【コラム】槿と桜(124)

済州島と韓国人旅行客

延 恩株

 韓国の最大の島、済州島(チェジュド 제주도)をご存知ですか。
 韓国最南端の島で、気候も韓国内で最も温暖(冬にもほとんど零下以下になることのない)で、島特有の民俗・風習が残されています。たとえばトルハルバン(돌하루방「石じいさん」という意味)と呼ばれる石像は、済州島のシンボルとして街の入口などに置かれ、魔除けという宗教的な意味合いも込められています。この石像の表情はいろいろですが、どれも目と鼻が大きく、韓国伝統の帽子をかぶり、両手を腹部分で合わせ、口が閉じられています。済州島を訪れた人なら「ああ、あれね」と記憶が読み戻されると思います。
 済州島は四方を海で囲まれ、韓国本土から隔絶されていますから、日常言語にも異なる部分が多く、この地域の方言で話されると理解できないなど、韓国人にも異質な風土と文化が感じられる地域となっています。それだけに韓国人にはちょっとした外国旅行気分が味わえるということで、観光地として人気があります。
 済州島は日本の長崎県五島列島から180km(東京から静岡あたりまでの距離)、韓国本土までなら130kmと日本からも韓国からも近い位置にある島です。約200万年前に海底火山が噴火してできた火山島で、全面積の90%が玄武岩で覆われた石の島で、島の中心に韓国で最も高い、標高1950mの漢拏山(ハルラ山 한라산)があります。
 島の広さは日本の佐渡の約2倍、沖縄本島(周辺諸島を除く)より1.5倍の面積があり、佐賀県と同じ緯度に位置しています。

 この済州島を訪れた韓国人は2015年に1000万人を超え、2019年には1356万人と大きく増えました。大雑把に言いますと韓国の全人口が5000万人ですから、1年間で韓国人のおよそ4人に1人が訪れた計算になります。2020年は新型コロナの影響で観光客が減少しましたが、2021年には1196万人となり、2022年は1359万人と過去最多となりました。ただ、2022年に限りますが、済州島を訪れた外国人観光客は少なく、ほとんどが韓国人旅行客で占められていました。おそらく世界的に見れば新型コロナの影響がまだ尾を引いていたと思われます。
 ところが2023年になりますと、これまで増加を続けてきていた韓国人旅行者が減少し始めてきました。済州島の民間放送局・済州国際自由都市放送(JIBS)が2023年8月11日に伝えたものですが、物価と旅費の高騰によって観光客の済州島離れが進み、小売、サービス業の売り上げが大幅に減少したというものでした。
 済州島の物価や旅費の高騰が観光客減に影響を及ぼしたのは明らかで、済州島には観光産業以外にこれといった地域振興の目玉がないだけに、早めに何らかの対応策を考える必要がありそうです。
 ただし、新型コロナの影響で海外旅行をあきらめざるを得なくなり、済州島への訪問客が大幅に伸びた、いわば〝特需〟の時期が過ぎたのかもしれません。加えて大統領の交代(文在寅→尹錫悦)によって対日政策が大きく変わったことも手伝い、日本を含めたアジアへの海外旅行需要が伸びてきたのも済州島への国内旅行者減のマイナス要因になったようです。

 ただ観光客の済州島離れの要因は物価と旅費の高騰に加えて、韓国人の生活様式や意識の変化もあると私は見ています。
 そのことは日本を訪れる韓国人の平均滞在日数が3日程度と短期間で、しかも個人旅行者が多いという特徴に現れていると思います。新型コロナ感染への懸念から個人旅行が増えたのも要因として考えられますが、それは一時的であったはずです。
 でも、一時的とは考えられない状況として、韓国人の単世帯の割合が増加の一途をたどっていることがあります。韓国行政安全部が2024年4月に発表した人口統計によりますと、同年3月時点ですが、単身世帯数は約1002万世帯で全世帯数約2400万世帯の約41%を占めるまでになっていました。急速な高齢化と未婚者の上昇がこの数字に反映されています。
 当然のこととして、これまでの韓国の家族のあり方や生活様式に変化を及ぼしてきています。これらの典型的な変化として、一人食事や一人旅などという形態となって現れてきているのではないでしょうか。

