大統領の就任以来、世界が一変しつつある、とは衆目の一致するところだ。核戦略、気候変動、米中関係、中東問題はじめ、これまで国際社会がなんとか協調に努めてきた世界が、対立と分断の世界に変わりつつあるのだ。トランプ氏の自国中心主義、否、自らの政権基盤優先(「自分ファースト」)の横車のせいである。
 そのトランプ氏が、11月の大統領選に向けて、とりわけ中東イスラム世界に、二つの禁じ手を繰り出している。そのひとつは、70年以上に及ぶパレスチナ問題を一挙に解決すると称する「中東和平案」なるものである。

◆ パレスチナは約束の土地か

 そもそもパレスチナ問題とは何か、簡単にいえば、従来アラブ人が住んでいた地中海東岸の一画に19世紀末から、とりわけ第2次世界大戦の前後を通じて、ここを「民族の故地」と主張するユダヤ人が欧米から入植し、1948年、一方的にイスラエルの建国を宣言して、アラブ人(パレスチナ人)を武力で追い出した、ことに始まる。
 これを認めぬ周辺アラブ諸国は三度に亘りイスラエルと戦火を交えるが、連勝を続けるイスラエルは67年の第3次中東戦争で、さらにヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ、ゴラン高原などを占領して領地を拡大した。

 93年のオスロ合意でヨルダン川西岸とガザに暫定的なパレスチナ人の自治が認められるが、イスラエルはその自治区へユダヤ人の入植を押し進め、さらに分離壁を巡らして自治区を隔離・分断し、パレスチナ人の抵抗運動には過酷な弾圧で応えてきた。
 これに対してパレスチナ自治政府や国連は、将来のイスラエルとパレスチナの「二国家共存」を念頭に、イスラエルに、境界線を第3次中東戦争での占領以前に戻すこと、占領地での入植を止めること、東エルサレムをパレスチナの首都に留保すること、を繰り返し要求してきた。

◆ 公平性などかなぐり捨てて

 米国の歴代政権は、イスラエルの後ろ盾を任じながらも、曲がりなりにも両者の仲介役としてバランス外交に腐心してきた。オスロ合意はその成果である。
 ところがトランプ政権は、公平性などかなぐり捨てて、国際社会の非難の中、係争地エルサレムをイスラエルの首都と認定して米大使館を移転し、パレスチナ難民を支援する国連機関への拠出金を止め、イスラエルがシリアから奪ったゴラン高原の主権を認めるなど、イスラエル寄りの政策を次々打ち出してきた。そのきわめつけが今年1月の「中東和平案」である。

 和平案は、形のうえではパレスチナ国家を建ててイスラエルと共存する「二国家解決」をうたうが、イスラエルが国際法に違反して自治区ヨルダン川西岸で進めてきたユダヤ人入植地をイスラエルの領土と認め、帰属が争われるエルサレムの全域をイスラエルの首都とし、いまや550万人にも及ぶパレスチナ難民の帰還も認めない、呆れるまでにイスラエル寄りの案である。パレスチナ自治政府のアッバス議長は「1千回のノーを突きつける」と即座にこの案を拒否し、アラブ連盟や国連事務総長も受け入れない方針を明確にした。が、イスラエルのネタニヤフ首相は入植地併合の画策に動きだしている。

 トランプ大統領はなぜ、このような無理筋を押し進めようとするのか。それは、汚職疑惑も抱えて政権基盤が安定しない盟友ネタニヤフを援護するためでもあるが、より切実には、トランプ氏の支持層が、「イスラエルは神がユダヤ人に与えた土地」という聖書の記述を丸ごと信じるキリスト教福音派など、イスラエルに親近感をもつ保守的な世界観の持ち主が多いから、という、「自分ファースト」のまことに卑近でみみっちい理由からである。

◆ 司令官殺害も再選のためか

 トランプ大統領が中東に向けて繰り出したもうひとつの汚い手がイラン攻撃である。これも、イスラエルが敵視し脅威ともする相手を弱体化する狙いもあるが、トランプ氏の支持基盤となる保守的な米国人に一般的なイスラム嫌い、イラン嫌いに迎合する思惑が濃厚である。

 米国人のイラン嫌いの原因には、よく1979年のイスラム革命とそれに続く在イラン米大使館占拠・職員拘束事件が指摘されるが、これには前史がある。米国は、1953年、民主的な選挙で成立したモサデック政権を、それが掲げた石油国有化政策を嫌ってクーデターで転覆させ、シャー政権を擁立して親米独裁の強権政治を行なわせた。これに対するイラン国民の積年の怒りがイスラム革命に結果したのである。

 その後の米国の、経済封鎖を含むイラン敵視・孤立化政策については当コラムでも何度も述べたので省略するが、そうした包囲網の中で紡ぎ出されたイランの核開発を警戒して、オバマ政権下の米国と英仏独露中が協調しイランに当たった外交努力の成果が、2015年に結ばれた、核開発の制限と経済制裁の緩和をトレードしたいわゆる「イラン核合意」である。

 ところがトランプ大統領は、オバマ政権の成果潰しの狙いもあって、18年5月、突如、一方的に核合意からの離脱を宣言して制裁を再開し、イラン産原油の全面禁輸などを国際社会にも強制した。
 そこに起因するイランと米国の確執の再来のなかで起こしたのが、こともあろうに、イラン国民にとっての「英雄」革命防衛隊のソレイマニ司令官を米軍無人機で爆殺するという、今年年頭の暴挙であった。

 国際法違反が指摘されるこの攻撃に対するイラン側の報復攻撃は、事前に相手側に情報が届くよう図った、自制の効いたものであったし、米国側も、新たな戦争は再選に不利とのトランプ大統領の思惑でそれ以上の拡大は抑えられて、事態は一応事なきを得たが、今後の展開に予断は許されない。

 大統領選を半年後に控えて、新型コロナウイルスの蔓延と経済の悪化・混乱に狼狽するトランプ大統領だが、選挙に勝つため、支持層の歓心を買うためには、人類の運命にも係わる地球的課題や国際関係をも弄んで悔いないトランプ氏のこと、再選戦略として中東にもまたどんな手を突っこんでくるのか、警戒の目が離せない。

 (元桜美林大学教授・『オルタ』編集委員)

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