 特に韓国で著しい変化は食事スタイルです。これまで韓国人は人間関係を大切にするため職場では誘い合って集団で昼食を食べに出かけるのが当たり前になっていました。わいわい食事しながら情報を共有(噂話も含めて)するのを常としてきていました。ですから一人で食べる文化は根付いていませんでした。
 しかし、最近では一人暮らしの人びとを対象にした飲食店も現れてきており、コンビニでは一人暮らしのための弁当など、孤食に適した食品が並べられています。さらに多くのデリバリー食品企業も単身の食生活者獲得の激しい競争をしています。
 また韓国では、定年まで雇用する終身雇用制が日本ほど定着していませんから上昇志向が強く、残業や休日出勤する勤め人が非常に多くいました。ところが近年は自分自身の生活を大切にしようとする雰囲気が濃くなってきています。特に若年層にそうした風潮が強まり、自分の価値観を重んじ、自分だけの楽しみを見つけようとしてきています。手元に統計的な数字がありませんので、推測でしかありませんが、おそらく単身生活者が増えてきている状況と関連していると思われます

 一方、韓国の雇用環境では 週休2日制や振替休日制の導入、有給休暇の使用奨励、労働時間の短縮などによって自分だけの時間を有効に使おうという人びとも増えてきました。   
 そこに加えて、新型コロナの終息期となったことで「旅行」に目が向けられ、先ずは国内旅行とばかりに済州島が注目されたのでしょう。  
 しかし、国土が狭いだけに、従来から「旅行」といえば「海外旅行」と考える韓国人が多かった上に、日本は韓国からの距離が近く、空、海どちらの路線も便利で、格安航空会社(LCC)も増加し、何よりもビザなしで渡航できます。
 さらには円安という状況も加わって、韓国内の物価高などで日本や東南アジアへの短距離海外旅行の費用が済州島旅行と同程度か、それ以下となって済州島への旅行から日本や東南アジアへ一気に目が注がれ始めました。しかも旅行費用が安いだけでなく、日本への旅行は安全、安心という付加価値も高く、特に個人旅行者が短期の気軽な「海外旅行」先として日本を選ぶ傾向が増える結果になりました。
 日本政府観光局が2024年12月に国外からの旅行者数を公表しましたが、そのうち日本を訪れた韓国人観光客は795万人(2024年11月現在)で、訪日外国人3338万人の23.8%を占め、第1位となって、過去最多を記録したということです。
 こうした状況から当然なのですが、上述しました2023年8月の済州国際自由都市放送(JIBS)の旅行客減に対する危機認識よりさらに悪化した状況が1年後の2024年12月28日の『KOREA WAVE』に掲載されていました。「韓国人旅行客の「済州島離れ」が深刻化」というものです。
 ネット上には、日本は飲食店や小売店などが清潔で価格が安く、品質も良く、親切でサービス精神に溢れているのに韓国の観光地の飲食店や小売店の多くが日本に比べて劣っているとの批判があがり、さらには済州島での〝ぼったくり商売〟には強い不満を示していました。
 残念ながら「値段が高い」「いつでも騙そうとしている」「済州島に行くのはやめよう」などといった済州島に対するマイナス評価は少なくないようです。これらはあくまでも個人的な感想とも言えますが、それがあっという間に拡散するのもネット社会の特徴です。
 韓国最大の観光地だったはずの済州島からの深刻な旅行者離れを現地の観光業関係者や自治体はどのように受け止め、どう対応するのか、今後、大いに気になるところです。
 また済州島以外の観光地も他山の石としてこうした状況を真剣に受け止めるべきだと思います。そうでなければ政府が進める観光業における外国人観光客誘致の拡大と国内の内需拡大計画に黄信号が灯るのは間違いありません。

大妻女子大学教授

(2025.1.20)
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